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3月, 2021の投稿を表示しています

花見

  短期間に咲いて散っていく桜は世の無常を思わせる日本人の心の花です。桜に無常を見て哀れを感じるのは仏教者的視点かもしれませんが、仏教が日本に広まる以前から桜は日本人に大切にされており、冬の間は山にこもっている田の神さまが春になって里に降りて桜の木に宿るとされてもいました。現代に伝わる花見は平安時代に春の訪れを祝う貴族達の風習にはじまり、徐々に武家などにも広がっていき、一般庶民にも広がったのは江戸時代と言われます。江戸時代の頃は、満開の時期より桜が散る時期の姿が愛でられていたとも言います。  現代のお花見の桜はほとんどがソメイヨシノですが、これは江戸時代の後期に開発され明治時代に日本中に広がったものです。それまではヤマザクラが観賞用の桜の主流でした。しかし、単に山に咲いている桜のことを品種とは別に山桜と呼ぶこともあります。桜にも様々な品種があるので色々見て回るのも春の楽しみの一つです。ちなみに小生の職場の近所には一本だけ御衣黄があります。咲くのは来月後半になるでしょうが皆が桜を忘れた頃にこっそり咲く緑色の桜はなにやら奥ゆかしさを感じます。  今年もコロナの影響で盛大なお花見は無いでしょうが、酔漢が暴れ大騒ぎするようなことも少なくなるので、心静かに花を愛でることが出来そうです。とは言えやはり、早くコロナ禍がおさまり普通にお花見出来るようになってほしいものです。

大僧正行尊

 もう散りつつある地域もあるでしょうが桜の季節なので今日は大僧正行尊のお話しをします。大僧正行尊は三条天皇のひ孫にあたり天喜三年(1055年)に生まれました。園城寺(三井寺、天台宗寺門派本山)で出家し、修験の行者として高名でした。保安四年(1123年)に第四十四世天台座主に就任、天治二年(1125年)に大僧正となります。「行尊大僧正集」には各地の霊場を巡った際に詠んだ歌も見られます。  行尊の歌でもっとも有名な小倉百人一首の第六十六番「諸共に哀と思へ山桜 花より外に知人もなし」も大峰山に修行に入った時に思いがけず山桜をみて詠んだ歌とされます。思いがけずと言うのは時期的なものか地理的なものかで意見が別れていますが、「行尊大僧正集」の記載からは地理的なものと思われます。通常は桜を見かけない深い山で思いがけず山桜に出会って詠んだ歌な訳です。  山奥に人知れず咲いて散っていく桜は、たまたま修行で深山に入った行尊以外に知る人も無く、その時の行尊を知る人もまた誰もいないのですが、その情景をこの山桜以外に誰も今の自分を知らないと詠んでいます。寂しさの中に認識する者と認識される物が渾然一体となる感覚は、ものの哀れと感じさせるのと同時に、我執を離れる修行者の観点であるようにも思えます。

暴力

 法句経の第十章は暴力について説かれています。そこでは自分が殺してはいけないということと同時に、他人に殺させてはいけないと書かれています。大切なことなので二度書かれています。また荒々しい言葉を使ってはならないと言葉の暴力も禁止しています。大切なことなので二度警告されています。  だから誰かがおおっぴらに人を殺しまた殺そうとしているのなら、それを止めるべきだし、それを止めるにあたっては言葉の暴力をもってしてはならない事になります。  暴力で物事を解決しようとしても、暴力を振るわれた側には不満がたまり抵抗することでしょう。それをさらなる暴力で封じ込めれば、人々は恐怖から逆らわなくなるかも知れませんし、恐怖から暴力を振るう側になる人も出てくるでしょう。しかし、そんな社会は不自由で萎縮しており活力がありません。また恐怖から暴力で支配する人達の寝首を掻こうと狙う人も出てきます。みんなが不幸せになります。  取り返しがつかなくなる前に止めるのが慈悲と言うものです。暴力を振るう価値観も多様性よ自由よと容認してはならないのです。暴力に口を閉ざすものは暴力を助ける行為です。もちろん、抵抗できない弱さは罪ではありませんが、何か出来る人は出来ることをするべきです。

ミャンマーと分別

 仏教国ミャンマーでの軍事クーデターと住民の虐殺はとても看過出来るものではない。だが、各国政府に口先の抗議はあっても実行性のある行動は見られない。これは不道徳ではあっても各国の利益の最大化を目指す政治力学的にはありうる話だ。こういう時こそ宗教勢力は抗議の声を上げるべきだろう。実際にローマ教皇はミャンマー軍政府への批判をしているが、当事者である仏教界の声は小さい。全く嘆かわしいことだ。しかし、なぜこんなことが起きるのか?これは有名な上座部仏教の某僧侶が、この問題を語る時に政治体制としての民主主義と独裁制には良し悪しの差が無いとして何も介入しないと断言したように、分別を嫌っているからでは無いかと思われる。  仏教の基本の一つに主観による物事の区別である分別を妄想とする考えがある。これ自体は確かにそうだろう。主観による分別を除き世界をありのままに見る無分別智は悟りと同義でもある。この理屈を曲解し極端に解釈すれば、殺人も救命も暴政も善政もそれに対する価値判断も全ては我にとらわれた主観による分別によるもので妄想であると言える。前述のように上座部仏教は高名な僧から軍部の暴挙を許容しているのだし、逆に苦しむ民衆にその苦しみは自分の妄想から起きるものだとでも言うのだろうが、この仏教の基本的な思想をもってミャンマーにおける軍事政権の暴虐を許容し抗議の声をあげないのは少なくとも大乗仏教的には誤っている。主な理由は三つ。  第一に、明らかに理不尽な理由で苦しむ衆生を見捨てれば菩薩道を歩む大乗仏教の仏教者としてその存在意義が消失する。  第二に、虐殺を許容するのは無分別智の曲解だ。自利利他円満の言葉にあるように自分と他人ひいては世界を区別なく利するのが大乗仏教の理念だ。分別しないのは自他の別であり生きとしいける全てのものが幸せであるように努力するのが菩薩というものだ。自分さえ苦しみのない悟りの境地に達すれば他はどうでもいいと考えるような一部の修行者と同じであってはいけない。  第三に、可哀想だろ?人間としての常識で考えろ。あれやこれや知識ばかりに偏重して人を見なくなるからこんな当然のことがわからなくなるのだ。  しつこいけど、私は一人でもミャンマーの軍事政権に抗議する。

