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6月, 2020の投稿を表示しています

大祓

 今日は神道行事の大祓の日です。記紀神話のイザナギノミコトの禊祓に由来する行事で、6月と12月の晦日に半年に溜まった汚れを払い清める目的があります。12月の年越しに対して6月は夏越まつりとしても有名ですが、新暦でやると梅雨時なので月遅れの7月末にする地域も多いです。茅の輪をくぐったり紙の人形に息を吹きかけた事がある人も多いでしょう。  さて、神道では禊祓いをとても大切にしています。それは、余計な汚れを払って残る我々の魂は神様に連なる清いものだとの信仰があるからです。  この考え方は大乗仏教の如来蔵思想によく似ており、果たして神仏習合により神道が仏教の影響を受けたのか、はたまた、元々似ていたから習合したのか興味深いところです。  人がみな神仏たりうるという考えは他人に対する敬意を生み、平和をもたらすもののように思えます。払え給え清め給え。合掌。  

スプラッシュ・マウンテンのテーマ変更に関する日米世論の違い

 アメリカのディズニーランドほか世界3ヶ所にあるアトラクションのスプラッシュ・マウンテンが人種差別的だとして、アメリカ国内の2ヶ所ではそのテーマが変更されることとなった。東京ディズニーランドにもある施設でこちらもテーマの変更が検討されている。それぞれ30年くらい前からあるアトラクションなので、初期に子供連れで楽しんだ人たちなどは、3世代に渡っての楽しい思い出があるかもしれない。  今回はこの問題に関する日米世論の違いについては考えてみた。大規模調査を行った訳ではなく、ネット上の書き込みからの印象だが、英語での書き込みは変更支持派が多く、日本語のそれは変更反対派が多い。この結果の考察に先立ち、前提となる経緯を少し長めにお話しするので、よく事情をご存知の方は最終段落まで読み飛ばされたい。  さて、スプラッシュ・マウンテンの内容は丸太のボートに乗ってウサギどんの童話の世界をめぐるもので、笑いの国を目指して旅立ったウサギどんがキツネどんやクマどんに追いかけられながらも、最後に帰り着いた故郷が笑いの国であったと気付き大団円となる青い鳥のようなお話だ。終盤に滝壺を模した場所に水しぶきを上げながら落ちるジェットコースターの丸太のボートがこのアトラクションの見どころとなっている。  この内容だけだと一体なにが人種差別的なのか理解に苦しむと思うが、実はアトラクションの内容ではなく、このアトラクションのテーマが問題となっているのだ。ディズニーランドのアトラクションにはそれぞれテーマとなる原作があるが、スプラッシュ・マウンテンに関してはテーマとなった原作映画を見たことがある人は少ないだろう。スプラッシュ・マウンテンの原作である1946年公開の「南部の唄」という作品は人種差別的だとの批判を受けて1986年から封印作品となっている。封印されたのは、スプラッシュ・マウンテンが最初に稼働する1989年より前のことなので、はじめからテーマを差し替えるという手も当然あったが、ディズニーが「南部の唄」を使って人種差別を助長する気など毛頭なかったのは明らかだし、アトラクションの内容自体には特に問題がなかったのでそのままにされたと思われる。様々な違いを超えた融和を唱えるディズニー映画では「ズートピア」が有名だが、主役のウサギとキツネは「南部の唄」を意識したものだろう。多くの人に愛されながら封印を余儀なくさ

特別養護老人ホームにおける事故

 一昨日、特別養護老人ホームで認知症の患者様が溺死した去年の事件で担当の介護福祉士が書類送検されたとの報道がありました。まずは亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。  さて、事件の発生から送検まで1年ほどかかっており、時間をかけての捜査がなされてのことなのか、後日に告発をうけたものなのか分かりません。なので、今回、送検された方の批評は控えます。ただ、あくまでも一般論として、目を離したすきに溺死したとのことを考えると、やはり慢性的な人で不足が遠因となっている感はあります。  今回の事件では施設の規模やスタッフ数は分かりませんが、概ね全国的に似たような状況かと思われるので、細かいことがわかっている例を上げて考えてみます。今月上旬に職員による組織的な入所者虐待事件が話題になった特養では看護師と介護福祉士33名で80名の入所者の介護をしていました。実際は残業やサービス残業もあるでしょうが、1週間に5日間、1日8時間働いた場合、その施設の1時間あたりの平均スタッフ数は約8人となります。1人で10名の入所者を介護する計算です。特別養護老人ホームの入所者は5段階の要介護度で3以上の自力での歩行に障害がある人ばかりです。この施設では不適切な身体抑制が虐待に当たるとして問題となりましたが、こうした人員不足の状況でもスタッフは、十分な介護を行い、入所者に人間らしい生活を送らせ、身体抑制は禁止されるが転倒・転落・窒息・溺水など完全に防止しないと責任を問われます。しかも過重労働で安月給とかいったいどういう拷問かと問いたい。  以前紹介したユマニチュードという認知症介護技術(解説回の記事はこちらをクリックしてください http://www.angodo.com/2020/02/blog-post_28.html )がありましたが、あれも認知症の患者様が人間らしく生きていく上で生じる事故に関しては寛容な社会でないと全面的な実施は困難です。溺水や窒息や転落はもちろん様々な工夫で防ぐようにしなければいけませんが決して無くなることはありません。もちろん、一部の異常者のように意図的に虐待や殺害を企てていないかは警察の調べが入るでしょうけど、事故の全てに介護福祉士の責任が問われるのは現場の士気にも関わります。  こうした問題を解決するには、公的資金の注入による人員の確保、社会的にも生活に伴う事故死

