投稿

ラベル(科学の話)が付いた投稿を表示しています

オミクロンと進化論

 1月9日に公開されたAbema的ニュースショーで舛添要一元厚生労働大臣が新型コロナウイルスのオミクロン変異についてまたおかしなことを言っていた。舛添氏は東京大学法学部卒であり学歴的に言えばエリートだと言える。しかしながら、ウイルスが意思をもって合目的に進化するなどといった少なくともダーウィニズムには反する事を公に発言してしまっている。しかも、その場に居合わせた番組のキャストも誰一人としてツッコミを入れていない。日本の教育制度にいかに問題があるかを物語る一幕であった。他にも酷いことを吹聴していたが割愛して、本日は進化論に関する誤解を説明していきたい。  まず、はじめに断っておくが舛添氏が抜きん出ておかしい訳ではない。学歴や経歴を考慮すると問題ではあるが、日本人の大半は生物は何かしらの目的のためにその意思をもって進化したのだと信じている(ちなみにウイルスは一般的には生物ですらないとされる)。もちろんこれは間違いなのだが、教育系のテレビ番組でも、例えばキリンは高い木の葉を食べるために首を長くする進化をしたのだという感じの間違った説明はしばしばされる。彼らの発想では昆虫の擬態だって捕食者から身を守りたい個体の祈りが天に通じてその身を変じたかのような言いようだ。この文章を読まれている方の中にももしかしたらそのように思っている人がいるかも知れない。  さて、日本を始め世界中の学校でスタンダードとして教えられている進化論はダーウィンの進化論の系統のものだ。先に私がおかしいといった目的論的な進化論はラマルクなど古い世代の説であり、ポケモンの進化のようなおとぎ話だ。ダーウィンの時代は遺伝子はまだ明らかになっていなかったが、概ね次のように考えられていた。それは、個体間には形質の差があり、環境によって生存や繁殖に有利な形質をもつ個体が選別されて増えた結果、その形質が世代ごとに蓄積されていくというものだ。だから、キリンは首を伸ばしたくて伸びたのではなく、首の長い個体が生き残りやすかったから徐々にそうなったのであり、昆虫の擬態も様々な変異のうち捕食者に発見されにくい個体の特徴が引き継がれてきた結果に過ぎない。そういう特徴を持ちえなかった集団は環境に適応した他の進化を遂げたか絶滅したかということになる。後に遺伝子やその仕組が解明されていっても、ダーウィンの唱えた進化論の大枠は変わっていない。