ツァルツァー・ナムジル

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 モンゴルの昔話にツァルツァー・ナムジルというものがあります。ツァルツァー・ナムジルという名の愚か者がお寺に住んで三年間お経を教わりましたが、全く習得できずお寺の僧にもう家に帰るように言われます。最後に一つだけでもと教えを乞うツァルツァー・ナムジルに僧はお経を教えず、帰る途中に起きる全てをよく見て覚えればそれが良い知恵となるだろうと答え、ツァルツァー・ナムジルは教えを受けることが出来ずに帰路につきます。その道中、様々な勘違いから王様の信頼を得て宝物をもらい、その後は郷里に帰って正直に幸せに生きたという話です。  ツァルツァー・ナムジルが寺を出るときに言われた自分の周囲に注意を払う行為は、仏教の八正道では正念であり今風な呼び名だとマインドフルネスと同じことだと思われます。モンゴルはチベット仏教の文化圏であり、昔話にもその影響が出ているのかも知れません。物語の最後も王様の元で栄誉栄華を極めるのではなく、故郷で正直に暮らすことを良しとするあたりがいかにも仏教説話的な昔話です。  モンゴルの昔話というと日本ではスーホの白い馬が有名ですが、あれは中国共産党に占領されたあとの南モンゴルで創作された共産主義イデオロギーのプロパガンダ目的の児童文学でありモンゴルの文化を反映したものではありません。まあ、話自体は面白いのですがモンゴル人に言わせると違和感のある内容だとのことです。そんなわけで意外と日本では認知度の低いモンゴルの昔話については以下にリンクのある「エルヒー・メルゲンと七つの太陽」がお薦めです。 エルヒー・メルゲンと七つの太陽 モンゴルのいいつたえ集 [ 塩谷茂樹 ] 価格:1760円(税込、送料無料) (2021/3/27時点) 楽天で購入

棄老国

 雑宝蔵経に棄老国という次のような話があります。老人を棄てる風習がある国で大臣の一人が父親を捨てずに密かにかくまっていました。ある日のこと、神が王様に難しいクイズを出し答えられなければ国を滅ぼすと脅してきました。誰も答えることができない中、かくまわれていた大臣の老父が次々とクイズを解いて国を滅亡の危機から救い、以後その国では老人を大切にするようになったというものです。  これは老人の経験と智慧を大切にしましょうという寓話です。うがった見方をすれば役に立たない老人ならば捨ててよいのかと言いたくなりますが、先のクイズの答えで父母や病人に親切にするのを良しとする内容のものもありそういうツッコミにも対応しています。  倫理的な話は一旦おくとして、日本には捨てられた老人が難題を解決するという類似の昔話がいくつかあり、難題の内容も仏典によるものの他、オリジナルのものや、中には古代バビロニアに起源があるとされるものなど多種多様です。  単に昔のクイズ集ではなく、なぜか窮地に立たされた老人が見事に答えを出していく話が多いのは、棄老国の話がベースとなっているからかも知れませんが、老人が活躍する話に人気があるからでもありましょう。現代でも三国志なら黄忠、日本の戦国時代なら朝倉宗滴などは熱く語られることが多いです。生老病死は世の定めですが、なるべく元気でいたいというのは人間として当たり前の願いです。それを叶える技術や知識は今後も発展していきます。しかし、個々人の健康でいたいとの願いが叶えられなくなる時は必ず訪れます。その時に心穏やかにいられる知恵は老人で無くても磨いておく必要があると思います。

メメント・モリ

  ”Memento mori”はラテン語で「死を忘れるな」という意味でキリスト教では、この世での富貴の虚しさを強調する際に使われることが多い言葉です。逆に非宗教的にはどうせ死ぬのだから精一杯この世を楽しもうとするニュアンスで使われる場合もあります。どちらにしても人生とは簡単に終わってしまうもので、時間は貴重なのです。  日本でも老少不定とはよく言われることで、高齢だろうが子供だろうが人はいつ死ぬのかわかりません。浄土真宗開祖の親鸞上人が九歳で得度した折にもこの老少不定の心を示す話があります。諸事情で親鸞の得度の式が遅れ夕方になったので、もう明日にしようとしたところわずか九歳の親鸞は天台宗の高僧慈円に対して「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と歌を詠んで抗議したと伝えられます。明日も命があると思うのは愚かなことだとして今から得度を受けさせてほしいとの希望を桜の花に例えて歌に詠んだのです。これに感じ入った慈円が夕から得度の式をあげたとされます。  もし、私が今日死んだら、後で散らかった部屋の掃除をする人が可哀想です。仕事の記録ももう少し誰が見てもわかりやすいようにまとめないと引き継ぐ人が大変です。遺産ももう少し残してあげたいところですが今日も余計なことにお金を使っています。こんなしょうもないこと以外に伝えるべき思いもあるはずですが、しょうもないことを片付けとかないと安心してかっこいいことも言えません。  ただ、なにか気の利いたことを言ってやろうと色々考えたところで頓死してしまえば無駄になります。だから今ここで死んでもいいように、日頃から無様な言動をせぬように留意したいものです。  しかし、人は今日も今日とて公私ともにやるべきことを積み上げてしまいます。口ではメメント・モリよと言ったところで、体感として明日もあると思いこんでいるからでしょう。  また、自分だけでなく、家族、友人、知人もある日突然死んでしまう場合もあります。茶道の一期一会の精神で応対したいものです。  まあ、とりあえず掃除しよう。

禅定障

 禅定障という言葉があります。心静かに禅定を目指すのをよしとするあまりに、静かに場所に引きこもって世間を見下して自分がすごい存在だと思い上がることです。  そもそも、世界は網の目のような縁のつながりであり自他を分別してより上位だとか下位だとするのは禅定が足りていない証左でしょう。  しかし、これは何も座禅や瞑想に執着する場合にのみ生じるものではなく、利他行とされる布施や持戒においても、それらをする自分が何か偉いものだと他を見下せば同じことです。  菩薩道の基本は自利利他円満であり、利他の行いが自利と同一となる視点が大切なのです。確かに修行の足りない我々凡夫の利他行には慢心や思い上がりが混入しています。しかし、だからと言って利他行そのものが無意味だとして、目の前で困っている人を見捨てたり見殺しにするのが仏道にかなった考え方だという言説には同意しかねます。  また、正邪の別をたて自分が絶対に正しいとして他を排撃するのは間違っているとする意見も一見すると正しそうに見えますが、使用する局面によっては禅定障の一種と言えるでしょう。ヘイトクライムでよくある某民族が地球を裏から支配する秘密結社の尖兵で民族浄化すべきなどという荒唐無稽な理屈は明確な誤りであり断固として社会から排除すべきです。そして、そういう意見も多様性だなんだと言って訳知り顔で許容するのは明らかな不正です。自分以外の世間を低俗と見下し興味が無いからそんな発想が生まれるのです。  内面を見る修行ばかりしていると社会的な常識が欠如しがちです。外を見てもその識は内側のものなのだから、世界を分別し評価し見下すことは己を傷つけているのと同義です。修行者にはありがちな誤謬なので自戒としても用心したいものです。