醍醐味

 若い人はあまり使わないかも知れませんが、醍醐味という日本語があります。物事の本当の面白さや深い味わいを示す言葉です。今日はこの醍醐味が仏教用語由来だという割と有名な話に関して少し語ります。  昨日、五時八教の教相判釈を説明しましたが、五時にはそれぞれ五味という牛乳を精製してできる食品の味も例えられています。五味は涅槃経に説かれており、乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味と順に熟成されていき、最後の醍醐味が最高の味だとされ涅槃の境地に例えられています。この五味は五時八教の教相判釈では五時にそれぞれ当てはめられており、華厳時=乳味、鹿苑時=酪味、方等時=生酥味、般若寺=熟酥味、法華涅槃時=醍醐味、となります。あと、昨日書きそびれましたが、五時は日の出から正午までの時間を表しており、華厳寺が日の出で法華涅槃時が正午となり、とにかくいろんな例えを使って法華経と涅槃経を礼賛している訳です。  さて、そんな最高の味の醍醐味ですが、その製法は残念ながら失われており正確にはどのようなものだったのか分かりません。しかし、かつて大正の世の日本で醍醐味が発売されていたのをご存知でしょうか?現在のカルピスの前身となったラクトーより大正6年にクリームを発酵させた醍醐味という名の商品が発売されていたのです。  カルピスの創業者である三島海雲は浄土真宗の寺の子として生まれ、僧として得度も受けていました。明治38年に清朝に渡り貿易商をはじめます。明治41年に軍馬調達のために訪れていたモンゴルで体調を崩し、現地の人から頂いた発酵乳を飲んで体調を回復したと伝えられます。しかし大正4年、清朝での事業に失敗し、さらに辛亥革命で清朝が滅んで中国が成立したのを機に無一文で帰国します。失意の帰国かと思いきやそんなことはなく、モンゴルで自分を救った発酵乳を広げることで、日本に心とからだの健康をもたらす事を発願しさっそく研究にとりかかりました。さすが僧侶ですメンタルが強い。三島は人柄もよく支援者にも恵まれたとされ、帰国翌年には醍醐味合資会社を設立、更に大正6年にラクトー株式会社を設立し、先述の醍醐味を発売しました。ネーミングは明らかに仏教の影響です。醍醐味はクリームを発酵させたもので、牛乳からクリームを分離した後の脱脂乳も発酵させて醍醐素という商品名で発売し、これが後のカルピスの原型となります。しかし、生菌を使った

五時八教の教相判釈

 五時八教の教相判釈とは天台宗に伝わる仏典の分類です。現実にはお釈迦様がお亡くなりになってから大量に作られた多様な諸経典も、当時は全てお釈迦様が説いたとものと考えられていたので、それぞれの経典の内容の矛盾をどうにかして解消するために、経典の分類とその時系列的なつながりの物語を作り上げたのです。  こうした分類は歴史学的に間違っているが故に昨今では批判や軽視される事もありますが、全ての人を救おうという大乗仏教の理念や、天台宗より生まれた数多くの鎌倉仏教などへ与えた影響などを考えると、歴史学は一旦おいておいて見るべきものがあります。本日は天台宗教学の入門書とも言うべき天台四教儀から五時八教の教相判釈を解説していきます。  五時八教のうち時系列の分類が五時の分類で、お経を内容や対象について分類したのが八教の分類です。八教の分類はお釈迦様の説法の仕方で分類した化儀の四教と、教説の作用で分類した化法の四教とに分かれます。これらは相互に関係しあっていますがまずは五時の分類から説明します。  まず五時の第一は華厳の時です。お釈迦様が悟りを開いたそのままの内容を説いた時期で、その内容をまとめたお経が華厳経だとしています。華厳経に「初発心時便成正覚 所有慧身不由他悟 清浄妙法身 湛然応一切」とあります。その意味は、「最初に悟りを目指そうとする心を起こした時に悟りは達成される、仏にそなわる智慧は他人の助けによっては起きない、清らかな仏の身はこの世の全てのものにあふれて応じてくれる」となります。大乗仏教の如来蔵思想に通じる考え方です。 お釈迦様の悟りは大乗仏教のそれであったと主張していることとなります。 また、華厳経は奈良の大仏で有名な盧遮那仏を中心として説かれています。盧遮那仏は密教で言う大日如来のことでこの世の全てを包含する仏様です。さて、そんな華厳経ですが、お釈迦様が盧遮那仏としての荘厳なお姿でこのお経の内容をそのまま説いた所、誰も理解してくれなかったとされます。  五時の第二は鹿苑時です。高等な話を理解してもらえなかったお釈迦様は、一介の修行者の格好にもどって、かつての修行仲間がいる鹿苑を訪れ、誰にでもわかる内容の説法をされたとしています。この時に説かれたのが阿含経と言われる歴史学的には最古の仏典群です。ここでの教えは、以前紹介した四諦八正道、十二因縁、六度などです。すなわち、物

社会制度的人種差別

 昨今の黒人差別反対デモや武力闘争あるいは略奪・暴行・破壊行為などの報道で、なぜ彼らが暴力を行使するのかを説明する際に、"Systemic racism"という言葉がよくみられる様になりました。日本語で言うと社会制度的人種差別という感じです。  長い間、差別を受けてきた黒人などのマイノリティーはアメリカ国内で居住地、借金やローン、教育、就労、医療などのあらゆる面で社会的な不利益をこうむってきました。その結果、彼らは総じて貧乏であり居住環境や栄養・健康の問題をかかえ、十分な教育を受けられず、そのせいで次の世代も貧困となりそれが社会制度的に続いていくのです。また、仮にある黒人が人一倍努力して良い大学を良い成績で卒業できても白人よりも不利な就職しか出来ないという事態も続いてきました。犯罪に関しても同じ犯罪を犯しても逮捕から裁判そして刑の執行に至るまで、白人よりもひどい扱いを受けて来たとされます。  このような社会的不正義に対して、非白人はアメリカ建国以来ずっと抵抗してきましたが、現在も差別は制度として社会に定着しており、もはや通常の手段では問題を解決することは出来ない、だから悪しき社会に対するあらゆる破壊活動は許容されるべきだと言うのが、暴力を肯定する人たちのロジックとなっています。この理屈では、差別とは無関係そうに見える一般の商店も、実は全て人種差別の結果出来たものなのです。そういう視点だと、辺り構わず略奪・暴行の限りを尽くしてもそれは正義なのです。  日本での報道でもこの論法で暴力を肯定する物が散見されます。しかし、暴力に頼れば事態は改善するのでしょうか?私には暴力が社会的分断と憎しみと差別を拡大させているようにしか見えません。また暴力を肯定する文脈で社会制度的人種差別という言葉を使うと、社会制度的人種差別の本来の問題点が軽視されてしまいます。暴力以外の手段でこの問題が解決されるように祈ります。

剣道と仏教

 剣道と言えば道場に神棚があってどちらかと言うと神道というイメージが強いですが、禅宗など仏教の影響も強く、剣禅一如(剣も禅も究極的には同じ)という言葉もあるくらいです。禅の指導で師と弟子が協調する卒啄同時という考え方も多くの剣道人に引き継がれています。  また、自他不二という仏教の言葉も多くの剣士が使っています。昭和の剣聖の一人である斎村五郎先生も自他不二の心を大切にしていたと伝えられます。自分も他人も全ては平等で同じものだと見るこの考えは、勝負の相手にも適応されます。  斎村五郎先生は、武術教育は勝負に勝つためでなく人間を形成するためにあると考えておられました。斎村の先生であった楠正位も「剣道は武士道を実行する為に修行するのだ。武士道を離れた技術だけなら虎狼の如きである。」と言っていました。元来、剣術は相手を殺す技術なだけにその研鑽を積んだ者は、強く己を律する必要があるのです。示現流の開祖である東郷重位も、日頃は刀の鍔をこよりで固定してすぐには抜刀できないようにしていたと言います。やむを得ず切る場合にも、義によってであり己の欲望の為であってはならず、相手への憎しみや怒りに心が支配されてはいけないのです。  日本に伝わる剣道、茶道、華道、香道などなど、道がつくものは単に技術の習得を目指すためだけでなく、日本の伝統的な精神文化を伝えるものでもあります。特に剣道などの武道は他人を傷つけうる技術であるがゆえに、その技術はそれを学ぶ自分自身を律する精神と不可分の「道」として伝えられていたのです。武道が礼を重視するのはそのためです。伝統的な道でなくても、日本人は何らかの技術と精神性をあわせて指導する時には何々道という新語をつくりがちなのは、この影響かと思われます。  しかし、昨今、スポーツと化しつつある日本の武道にこうした精神性はいかほど伝わっているでしょうか?武道も仏道も神道も廃れつつある今日、道の復興に努めたいものです。

沖縄終戦の日

 昭和20年(1945年)6月23日午前4時、沖縄戦の日本軍指揮官牛島満陸軍大将が割腹を遂げ、日本軍の組織的抵抗は終わり沖縄戦は終結しました。約3ヶ月に渡る戦闘で散った20万人にも及ぶ犠牲者に祈りを捧げます。  沖縄では終戦の日は8月15日ではなく6月23日で、この日に慰霊式典が行われます。今年は新型コロナウイルスの影響で慰霊式典は縮小し、会場も沖縄県平和記念公園内の平和の礎の広場から同公園内の国立沖縄戦没者墓苑に変更される予定でした。しかし、この墓苑の周囲には戦没した軍人らの慰霊碑が立ち並ぶことから、殉国死を追認するとか犠牲を美化するなどとの批判が有識者から出て、例年通りの広場に戻されました。  沖縄戦は捨て石作戦などとよく言われますが、大本営としては沖縄を決戦の場とみなして準備を行っていました。当初は現地の第32軍もその方針でしたが、沖縄防衛の為に呼び寄せた最精鋭部隊の第9師団が昭和19年末から翌20年始にかけて台湾方面に抽出されてしまい、持久戦に作戦を変更せざるを得なくなりました。また、精鋭部隊の穴を埋めるために、多くの沖縄県民が動員されることとなりました。こうして作戦の変更などからよく準備も出来ていなかった昭和20年3月26日より沖縄に対する米軍の本格的侵攻が始まってしまい、主に航空戦力を基軸とした決戦を企図する大本営と地上での持久戦を狙った現地軍の考え方の違いを調整する間も無く戦闘に突入したのです。第32軍に残された力とその方針では、沖縄の航空基地を維持することは不可能でしたが、大本営からの奪還命令などを受け持久戦に徹することも出来ず戦力を消耗していきます。他方、沖縄での決戦を目指す大本営は残る海軍力のほぼ全てと大量の特攻機を用いてアメリカ軍に大打撃を与えますが、連合艦隊も壊滅します。沖縄防衛の為に多くの若者が体当たりの特攻で散っていきました。日本軍の海上と航空戦力が喪失してからも第32軍は戦い続け、敗戦間近の6月18日にはアメリカ軍の司令官バックナー中将も日本の攻撃を受け戦死しました。一連の日本軍の徹底抗戦の結果、アメリカ軍の侵攻は慎重になり本土が救われたのは事実です。海軍中将の大田実も自決前に送った最後の電報で、多大な犠牲を払った沖縄県民に後世に特別のご高配を願う文章を綴っており、被害の凄まじさが忍ばれます。しかし、それは換言すると沖縄県民の犠牲で日本