令和三年、春の彼岸最終日

 春の仏教強化週間お彼岸の七日目、最終日です。六波羅蜜をお彼岸の各日にあてる風習では本日は智慧の日です。  これまで、布施と持戒の利他行をし、忍辱と精進に励むことで自身を整えた結果、欲望や自分へのこだわりを減らして禅定で精神の安定を得ました。この状態で得られる智慧とは世界を分別せずありのままに観ることとされます。今風にいうとあらゆるバイアスを離れた状態です。実際にあらゆる偏見から逃れることが出来る人は殆どいないでしょうが、より中立に近いところを目指すことはできます。その状態で人生を見ると世界は網の目のような縁の連なりで不変の我というものはありません。実在しない我にこだわることで生じる煩悩から苦しむ人々の姿も見えます。  さて、瞑想してこの世界の有様を見るのは重要ですが、より重要なのはその後の実生活です。はじめは嫌々ながらしていた布施や持戒も、そのような世界の見方を経たあとに行うと違ったものとなります。忍辱も精進も同じです。日々の生活を送りつつ禅定や智慧も出来るように徐々にしていくのが六波羅蜜です。大乗仏教では在家の日常生活とともに道があるのです。油断すれば煩悩に満ち溢れてしまうのが人間ですが、お彼岸などの機会に意識して六波羅蜜を実践してみるとよいでしょう。

令和三年、春の彼岸六日目

 春の仏教強化週間お彼岸の六日目です。六波羅蜜をお彼岸の各日にあてる風習では本日は禅定の日です。  仏教の修行を三つの要素にまとめると、悪いことをしないルールである戒と、心を落ち着かせ集中する定と、真理を悟る慧の三学にまとめられるとされます。禅定は三学の定にあたります。  三学では、戒で体を整え、定で心を落ち着かせ、これらを統合して慧を獲得し、慧があるから戒も定も安定するという循環が起きます。浄土教系の仏教では人間は三学を修めることが出来ない劣った存在だとして称名念仏を勧めていますが、彼らはその結果として、自分の至らぬところに慚愧し、念仏で心を落ち着かせ精神を統一し、その結果として弥陀の救いに感謝し仏性に気づくのですから、傍から見たら三学を修めているに等しい気もします。  さて、日本の仏教でいう禅定とは、禅宗系の座禅であり、天台宗系の止観であり、密教や唯識の瑜伽行などです。日頃、座禅などする機会がない人でも、たまにはご自身の宗派のものを試してみると良いでしょう。禅のような修行が無い宗派ではお題目やお念仏でOKです。浄土真宗では自力の修行全般を否定していますが、他力のお念仏をした時に心が落ち着いて集中出来たとしても自力の修行にはなりますまい。経過はどうあれ心が落ち着いて集中した状態では新たな発見があることでしょう。

令和三年、春の彼岸五日目

 春の仏教強化週間お彼岸の五日目です。六波羅蜜をお彼岸の各日にあてる風習では本日は精進の日です。  精進と言えば精進料理を思い出しますが、元々は努力することを示す仏教用語です。この努力とは善いことを行い悪いことをやめて仏道に励む努力です。  ちなみに精進料理の精進は、仏教の精進と神道儀式などの前に身を清め食事や行いを慎む潔斎が結びついて精進潔斎と言われるようになったことから、その際の料理が精進料理として和食のジャンルとして確立したものです。精進料理は禅宗とともに日本に輸入され発展していくのですが、その本家の漢土では精進料理ではなく素菜と呼ばれています。黄檗宗の普茶料理などがこの系統になりますが、素菜にはかなりのバリエーションがあり先人達の料理にかける情熱には脱帽です。また、この精進料理の技術が懐石料理などに発展し日本の食文化に多大な影響を与えていくのです。  何やら仏道の精進ではなく食文化の精進の話になってしまいましたが、文化を支える様々な仕事の精進もまた仏道に通じるものです。むしろ日々の生活の中の精進こそが大乗仏教にふさわしいといえるかも知れません。  さて、布施と持戒が利他的であったように、忍辱と精進は自利的な側面が大きいです。日々の生活の中で自分を磨いているからです。過酷な環境でも菩薩行を続けるのは容易な事ではありませんが精進して参りましょう。

令和三年、春の彼岸中日

 今日は春分、お彼岸の本番である中日です。皆様、お墓にはお参りされますか?何らかの事情でお参り出来ない方も、今日はご先祖様に感謝してみると良いでしょう。  先立った家族にも良い関係性だった人もそうでなかった人もいます。仲が悪かった人の場合、既に故人なのですから人を許す心を鍛える修行だと思って許してあげましょう。きっともう仏様になっています。こういう局面でも忍辱の心は活きてきます。  変えようが無い過去にこだわっても仕方がありません。過去の経験を今にいかすのは大切ですが、晴らしようが無い故人への恨みにいつまでも囚われるのは、ただでさえ短い人生の貴重な時間を無駄に消費するだけです。  良い関係だった家族にはお彼岸の機会に改めて感謝の心を伝えたいものです。直接の面識はなくても一族で語り継がれるようなすごい人や、墓碑に名前があるだけのよく知らないご先祖様、記録にないくらい昔のご先祖様、どんどんさかのぼって進化の起点となった核酸の塊に至るまで無数の命のつながりがいまここにあるのです。ありがたい事です。合掌。