梁塵秘抄より3

 後白河法皇選の梁塵秘抄から今様の紹介の3回目です。  仏も昔は人なりき  われらも終には仏なり  三身仏性具せる身と  知らざりけるこそあはれなれ  現代語では   仏様もかつては人であった   私達も最終的には仏になれる   仏になれる素質を持っているのに   それを自覚していないのは残念なことだ  となります。  誰でも仏になれるというのは、大乗仏教の如来蔵思想と呼ばれる考え方です。生き物は全て仏になる可能性を秘めていますが、すぐ来世で仏になることが出来るのは人だけであり、また転生の中で人に生まれる可能性はものすごく低いというのが当時の常識でした。この今様は、せっかく人に生まれ仏になれるチャンスを得た私達なのに、多くの人が煩悩にまみれて無駄に人生を過ごしていることのもどかしさを歌っているのです。  この今様は替え歌の方が有名で、平家物語で白拍子(男装の芸妓)の祇王がうたっています。  平清盛にみそめられた祇王でしたが、祇王が情けをかけた後進の仏御前に心移りした清盛から捨てられてしまいます。しかし、仏御前は祇王に義理立てをして清盛になびきませんでした。女心がまるで分かっていない清盛は、こともあろうか、捨てた祇王に仏御前の機嫌をとるための歌や舞を奉じるように命じるのでした。その場で祇王はこう歌いました。  仏も昔は凡夫なり  われらも終には仏なり  いずれも仏性具せる身を  隔つるのみこそ悲しけれ  先述の今様に仏御前と自分の悲しさを取り込んで即興の詩として歌ったのでした。  その後、祇王とその母と妹は出家し仏道に入り、程なくして仏御前も後をおって出家し四人で過ごしたということです。後白河法皇の長講堂の過去帳にはこの四人の名があると言われており、女性たちの悲しい運命に法皇も心をよせていたのかも知れません。

梁塵秘抄より2

 日本が生んだエクストリーム法皇、後白河院が編者の梁塵秘抄より今様の紹介の第2回目です。  遊びをせんとや生まれけむ  戯れせんとや生まれけん  遊ぶ子どもの声聞けば  わが身さへこそ揺るがるれ  遊び戯れる子供らの声を聞いて自分の体もついつい動き出してしまう情景をそのままうたった今様です。  後白河法皇が生きた平安時代から江戸時代ごろまでの日本人の平均寿命は30歳前後で推移していました(室町時代は15歳まで低下)。では、みんなが30歳くらいで死んでいたかと言うとそうではなく、これらは子供の死亡率が異様に高いために平均を引き下げていたのです。  可愛いさかりの子どもたちが次々と亡くなっていくのは、この時代では当たり前の日常だったのです。目の前で元気に遊んでいる子供らもいつ死んでしまうかわからず、見守る当時の大人たちの気持ちが偲ばれます。  実は梁塵秘抄は江戸時代までは全20巻のうちの1巻しか伝わっていませんでした。ところが明治時代に高名な国文学者の佐佐木信綱により新たに4巻と3巻の断片が発見されました。これらが大正期に出版されたことで、この今様も川端康成、斎藤茂吉、北原白秋ら多くの文人に影響を与えました。大正時代も平均寿命はまだ40歳代で、生まれた赤ちゃんの15%は1歳の誕生日を迎えることなく死んでいました。700年以上の時間を超えて蘇った平安人の思いは、明治〜大正の日本人にはまだまだ切実に伝わっていた事でしょう。  私達も無常を思い、今ある命を大切にしていきたいですね。合掌。

苦しい世を楽しく生きる

 今年は新型コロナウイルス感染症の拡大、世界各国での紛争や内乱、景気の悪化とそれに伴った治安の悪化などなどあり、こうした世情に心を痛めておられる人も多いかと思います。  仏教の基本的な考え方では、この世の全ては苦しみであるとしています。これは世界中の仏教の共通認識なはずなのですが、日本の仏教ではさほど強調されません。儚さに苦よりも美を見出すような文化の影響かも知れません。  日本では良く生きた人の最期が悲惨な物でも、その人生を苦とは見なさない事例も多いです。世に強い影響を残し非業の死を遂げた平将門、菅原道真、楠木正成らは神として美談とともに顕彰されてきました。彼らが神になった時代は神仏習合の時代であり、日本では仏教的にもこうした考えが許容されていたわけです。  しかし偉人がどう顕彰されようとも、人が簡単に傷つき死んでしまう事実に変わりはありません。年齢や性別や社会的立場でその確率は違っても、人も物もいつか必ずなくなります。どんな人が、どんなに避けようと努力しても、死が次の瞬間その人に訪れてもおかしく無いのです。  禅にも造詣が深かったアップルの創業者である故スティーブ・ジョブズは「もし今日が自分の最後の日だとしても、今日やろうとしていることは自分がやりたいことなのか?」と自問して生活するようにしていたという有名な話があります。実際にこれを実践できるかは別としても、死はすぐそばにあるという事実を事実として受け入れることは今の人生をより良く生きる為の知恵でもあるのです。  将来の計画を立て目標に向かって努力するのも大切ですが、今この時にしか出来ない事も同じように大切です。特に友人や家族などとの時間は貴重です。生老病死を悲観して苦しまず単なる事実と理解すれば、今の一瞬を真に生きる事が出来るのです。仏教は苦を滅するための教えであり、苦がない状態を楽といいます。願わくば、悔いることが無いように生きたいものです。苦しい時代ではありますが、少しずつ精進してまいりましょう。合掌。