令和三年、春の彼岸三日目

 春の仏教強化週間お彼岸の三日目です。六波羅蜜をお彼岸の各日にあてる風習では本日は忍辱の日です。  忍辱は耐えることです。どんなに辛い目にあっても心を乱さない事です。しかし、これは目の前で誰かが理不尽な暴力にさらされている時に見捨てる事を意味しません。暴力を振るう側に対して怒らずにその行動を阻止するよう努めるべきです。  一方、仏教の説話では手足を切断されようが命を奪われようが、一切の抵抗もせず忍辱しつづける行者の話もあります。日本では一般的では無いですが現代でも上座部仏教では全ての暴力を受け入れ抵抗しないという仏教者も多くいます。  これは上座部仏教において出家と在家が完全に分離されているから出来ることとも言えます。出家者の最高刑罰は僧集団からの追放です。その際に俗世での刑法に触れていれば世俗の者が処罰するのです。僧侶は非暴力を貫けますが結局は世俗の者が犯人を逮捕し処罰することで社会秩序が保たれるのです。出家者は世俗社会に支えられて存在しますから、社会秩序の維持の為にこのような役割分担が出来てきたのだと思われます。悟りを開けるのは出家者のみで在家はそれを支えるという形の上座部仏教ではそれでも良いのですが、在家信者も成仏を目指し世俗に生きながら仏道を進む大乗仏教では、他人の不正を阻止せずにおくのは難しい面もあります。例えば強盗が襲ってきた時に、犯人の望み通りに奪わせて犯人の証拠隠滅の為に殺されてあげたのでは犯人の悪事を助けてあげたことなり、大乗仏教の根幹である自利利他の精神に反します。殺してはいけないのなら殺さしめてもいけないし、盗んではダメなのなら盗ましめてもダメなのです。また社会的な公益の観点からも犯罪の幇助は許容出来ません。善良な市民は犯罪を防ぐように努めるものです。ともあれ、他人の非道を阻止するかどうかは別として、その際に怒らないようにするのはどちらの仏教の忍辱でも共通しています。そして最も大切なのはどんな苦難にあっても仏道を歩み続ける事です。  話が脇道にそれましたが、人は忍辱の修業により心の安定が得られるようになります。自分が酷い目にあったとの主観を一度すてて、自分と周囲の状況を客観的に観察できれば冷静さを取り戻せます。そもそも怒るような問題が起きた時に、怒りは冷静さ失わせるだけですので、実利的な問題解決のためにも忍辱は大切です。全ては関係性の中の存在で

令和三年、春の彼岸二日目

 春の仏教強化週間お彼岸の二日目です。六波羅蜜をお彼岸の各日にあてる風習では本日は持戒の日です。在家の五戒である、殺さず、奪わず、邪淫をせず、嘘をつかず、飲酒せずを守って参りましょう。とは言え、日頃から人殺しや窃盗や不倫をしたり嘘をついたりする人はそうそういないでしょうから、今日くらいはあるいはお彼岸の期間はお酒を控えるのもいいかも知れません。  昨日の布施と今日の持戒を合わせて利他の修行となります。布施が他人の為になるのは当然です。持戒を守れば自分のためになりますが、殺人も窃盗も不倫も虚言も誰かを傷つけることなのでそれを禁じるのは他を利する事になります。飲酒については、飲んだ勢いで色々と悪事を働きやすくなるので避けましょうということです。我慢しての禁酒ならストレスもたまるかも知れませんが、仏道の修行だと思うと達成しやすいものです。ぜひお試しください。

令和三年、春の彼岸入り

 はい、今年もやってまいりました春のお彼岸の始まりです。お彼岸は日本独自の仏教の風習でお墓参りをしてご先祖様を思い仏道修行に励む1週間です。また、春の彼岸の時期にはぼた餅を秋にはおはぎを仏壇にお供えしてお下がりをいただくという味覚に訴えかける美味しい風習もあります。  春分と秋分に祖霊を祀る風習は、仏教伝来前からあったと言われ、実際にこの日に先祖に思いを致す仏教行事があるのは日本だけなので、伝来した仏教と神道の風習が融合したものだと思われます。  ともあれ、先立っていった家族を思い出すにはいい機会です。仲が良かった故人もそうでなかった故人も、今となっては等しく仏様です。静かにお祈りさせていただきます。  彼岸の中日に先祖の墓に参り、前後3日の6日間を六波羅蜜の修行に当てるという風習も一部にはあるようです。その流れでは本日は布施の日です。何か他に親切な事をするように心がけてもいいですね。

良いことがあったら喜べばいいのよ

 仏教では執着を嫌います。全ては移ろい行くのだから世界よ止まれお前は美しいと言ったところで止まってはくれないのです。どんな喜びもいつかは滅ぶもので、苦の因でしか無いとしています。  では、何か自分にとって良いことがあっても、所詮は仮そめの物よと軽んじれば良いのでしょうか?そんな事はありません。例えば、今日食べる物があった事はその縁に感謝しながら喜んで頂いた方が美味しくなります。子供たちが遊ぼうと言ってくれば一緒に楽しく遊べば良いのです。ごちゃごちゃ言って子供たちを困惑させる方が罪深い事です。  楽しいこと嬉しいことを貪ろうとして他を傷つけるのはいけませんが、今の自分に与えられた良かった事はそれに至った縁のありがたさを思い素直に喜べばいいのです。それが無常であるからこそ良い思い出は貴重なのです。喜んでいるのが子供だと思えば分かりやすいです。子供が両親に自慢気に「虹がキレイだから見て!」と言ってきた時に、「虹など直ぐに消えるのにそんな物で喜ぶとは貴様は無常を知らぬ凡夫だな」と返事をするのと、「うわーキレイだね教えてくれてありがとう」と共に喜ぶのでは大きな差があります。どちらがより仏道にかなうものかは言うまでもありません。

変えられるのは自分だけでも

 多くの仏教書や説法で語られているように、仏道の修行とは基本的には自分を磨いて変えるためのものであり、他者を自分の思い通りにしようというものではない。これ自体は間違っていない。しかし、この考えを誤解して、どんなに他人が苦しんでいようが自分には関係のないことだと見捨てたり、また理不尽な暴力に悩む人にその状況を打開するような助けを与えずに苦痛を感じるのはその人に煩悩があるからで悪いのは環境ではなく苦しんでいる人だという仏教者もいる。こうした考えは明らかに間違っている。  また、どんなに研究しても研究し尽くす事が出来ないであろう宇宙についての学問も、役に立たない無駄なものだという僧侶がいる。おそらくお釈迦様の毒矢のたとえで説かれた、考えても分からない事に時間を割くのは無駄だとの見解をそのまま、現代科学への批判として利用したのだろうが、宇宙に関する知見が深まることで、例えば天気予報の精度が増し天災から身を守りやすくなったし、GPSによる測位で遭難も減った。今では地球に衝突しそうな小天体の監視まで出来ている。今すぐには役立たないような知見も将来多くの命を救うことだろう。無駄であろうはずがない。そもそも現代科学を無駄だと切り捨てるのならば、倶舎論の古代物理学的な範囲の物はどうしようというのか疑問だ。  学問も政治もやりかた一つで多くの人を救えるが、逆に多くの人命を奪うこともできる。仏教の話でなくても、権力なり知力なり体力なり財力なり何らかの抜きんでた力を持つ者に高い倫理性が要求されるのは人間が歴史の中で積み上げてきた社会の知恵だ。  仏道によって変えられるのは自分だけであっても、仏道修行で培われた慈悲の心は社会へ感謝とともに還元できるし、またそうするべきだろう。

日本仏教の在家主義

 日本仏教の批判として僧侶の戒律軽視はよく槍玉に上がるところだ。しかし、極論すればこれは日本仏教の伝統や特色と言ってもよいもので、それ自体は批判に値しないと断言する。日本仏教が上座部仏教と違うとかチベット仏教と違うと言う意味での批判ならありうるが、違うものなのだから仕方ない。  戒律が緩いことにより日本では聖俗の境が薄くなっており、在家に密着した教えが伝えられてきたとも言える。現代でも田舎に行けば、檀家と僧侶の関係は主従ではなく仲間だ。日本の僧侶の戒律破綻は明治時代から始まったとする言説が多いが、そもそもの始まりは平安時代に天台宗が具足戒を廃止し大乗戒に移行したところに遡ると言って良いだろう。その後、平安時代末期から鎌倉時代にかけての浄土思想の流行により、僧侶の世俗化はますます進んだと言える。また、僧侶の位も持っている上皇で、院政を施いた歴代の法皇もその政治的な活動が必ずしも戒律を守ったものでは無かったのは明らかであり、明治以前から日本ではあまり戒律は重視されていなかった。もちろん、日本の仏教が現在のような形になったのは明治以降であろうが、明治維新によって僧侶が身分から職業に変えられたのはきっかけに過ぎない。  そもそも大乗仏教は在家も成仏しうるとする教えであり、僧侶が在家に近い立場であったとしても問題は無いはずだ。個人的に厳しい戒律を守った方が修行が捗るのならばそうすればいいのだけの話であり、在家の生き方ではけしからんと言うのなら大乗仏教の存在意義からあやしくなる。  日本的な大乗仏教は社会に生きながら活かしうるものであり、多くの僧侶が街や村々をめぐりともに生きてきた歴史がある。寺院に閉じこもり己の修行にのみ専念した僧侶はむしろ少数派だろう。この伝統が今後も続くように祈る。

喫茶去

 喫茶去はものすごく有名な禅語なので改めて話すのも恐縮ですが、大学時代に茶道部だったこともあり今日はこの難問に挑んでみたいと思います。  まず、喫茶去の話を簡単にまとめておきます。唐の時代の趙州禅師が修行をしにやってきた二人の僧の片方に「以前ここに来たことはあるのか」と尋ねて、「あります」と答えると「まあお茶でも飲んでいきなさい」と言い、もう片方にも同じ質問をしてその答えが「ありません」でもやはり「まあお茶でも飲んでいきなさい」と言いました。その様子を見ていた寺の院主が趙州禅師に「なぜ二人の僧に同じことを言ったのか」と問うと、趙州禅師は「まあお茶でも飲んでいきなさい」と答えたという話です。  これは経験の深浅や身分の分別を超えた平等さを表しているとの解釈があります。分からないものをそのまま受け入れよと言う意味だと言う人もいます。過去、現在、未来においてなすべきことはただ一つだとする意見もあります。色々ありこの話に関して人の意見を聞くのは楽しいものです。  しかし、そうした難しい話はともかく、考え込んで悩んでいる時は、お茶でも飲んで一息入れると心も落ち着くことがあります。別にコーヒーでも紅茶でもいいですが、おそらく世界共通です。特に感情的になっている時こそ一旦その状態から離れ落ち着くことが大切です。私には趙州禅師がみんなに「まあリラックスして落ち着け」と言っているような気もします。  禅問答は心の鏡、皆様はどうお感じになられたでしょうか?  喫茶去。

前後際断

 前後際断は道元禅師の正法眼蔵の第一「現成公案」にある言葉で後に臨済宗の沢庵禅師が剣豪の柳生但馬守に今の瞬間に集中するように説いた時に使われた言葉としても知られています。  正法眼蔵の説明では、灰が薪に戻ることが無いように死が生に戻ることは無いが、生が死になるのでもなく薪は薪で灰は灰であるように生も死も異なる状態であるとするのが前後際断です。  失敗も成功の経験も現在の行為の参考には出来ても、過ぎ去った過去は変えられないのだから執着して思い悩んでも仕方がないのです。未来から見た時に変えられなくなる過去は今、この瞬間に作られているのだから、絶え間ない精進が必要なのです。  今さえ良ければどうでも良いのではなく、今やった事、今やらなかった事は、変更が出来ない過去になって積み重なるのだから真剣に生きないと後になって俺は何をしてたんだと思い悩む原因になるのです。  前後際断を語る時に過去や未来を軽視または無視するのが良いかのような説明が多いですが、私の個人的理解による前後際断は変えられない過去を無視することでも先の見えない未来をないがしろにすることでも無く、流れの中ではそのすべてを大事にしているから何かを出来る今を頑張るという意味だと思います。過去への感謝や反省も未来への展望も無いのとは、ちょっと違う。柳生但馬守は剣豪なので余計な事を考えずにその場の勝負に全力を尽くすのが正解ですけど、戦っていない時は今の修練のために過去の反省点を思い出したり未来に自分の理念を実現させようとその時々の今に修練する事もあったでしょう。  人は過去を完全に忘れれば傍若無人となるし、未来に目指すべき理想がなければ精進することもなくなります。こだわりすぎるのは禁物ですが、前後際断を刹那の快楽主義に誤解することが無いようにしたいものです。