フジテレビ「とくダネ!」が中国の臓器移植を礼賛

 6月17日放送のフジテレビ「とくダネ!」で、中国の臓器移植の早さを礼賛する報道がなされたがとんでもないことです。  中国は2017年の臓器売買撲滅バチカンサミットにおいて、これまで行っていた死刑囚からの移植臓器摘出も渡航移植も禁止したと言っていますが、その後も明らかに不自然な数の移植臓器の供給は続いており、海外からの臓器移植目的での中国への渡航も続いていました(コロナ騒動での減少は除外)。さらに、移植臓器の提供元として共産党からみて目障りな新興宗教団体や少数民族への弾圧で拘束した人間からの臓器摘出が疑われています。  特に中国の侵略を受け占領された東トルキスタンの主要民族であるウイグル人は悲惨で、一般住民は強制的に採血され臓器移植に必要なHLAハロタイプが把握され、現在、再教育の名のもとにウイグル人300万人が強制収容所に収監されているとも伝えられます。ウイグルの空港には移植臓器専用の通路も設けられており、ウイグル人からの組織的臓器収奪が行われていると疑われています。  中国の移植臓器については、イスラエルの心臓病患者が中国で手術日を指定した心臓移植を提案されたと、その主治医からの証言があります。不幸な事故などで偶発的に入手出来る移植用の心臓は、何月何日に入手できるかなんて分かるはずがありません。臓器目当ての国家主導の殺人があっているのは確実です。  死刑囚からその刑の執行もかねての臓器摘出は以前やっていたと中国も公式に認めていますが、今は死刑囚やそれ以外の一般住民から適当な理由をつけて任意に殺害し摘出するようになったのですからより悪い状況です。中国は国土が広すぎて違法な臓器移植が取り締まれないなどと言っていますが、中国の国家自体が犯人だから取り締まらないだけです。  また、この報道をみて中国へ臓器移植を受けに行こうとする人がいるかも知れませんが、臓器取引と移植ツーリズムに関するイスタンブール宣言で、移植ツーリズムも弱者からの搾取も禁止されています。実際に2015年に中国で腎臓移植を受けた患者が浜松医大から診療を拒否され訴訟となりましたが、裁判で勝ったのは医大の方でした。中国に臓器移植に行くことは殺人と同義です。  日本での臓器移植が少なく遅いのはその通りですが、それは臓器売買や倫理的な逸脱を防ぐ仕組みが厳重だからでもあります。ドナー登録を勧める運動等は良いですが

祈りさえすれば、平和がくるのですか?

 「祈りさえすれば、平和がくるのですか?」これは1987年8月、比叡山宗教サミットで世界中の宗教指導者がともに平和の祈りを捧げた時に、日本のマスコミから発せられた質問です。聞き手もおそらく祈りだけで平和が来るなどとは思っていません。これは質問というよりは、行動なき祈りなど無力だとの糾弾のようにも思えます。  しかし、あえて言いましょう、逆に行動だけで祈りがなければ平和は来ないと。世が平和であるようにと強く願う事が大事なのです。祈りの対象が神でも仏でも自分の良心でも構いません。それは何故かをお話しましょう。  平和は単に戦争が無い状態では無く、社会全体が殺したり奪ったり嘘をついたりせずに済む状態です。  東西冷戦時代、ワルシャワ条約機構軍とNATOはついに戦火を交える事はありませんでした。戦争はありませんでしたが、いわゆる東側諸国は平和だったでしょうか?住民は言論の統制を受け、反抗すれば逮捕されたり暗殺されたりします。共産党は人民から搾取を続け、賄賂や嘘が横行する地獄のような世界でした。  中国共産党に占領されたチベットはどうでしょう?中国の進軍時、チベットとの間には散発的な戦闘はあったものの、まともな軍隊のなかったチベットと世界屈指の軍事大国の中国では戦争と言える程の衝突は起きませんでした。戦争はありませんでしたが共産党による占領後、チベットの人口の2割にあたる120万人が殺戮されたとも言われ、文化の破壊は現在もなお続いています。これが平和でしょうか?  個人個人で殺さず奪わず嘘をつかない生活を送るのはさほど難しくはありません。しかし、社会全体となると途端に残虐行為がおきます。社会的に集団で行われる残虐行為にはかならず何かの大義名分がつきます。多くの人が社会の中で自分は社会に貢献する正しいことをしているのだとの信念の元に、残虐行為に加担するのです。そうした集団の流れの中では、ことさら改めて強く平和を念じないと、自分が間違った事をしているのにも気づかなくなります。社会とは集団の利益のために動く大きな装置です。人間が安全で豊かな生活を送るために必要なものですが、全体の利益を優先して動く時、必ず犠牲者が出るのを忘れてはいけません。  個人個人の平和を祈る心なしに、社会の利益、社会の平和の為だけを考えて行動すれば、社会の平和のための戦争や民族浄化も起きてしまいます。ポル・ポ

有事の際の仏教

 アメリカも中国も朝鮮半島もインドも何かと荒れている今日この頃、日本が戦争に巻き込まれる可能性も全く無いとは言い切れません。日本仏教の諸宗派は先の大戦で積極的に軍を支援したこともあり、戦後は大いに反省して反戦平和を訴えています。もちろん、仏教的な視点からみて殺人を推奨することはあってはなりません。しかし、実際に戦争に巻き込まれ日本が戦場になった時、仏教者はどうするべきでしょうか?今日は思考実験です。  その1.原理原則に則り、敵味方別け隔てなく戦闘停止を呼びかける。  一見、正解に見えます。しかし、戦場が日本で、我々が日本人である場合、戦場にのこのこと出ていけば、私達を護るために自衛隊に余計な負担をかけます。結果として自衛隊員や一般市民の死者が増える恐れも強いです。また、実際に戦闘停止を呼びかけて両軍が武力行使をやめる可能性は皆無であり、自己満足の為に自分や多くの他人を危険にさらす事になります。  その2.戦闘で精神的に参っている軍人や市民を慰労する。  先の大戦で日本仏教の諸宗派が行ったのはだいたいコレです。徴兵され不本意ながら敵兵を殺し、自分もまた命の危険にさらされていた兵隊さんに、罪の意識や恐怖心を抑えるような説法をしたり、銃後の民間人には恐怖や悲しみで潰れそうな心を消し戦意を鼓舞する説法をしたりした訳です。結果として戦争を推進したとして戦後になって激しく反省したのです。  一方、アメリカの教会や従軍牧師は、第一次世界大戦の時は激しく敵愾心を煽りまくっていましたが、やや反省したのか、第二次世界大戦では戦争は支持するが煽りは少なくなっていたと言います。強者の余裕でしょうか?それでも、従軍牧師は原爆投下の成功をわざわざ祈っていますし、メンタルケアだけでなく戦意高揚の役目も担っていたのでしょう。  その3.公益に反しないように自分に出来ることをする。  戦争の成り行きに意見を言うことはあっても、現実的には政治家と軍隊に任せる以外に戦争を止める方法は無いのです。ただ、あまり酷いときには文句を言って捕まったり処刑されたりするのも良いでしょう。それ以外では、自分や他人がなるべく死なないように道義に反しない限りは努力する。戦争により心身が傷ついた人がいれば敵味方の別なく優しく接する。日本には徴兵制がありません。私達のために私達の代わりに敵を殺す重荷を負った自衛隊員に思いやり

ついにお墓まで

 人種差別反対運動に伴いアメリカで白人の歴史的記念物の破壊や毀損が続いています。今日はついにアメリカ独立戦争の無名戦士の墓まで被害を受けました。その墓石には”Committed Genocide”と落書きされており日本語にすると「(この墓に眠る兵士たちは)民族浄化に取り組んだ」というニュアンスです。確かにアメリカにより先住民の文化はほぼ滅びましたし、アメリカ独立が先住民虐殺を加速させたとの意見もありましょう。しかし、独立戦争でアメリカが戦った敵は主にイギリスです。また、アメリカが独立せずにイギリスの植民地状態が続いていても、当時の白人の思想からみて有色人種への迫害がよりマシなものになった可能性は薄く、独立戦争で戦死した兵士がいなければ、白人による民族浄化政策が推し進められなかった訳ではありません。故人が現在の価値観でいかに悪人であっても墓地の毀損には心が痛みます。それに無名戦士の墓なのですから、眠っている人がどんな人だったのかなんて分かりません。いい人だったかも知れないし悪い人だったかも知れない。分かっているのはアメリカ独立の為に戦って死んだと言う事だけです。アメリカ合衆国に愛国心を持つ人達にとってこの墓に眠る兵士たちは母国の礎を築いた英雄なのです。  他にも差別的だとの事で奴隷解放を行ったリンカーンの像も撤去の請願署名がなされています。この像はリンカーンの前に奴隷の黒人が跪いている形で、平等で無いとの批判にあっています。平等で無かった状態を改善した事を示す形ですが、立場の上下を示しているのがダメとの事です。今後、この請願が通るのか注視したいと思います。    さすがに墓やリンカーン像についてはやりすぎだと思います。これが正義の怒りと報復であるとの意見があるのも承知していますが、慈悲の心がアメリカにあるように祈ります。

彫像が破壊される時

 彫像が破壊される時。それはどのような時だろうか?  独裁政権が倒れた時。  イランのフセイン大統領やルーマニアのチャウシェスク書記長の銅像が引き倒されるのを見た。彼らはその時代の独裁者で生前に自分の像を建て、民衆に自らの称賛を強制していた。  国が独立した時。  ソ連崩壊に伴い独立した国々ではレーニン像の多くが破壊された。これも称賛を強要されていた人物の像だ。ただこの場合のレーニン像は、既に歴史上の人物であったレーニン個人の像というよりは、悪しきソビエト連邦の象徴だった。  宗教の構造が変わる時。  2001年のバーミヤンの石仏破壊は衝撃的だった。およそ1500年間もあった仏像が消えた。この地の仏教が衰退してから約1000年間、一部は略奪されても意図的で完全な破壊をしようとする人は現れなかった。小さな像なら破壊されただろうが、巨大な石仏を壊す手間は異教徒に寛容さをもたらしたのかも知れない。20世紀末頃から、この地の治安が乱れイスラム過激派が支配するようになると、その数年後には巨大石仏は破壊された。多くのイスラム教徒はこの暴挙に異を唱えたが、現地の過激派は長年に渡り存在した唾棄すべき偶像の破壊に神の偉大さを讃え喜びあった。  社会の構造が変わる時。  今のことだ。バーミヤンの石仏に比べれば短い期間だが数十年から数百年、現地の白人に慕われて出来た人物の彫像が次々と破壊されている。彫像のモデルとなった彼らは今や尊敬を集める存在ではなく、人種差別的な印象があるがゆえに、侮蔑され破壊されその功績も無かった事にされる。その像の人物が本当に人種差別主義者だったのかは問題では無く、そう思わせる背景があれば破壊対象となる。また、日本人にはにわかに信じがたい話だが、その当時を生きた白人は全て黒人から搾取してその恩恵を受けており、故人の彫像だけでなく現在の白人もその存在自体が罪とする意見もある。  1919年に日本が国際連盟で人種差別撤廃の制度化を提案した際、この提案はアメリカの反対で否決された。アメリカに公民権法が成立し法的な人種差別が終結したのは実にその45年後の1964年、それからさらに半世紀以上経過した今でも民間や法の運用上の人種差別は未だに続いていた。歴史的に見てアメリカの白人が人種差別的であったのは間違いない。  だが時代は変わった。今やアメリカの多くの都市で非ヒスパニック

マハトマ・ガンジー像の撤去要求問題など

 アメリカやイギリスなどで黒人の人種差別に抗議する活動が続いている。人種差別の撤廃は大いに賛成する。だが一部には気にある点もあった。抗議活動に便乗した掠奪や暴力は元より、歴史上の人物の銅像が破壊されたり、アメリカ南部地域の旗や歌が批判されたり、バンドの名前が奴隷制度があった時代を連想させるとの理由でバンドが謝罪して名前を変更したり、抗議活動に便乗した強盗の被害を受けた店の人間が襲撃を批判したら差別的だと批判され謝罪に追い込まれたりしている。私から見たらちょっと行き過ぎの様に思えるが、現地では(略奪行為も含めて!)これで良しとされている風潮だとのことで、改めて文化の違いの大きさに驚かされている。欧米の人と交流する時は、この違いに注意し思いやりの心を忘れないようにしたい。  さて、上記ほどの問題では無いが内容的に心配な話に、抗議者が差別的だと思う人物の銅像撤去の要求がある。その中には、本人は奴隷制度に反対してた南軍のリー将軍もいる。南軍を指揮したと言うだけで、本人の主義主張は無視され、他の業績も否定されている。過激派に利用されるから撤去と言うのならまだ理解も出来るが、個人の歴史を悪意的に改変するのは良くない。  同じく銅像の撤去要求には、非暴力主義で有名なマハトマ・ガンジーのものも含まれている。ガンジーは生前に黒人の蔑称の利用したとされるが、当人に蔑称だとの認識があったかは怪しく、また、学業におけるインド人の黒人に対する優越性も言ったとされるが、これも黒人を人種として差別したものか疑問がある。単に社会情勢的に当時の黒人の多くに教育が施されていない事実を述べたようにも見える。黒人の迫害に積極的に加担した記録も知る限りはない。故人を裁くことは出来ないが、仮に生存していても推定無罪だし、法は不遡及なのが原則だ。  そもそも、歴史上の人物の言行を洗い直せば、現在の標準的な価値観からしておかしいところは当然出てくるものだ。価値観は地域や時代で変遷するものなので、今ここでの価値観は今ここでしか通用しない。仏法が示すように諸行は無常だ。価値観や道徳も変遷を免れない。今のアメリカやイギリスで起きている極端な動きも、価値観の変遷を見ているのかも知れない。アメリカ社会の人種差別や不正が平和的に解消されるように祈る。