仕事でも心こもれば菩薩行

 災害発生時にみられる地域住民の助け合いや域外からのボランティアなど無償で人の為に働く人達がいます。立派です。  消防、警察、自衛隊などの公務員はプロの集団です。素人と比べて技術や装備の質が高く、また仕事として活動しているので報酬をもらうのは当然です。こうした非営利だけど必要な公益を守るために、国民は税金を払っているのです。  過重な税金は社会にとって害ですが、程度な税金は社会の秩序を守る為に必要なコストでもあります。節税対策をした上で納める税金は、このお金が人々の役に立ちますようにとの布施の心で臨みたいのものです。  消防や警察や自衛隊は公益のための国営の非営利組織とも見れます。また、その組織を構成する人達は単に仕事だからやっているのではなく、社会に貢献する使命をもって働いている人が殆どです。給与に関してもそれが国民の附託であると感じています。人のために働こうとうする理念はボランティアに劣るものではありません。  このように他のために働く人は仏教者でなくても、ある意味で菩薩行をしているといえます。ボランティアや公務員だけでなく、一般企業や個人経営で仕事をする人も、作る商品や提供するサービスに関して、より良いものを目指して社会に貢献する心があればやはり菩薩行です。病気や怪我で不幸にして働けなくなり社会保障を受ける人達も、その存在はこの社会では弱者を見捨て無いということの証明であり、働く人々の心の支えになります。支援は国民からの布施だと思って堂々と受ければ良いのです。それに伴い生まれる仕事もあります。肉体的に働けなくてもその立場を正しく全うすることが社会に貢献するその人の仕事です。布施は行う方も受ける方も功徳となるので、これもまた菩薩行でしょう。  一人ひとりの力は弱くても、網の目のようにつながる縁は必ず世界に影響します。多くの人が菩薩行として各々の仕事をすれば、きっと世界は良くなっていきます。天台宗の一隅を照らす運動のようなものです。  災害に対する用意はインフラや装備類だけでなく、人々の心も大切です。皆が菩薩行をできれば心強い防備となります。精進して参りましょう。

チベット蜂起記念日

 3月10日はチベット蜂起記念日です。犠牲となった多くの人達のご冥福をお祈りします。  観音菩薩の化身とされる転生僧のダライ・ラマを法王にいただく仏教国のチベットは1949年より中国の侵略を受けました。1951年には名ばかりの自治を認められて講和し法王はチベットに留まっていたものの、主に東チベットで中国軍は寺院の破壊を行い、抵抗する地域住民らと散発的な衝突を繰り返していました。1959年3月10日、法王ダライ・ラマ14世は中国軍基地に観劇に来るように招待を受けていました。中国軍は3月9日になって、この観劇の際に護衛を付けずお忍びにするように法王に要請しました。この情報が市民に漏れ、中国軍が法王を監禁ないしは暗殺するかも知れないとの心配から、30万人もの市民が法王を守るために宮殿を取り囲みました。法王を守る市民と中国軍との衝突は避けられない状態となり、法王は自分がチベットにとどまると犠牲者が増えると判断しインドへの亡命を決断します。法王は3月17日に宮殿を離れますが、残念なことに中国軍は市民らの虐殺を始めおよそ8万7千人が死亡しました。また、中国の侵略前のチベットの人口は600万人だとされ、中国の侵略後の30年で人口の20%にもなる120万人もの住民が虐殺されたとも伝えられます。その後、現在に至るまで、中国による弾圧や文化の破壊による民族浄化政策は進行し続けています。  ただ、これほどの目にあっても、ダライラマ法王とチベット国民の多くは、慈悲の心をもって中国に接しており彼らの信仰心の強さを物語っています。まさに菩薩と言うにふさわしい人々です。  南無観世音菩薩。

完全主義批判あるいは、やらない善よりやる偽善

 「やらない善よりやる偽善だ!」とは有名な漫画の「鋼の錬金術師」の中に出てくるセリフだ。元ネタは2chだとする噂もあるが、この言葉が有名になったのはこの漫画の影響だろう。これは、漫画の中で戦時に別け隔てなく患者を治療する医師に対して偽善だとの批判が投げかけられた際に反論として医師が放った言葉だ。  いや、そんな状況なら偽善じゃなくね?とのツッコミもあるだろうが、人が何かの善行をなす時に自己の利益や名誉や満足の為という要素が全く無い事なんてありえない話で、自分の善い行いに対し偽善性を認識しておくのは慢の心を防ぐためにも重要なことだ。  それに、もし完全無欠の善でなければ何も行えないのなら、人に出来ることは何も無い。誰しも良かれと思ってしたことでも、部分的には問題を含んでいるものだ。池で溺れる子供を助けようとする時に、成長したその子が悪人になる可能性を考慮して見殺しにする必要は無い。そもそも悪人というのならこの世の人は大なり小なりみな悪人なのだ。助けた子供だって誰かに怨まれる事もあるだろう。  だからそんなことは気にせずに、人は正しいと思うことをやればいい。間違いに気づけば謝ればいい。偽善になることを恐れて何もしなければ、短い人生は本当に何もせぬまま終わるだろう。たとえ自分が何もしなくても、それが誰かにとっての悪にもなる。他人に迷惑をかけないで生きている人間なんていない。お互いに助け合って感謝の念をもつことが肝要だろう。  そもそも論として、行動しなければ試行錯誤によるやり方の改善も出来ない。頭で考え続けて導き出された理想的な行動規範は、実際にそれを元に行動を起こすとすぐさまボロが出るものだ。あらゆる物事は実践の中で改善するしかない。  全部を誇れないまでも、自分なりに出来ることはやりきったと思って死にたいものだ。

国際女性デー

 3月8日は国際女性デーです。1904年3月8日にニューヨークで女性参政権を求めるデモがあった日を記念して国連が国際婦人年であった1975年に3月8日を国際婦人デーと定めましたが、1910年から社会主義者の間では記念日とされておりソ連誕生のきっかけと1917年の二月革命もグレゴリオ暦3月8日(ユリウス暦2月23日)に行われていた女性のデモが起点となったともいわれています。  しかし、ニューヨークのデモから一世紀以上が経っても女性は社会的弱者のままです。日本でも女性は入学試験では密かに減点され、働けば待遇が悪く、主婦として過重労働をしていても楽をしているなどと叩かれます。森発言なども記憶に新しいところです。また、中東から南アジアの風習である名誉殺人の被害者も女性が殆どです。  こうした問題を解決するにはやはり声を上げていくしか無いです。象牙の塔や方丈の中であれこれ考え仲間内だけで納得して完結しても社会は微塵も変わらないのですから。

市民的不服従

 ミャンマーでのデモ活動でCDMと書かれたプラカードをよく目にしますが、これは"Civil Disobedience Movement"の略で、市民的不服従運動という意味です。市民的不服従とは、良心と照らし合わせて法律の方が間違っている場合に意図的に公然と非暴力的手段で国権に服従しないことを言います。今回の軍事クーデターにより、市民の再民主化を求める動きはミャンマーの国としては違法行為となりましたが、武器を持たない多くの市民がこれに立ち向かっているのです。この市民的不服従を国民運動にしようとしているのが今ミャンマーで言われているCDMであり、世代の古い人にわかりやすく言うとゼネストの呼びかけのようなものです。  組織化されて近代兵器を用いる国軍に対して市民が武装蜂起したところで皆殺しにされるのがオチであり、なかなか冷静な判断だと言えます。ビルマ人は上座部仏教の信者が多いので不殺生戒の影響もあるのかも知れません。  ミャンマーの前政権と停戦合意に至ったカレン民族同盟も市民らのCDMを支持しています。彼らの認識としてはCDMは武器を用いない戦いなのでしょう。なお、日本の公安調査庁はカレン民族同盟を国際テロ組織と認定しますが、ミャンマー国軍はテロ組織とはみなしていません。日本の右翼にもミャンマー国軍を批判すれば中国になびかれるから国軍を支持するべきだなどという輩もおりますが、倫理的にも政治的にもミャンマー国軍の支持などありえません。  また、異民族相手なら慈悲の欠片もなく虐殺を行うミャンマー国軍でも、ビルマ人同朋に対してはいささか良心も痛むのでしょう。異民族と比較して明らかにその攻撃の手はゆるいものです。これはミャンマー国軍に蔓延するレイシズムの表れとも言えます。  あと、ミャンマーは「上座部」仏教の国だから仕方ないのかも知れませんが、今回のクーデターに関して上座部仏教界の反応の鈍さには「大乗」仏教の日本人としてはいささか歯がゆい思いもします。日本上座部仏教修道会もこの時期でも語ることは自分たちの戒壇仏塔建設の話ばかりです。日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老もミャンマーの軍事政権を批判し仏僧として布施を受けないなどの対応や平和的な抵抗は可能としつつも、制度としての軍政が悪いわけでも民主主義が良いわけでもなくこれはあくまでもミャンマー人の問題であ

ビルマ人以外

 ミャンマーの軍事クーデターでスーチー女史や軍政に反対するビルマ人への弾圧が日々報道されている。なるほど、彼らへの支援は必要だ。しかし、かつての軍政時代はもちろんのことスーチー政権下においても弾圧され続けてきたミャンマー国内の諸民族についての報道は少ない。軍部が少数民族への懐柔に動いているとの報道もあるが、現実にはタイ国境への避難民は増加傾向にあるとも聞く、長年に渡りビルマ人から弾圧を受けビルマ人の軍から虐殺され続けてきた諸民族がおとなしく矛をおさめることは無いだろう。  ミャンマーにおける民族浄化と言えばロヒンギャが有名だが、シャン人、カレン人、カチン人などミャンマー東部の諸民族もビルマ人による民族浄化の対象であり、タイ王国の西側国境付近には彼らの避難民キャンプが連なっている。これらの民族の軍事組織は日本の公安調査庁からは国際テロ組織に指定されているが、ミャンマー軍の非道に比べればどうと言うことは無いレベルなのは明白だ。  ミャンマー軍は、彼らが少数民族と呼ぶ人々の村を焼き、強制労働をさせ、文化・言語教育を制限し、簡単に殺戮する。家族を殺され難民キャンプにおちついた男の子たちの多くは国際テロ組織の兵士になりたいと希望している。ビルマ人に復讐するためだ。  怨みは怨みによって果たされず、とは法句経に説かれる教えであるが、大多数が仏教徒であろうミャンマー国軍はかかる非道をなしても怨まれはしないなどと思っているかのような暴挙を繰り返している。愚かなものは自分の行った悪事に気がつかない、とも法句経は説いており国軍指導部は愚かなのだろう。

現代中国の仏教

 漢土の仏教といえば南北朝、隋、唐、宋、明の時代には日本仏教に多大な影響を与えてきました。その後の時代はやや衰退していくのですが、かの地に中国が成立して以降も仏教は残っています。しかし、もちろん現代の中国の仏教は共産党の管理下にあるため、特色あるものとなっています。  中国仏教協会という仏教を共産党の管理下におくための組織がありますが、その初代名誉会長はなんとダライ・ラマ14世です。当時は中国によるチベット侵略の直後であり政治的な思惑も多かったのだと思われます。とはいえ中国仏教の主流はチベット密教ではなく、禅や浄土思想です。  さて、そんな中国仏教協会ですが、人間仏教なる独特な思想があります。それは、仏教は中国人民の服務に積極的に協力することにより現世で人々に利益をもたらすべきとするものであり「荘厳国土 利楽有情」とも言われています。別にインフラの整備などに協力いただく分には何の問題も無いのですが、独裁国にあっては危険な感もあります。実際に、大多数の人民を救うために一部の悪魔(反体制派)を殺すのは仏の慈悲であるとまで説かれる事もありました。文化大革命を生き残った集団は一味違います。  日本だと黄檗宗が中国仏教との関係が強いので、信仰面で興味がある人は参拝してみてもいいかも知れません。お経も独特の節回しで面白いです。

煩悩が無いのは無気力か?