雨安居

 梅雨の時期になりました。お釈迦様の在世の頃、僧侶は雨季には屋内に籠もって修行をしていました。これは安居として日本の禅宗系の宗派にも伝わっており、今でも雨の多い初夏から夏にかけてお寺にこもり修行に励む僧がいます。  日本の主な禅宗は国内での成立の順に、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗です。このうち黄檗宗と臨済宗は、唐代に成立した臨済宗の流れをくむ宗派です。臨済宗は宗祖の臨済義玄の名をとったものですが、実は黄檗宗の黄檗はこの臨済義玄の師匠である黄檗希運の名から来ています。  この師弟は実に豪快で、臨済義玄は師の黄檗希運と肉体言語で語り合い(殴り合いとも言う)悟りを開いたとされます。さて、悟りを開いた後も、この師弟にはひと悶着あります。夏安居の期間は出入り禁止で修行に励むのが決まりですが、その禁を破って夏安居の中日に師の黄檗の寺に訪れた臨済は師を見下す発言をして、数日後にこの時期は出入り禁止のお寺から退出しようとします。この暴挙に対してまたまた黄檗は臨済を殴りつけ追い出します。追い出された臨済はしばらく歩いていきますが、反省して黄檗の元に戻り夏安居を終えるまで修行をしたとされます。悟りとは悟ってしまえば終わりではなく、思い上がらずに努力を怠ってはいけないという話ですが、いちいちその言動がパンクな臨済にはそれ以上の魅力があります。もっとも二人共、現代に生きていれば様々なコンプライアンス違反で捕まっているでしょうけど、法の不遡及の原理は守られるべきです。  何かと閉塞感が漂う社会情勢の今日、先人の豪快さはある意味うらやましい面もあります。臨済宗は、日本でも一休や白隠や沢庵や仙厓などクセの強い快僧を多く生んでいます。開祖の魂は確実に引き継がれているようです。合掌。

楽しい偽経の世界

 偽経とは一般にはお釈迦様が説かれた以外のお経の事を指します。そう言うと上座部仏教教徒からは大乗仏典はみな偽経だというツッコミが来そうですが、ここでは東アジア地域で作られた興味深い偽経について解説します。  もっとも有名な偽経は延命十句観音経でしょう。このお経は以前からあったものでもインドから伝えられたものでもなく、南宋の将軍が死刑になりそうになった時に夢に聞いたこのお経を唱えたら助命されたという伝説があり、夢のお告げが原典となります。古来様々な霊験譚が伝わるこのお経は観音信仰とともに今でも多く唱え続けられています。観音菩薩に帰依し、その縁を大切にして、その心が続くようにとの決意表明をする内容の短いお経です。全文は以前の 写経を勧める回 で紹介していますのでご参照ください。この様に偽物(非仏説)であることを隠そうともしていません。大乗仏教の自由度の高さはすごいですね。  次は、大黒経です。正式名称は仏説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満菩薩陀羅尼経といい、仏説を名乗っていますが、日本の大国主命とインドのシヴァ神が習合して生まれた大黒天のお経が仏説なはずもありません。面白いのはその内容です。大黒天こと大福徳自在円満菩薩は、実は大摩尼珠王如来というちゃんと成仏した仏様だったのですが、この世の貧乏で困窮して良いことが無い衆生を助けるために現世に菩薩として現れたとしている事です。如来は基本的に現世には現れず自身の仏国土にいるとされます。観音菩薩などの有名どころの菩薩が、如来とならずに現世に留まる理由は、衆生を救うためにわざと成仏しないのだとされています。今回は如来が荒業を使って現世に降臨したという形をとっているのです。如来がルールを無視して助けに来たのだからスゴイぞ!という感があり、その内容も大黒天をお祀りする人には宝を降らせ福徳を与えるというような現世利益バリバリの文言が続き、どんな経済的苦境でもきっとどうにかなると思わせる明るいお経です。辛いに人には希望が必要ですし、これを読誦してうまくいけば、自分の力だと驕り高ぶることもなく、自然に感謝の念も芽生えるでしょう。大黒天を祀る人たちに読誦されています。  最後は稲荷心経です。作者が分かっている貴重な偽経で、伏見稲荷神社の神宮寺であった愛染寺の天阿上人の作とされます。内容は、稲荷大神の本体は如来であり慈悲の心からこの世に神として