 怒りや貪りは仏教で滅すべきとされる煩悩の代表格として有名です。しかしながら、人にこうした情動が無いのは単に無気力ではないのかという指摘が時々あります。果たしてそうでしょうか?人の行動の動機には怒りや貪りしか無いのでしょうか?少し考えてみたいと思います。  過去を振り返ると、人の歴史とは概ね戦争の歴史です。そして戦争は確かに貪りや怒りから生じています。戦争は誰かの煩悩が無いと起きないようです。ただ巻き込まれた方には迷惑な話です。煩悩による戦争を起こさないのは無気力かというと、もちろんそんな事もありません。戦い以外で精力的な活動をした人も多くいます。  商売で財をなした人たちはどうでしょう?確かに、はじめから大金を貪ることを目指して頑張った人も多いですが、何らかの理想を目指した結果として財産を築いた人たちも少なくありません。歴史的に語り継がれるのはこうした理念を持つ資産家の方です。モノ作りに関してはスティーブ・ジョブズや、松下幸之助などもそうです。より古い時代でも三国時代の呉の魯粛やアメリカ独立戦争時代のハイム・ソロモンなどの富豪は、後の見返りを期待していたかも知れませんが、公的理念の為に私財をなげうつ賭けに出ました。人は煩悩に取り憑かれていなくても大きな事業を行えるものなのです。  仏教は苦しみを滅するためにお釈迦様が修行して発見された教えです。この世の全ては究極的には苦であるけど、苦の原因である煩悩を滅すれば苦もまた滅びるとするものです。  天正10年に織田軍に焼き払われた恵林寺で焼死した禅僧の快川紹喜の辞世ともなった「心頭滅却せば火も自づと涼し」との言葉にあるように修行した僧には生きながらに焼かれるのも苦では無いようです。では、煩悩が極めて少なかったと思われる快川紹喜は無気力だったのかと言えばそんな事はありません。そもそも恵林寺が焼き払われたのは快川紹喜が、織田家と敵対していた敗者をかくまいその受け渡し要求を断ったからです。宗教者としての筋を通したわけですから気力は十分だったでしょう。  怒らなくても悪に立ち向かえますし、貪らなくても結果として財をなすことも出来ます。人は怒りや貪りの心を動機にしか活動できないなんて事は無いのです。

努力と成功

 社会的あるいは経済的に成功した人達は後日、自分がいかに努力したかについて熱く語りがちだ。彼らが努力したことについては恐らく本当であろう。大したものだ。何かをなそうとしたら努力抜きには済まされない。ここまでは厳然たる事実だし何も問題ない。だが成功者の多くはここで間違う。自分と同じ努力をすれば人はみな成功するとして、成功してない人を努力もせずに文句ばかり言う困った人だとみなしがちになる。  何かのシェアを奪い合うような業界では成功者となるのは数えられるくらいのごく少数の人間であり、敗れ去っていった人達は努力をしなかったのではなく単に席の数がすごく少なかったから成功出来なかったに過ぎない。いわゆる成功者と同じ才能がある人が同じような努力をしたところで、無事に成功する確率はかなり少ないことを保証しよう。  成功者は自分の努力だけで成功したのではない。丈夫な体と賢い頭に生んでくれた両親や、経験が少ない時期に指導してくれた師たち、事故や天災に巻き込まれずに済んだ運のよさ、成功する前に支えてくれた知人や友人たち、そうした好条件が重なった結果として成功があるのであり、自分の努力のみで成功したかのように慢心するのは良くない。  仏教的にいうとさまざまな縁に支えられて成功したことになる。昔の人はそれが分かっていたから、成功をおさめると公益のために働いたり多額の寄付をしたりしたものだ。社会に対する恩返しだ。古い街の石橋や寺社などはお金持ちの寄進によるものが存外に多いのはそのためだ。今の成功者はといえば、そういう恩を忘れ、社会的弱者を蔑むような言動をする人も少なくない。もっとも、世界中の人が知っているレベルの成功者は流石に慈善事業などに熱心な人が多いが、ちょっと小金を稼いだくらいの人が陥りがちな誤ちと言えるだろう。  仏道上の努力は精進といわれるが、精進は前提であって自分の努力により何かの成果が出たなどと思えば、その精進は全く無価値になるのを忘れてはいけない。物事が上手く行っている時に驕らない、上手くいかない時に恨まない。平常心是道。

パゴダ

 日本でパゴダと言うとミャンマー式の仏塔の事を示す場合が多いですが、Pagodaは英語で仏教やその他のアジア地域の宗教の塔のことで、日本のあちこちのお寺にある五重塔も英語ではPagodaと呼ばれます。  日本でパゴダというとミャンマーが思い浮かぶように、ミャンマー国民の九割が上座部仏教を信仰していると言われています。一方で、ミャンマーは135もの民族により成り立っている多民族国家です。ミャンマー国内で被差別的立場にあったイスラム教徒であるロヒンギャが上座部仏教の僧侶の煽動もあって虐殺されるという悲しい事件も記憶に新しいところです。ロヒンギャ以外にもカレン人、カチン人、シャン人などがミャンマー最大民族のビルマ人と対立しています。こうした火種を抱えるミャンマーが軍政化したことでまた紛争が激化する恐れもあります。ビルマ人内部でも軍政府がそうでない人間を弾圧・殺害しているのは報道の通りです。  多くの弱者がいたぶられる現状を見ていると、いったいあの大量のパゴダは何のために建っているのかと思わざるを得ません。民主化すれば問題が解決するわけではありませんが、かの国がはやく正常化するように祈ります。

世の中は見方により変わるものか?

 昨日、唯識の話もしたのでその流れで世の中は見方によって変わるものかについて考えてみたいと思います。  唯識と言うと唯心論と勘違いされやすいのですが、唯識では外界はちゃんと存在しています。むしろ外界をどう認識するかによってその人にとっての世界は変わってしまうので、どうやってありのままにものを観るのかというのも唯識的な考えです。  外界をどう認識するかにより少なくともその人にとっての世の中も変わるのであれば、色々と問題が多いこの世も見方を変えると素晴らしい世界となりうるのかという疑問も生まれます。実際に、日本のいろいろな仏教者は、実はこの世が仏国土であったと気づき喜ぶという思いを書き残しています。  日本に限らず世界の歴史は概ね悲劇の歴史であり、凶事ばかりが事細かに記録されているものです。この世の一切は苦であるとの思想は原始仏教からの基本でもあります。ただ、この世は苦に満ちてはいますが、ずっとこの世を守ろうとする人達もいたから歴史は続いてきたのです。いつの世も善い人はいたし、悪い人にも改心の機会は常にあったのです。とは言ってもそれだけで、この世が仏国土だと観ることは難しいです。おそらく彼らは祈りや禅の中に何かこの世に関する特別な認識を得たのでしょう。  そういう物が見えなくても、あまりものを考えすぎな時はいったん考えるのをやめてぼんやりしてみるのも良いでしょう。思いつめているよりも良い世界が見えてくるはずです。良い方に世界を観るのは難しいですが、悪い方に考えようとするのは容易であり、きっと人は悲観的に世の中を見すぎなのだろうとは思います。だから、きっと見方により世の中は変わるのです。