アメリカの暴動について思う。

 人種差別に反対する形で始まったアメリカの暴動ですが、様々な意見の対立によりアメリカの分断は深まっています。もちろん人種差別は良くないことですが、略奪を咎めただけで差別主義者扱いされたり、差別とは関係のないものまでとにかく叩かれたりと、恨みが恨みを生む悪循環も起きています。この悪循環を断たねば先々まで対立の禍根を残すこととなるでしょう。  法然上人の父君の漆間時国さまは、上人が出家なさる前の勢至丸と呼ばれていた幼少時に、地方の治安維持に関わる役人をしておられましたが、勢至丸が9歳の頃、対立する武者の夜襲にあい命を落とします。この時、仇討ちを誓う勢至丸へ瀕死の時国様は、恨みはさらなる恨みを生むだけだと仇討ちをしないように命じ、勢至丸に出家を勧めて亡くなられたと伝えられます。  初期仏典の一つである法句経には「怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。」とあります。時国様のお言葉には、子が返り討ちの危険にあうのを避けさせる親心もあったのかも知れませんが、おおよそ法句経と同じことをおっしゃっています。誰かがどこかで、怨みをこらえて連鎖を断ち切らないとどこまでも争いが続くのは、人類に変わらぬ真理なのです。  目の前で起きている暴力を防ぐのは必要な事ですが、一旦落ち着いたならば暴力による報復をぐっとこらえて妥協点を探る。今アメリカには慈悲の心が必要なのだと思います。

ジャータカ、その2

 以前、 ジャータカ の話をしましたが、ジャータカとはお釈迦様の前世のお話です。本日は、昨今の社会情勢的に考えさせられるお話をジャータカの中から一つご紹介します。  昔々あるところに、皮の衣を来た修行者が托鉢の旅をしていましたが、人々からぞんざいに扱われていました。そんな時、一頭のヤギが彼をみて後ずさりしました。修行者は、このヤギは自分に敬意を表しているのだと思いヤギに合掌して応えました。それを見ていた商人(お釈迦様の前世)がヤギは行者に敬意を払ったのではなく飛びかかろうとしているのだと警告しますが、時すでに遅く、修行者はヤギの攻撃を受け、相手の敵意と敬意を勘違いしたを悔いながら死んで行ったのでした。  さて、この話ですが、ジャータカにしては珍しく前世のお釈迦様はあまり活躍していません。いつもならすごい自己犠牲とか知恵や力を使って他の人を救うのですが、可哀想な人に注意をしただけで、結局この修行者を救うことは出来ませんでした。世の中、正しい警告を発しても間に合わなかったり無駄になることも多いものです。  ただ、このお話の中心は、ジャータカにも関わらず、お釈迦様の方では無く死んでしまった修行者です。この修行者は苦しい立場にある時に、ヤギの敵意を敬意と勘違いしたせいで命を落とします。人は苦しい時には判断を間違いやすく、少しでもいい情報を信じたがるものです。根拠に乏しくても自分にとって都合の良い気持ちの良い情報を信じたがるのです。私達も注意したいものです。  人は別に苦しい立場に無くても、自分に心地よい話ばかりを選んで聞く傾向があり、そしてそれに大した根拠がなくても信じてしまう傾向もあります。自分に都合の良い話を聞いた時はそれが本当に正しいことなのか冷静に判断する心を忘れないようにしたいものです。また、自分にとって不快な意見を持つ人の話もあえて聞いて、そちらの方が正しいのではないか吟味するのも大切です。  世情が混乱している時こそいつもに増して冷静さが大切なのです。  それではまた、合掌。

梁塵秘抄より

 後白河法皇の梁塵秘抄より今様をひとつ、  仏は常にいませども 現ならぬぞあはれなる  人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたまふ  現代語訳:  仏様は常にいらっしゃるが この世に実体が無いからしみじみ想われる  人がまだ起きてこない夜明け前に夢にぼんやりあらわれてくださる  この今様は文豪の菊池寛や川端康成にも影響を与えたとも言われています。  いろいろな解釈が出来ると思いますが、目指すものが確かにそこにあるのに、はっきりとは捉えられないとなると、いろんな思いが湧いてくるものです。そういう表面的な思慮や分別から解放された時に考えるのではなく仏様を感じられるのかも知れません。  菩薩が自分のことを菩薩だとして、迷える衆生を見下し区別すれば、形だけで菩薩の行をおこなってもそれは菩薩では無いとする般若経系の話にちょっと似てますね。何かの目的にこだわりすぎることで、目的の本質を見失ってしまうことは多々あります。我々も気をつけて参りましょう。合掌。

台湾で日常(ほとんど)戻る

 昨日、台湾で新型コロナウイルス感染症による規制が大幅に緩和されました。台湾内での発症者はここ8週間ゼロだそうです。台湾では6月7日より、屋内1.5m、屋外1mの社会的距離を保てばイベントの開催に人数制限が無くなりました。社会的距離の確保が確実なところではマスク着用もしなくてよくなりました。一部の体温測定や海外からの人の流入には制限がつきますが、ほぼ正常化したと言っても過言では無いでしょう。世界的な感染の流行は続いており今後どうなるかはまだ分かりませんが、台湾は今のところ間違いなく世界で最も新型コロナウイルス対策に成功しています。  そんな台湾に学べる点も多いはずです。台湾は戦時下体制だから日本は同じことが出来ないとの意見もよく聞かれますが、危機的状況になっても平時の制度でしか動けない日本の方が異常なのです。少なくとも台湾の施策を学び可能な範囲で今後の対策に役立てるべきでしょう。では、台湾の何が良かったのか?日本との比較も含めて個人的に三つあげてみました。  第一位、水際対策  台湾は去年の12月31日には既に武漢からの入国者の検疫を開始しています。感染者が出る1月21日より前に速やかに対策のための組織をつくりあげていました。その後、1月22日には武漢からの団体旅行の入国を禁止、1月24日は中国からの団体旅行客の入国を禁止、2月6日は中国からの渡航が全面禁止となりました。一方の日本は3月5日に中国からの入国者に対して2週間の宿泊所への待機と公共交通機関の不使用をお願いしただけです。入国禁止となったのは4月1日になってからでした。台湾と比較して2ヶ月遅れです。この差は一体どこから生まれたのでしょうか?一つは情報収集能力の差でしょう。去年から既に対策を始めていたのは群を抜いて圧倒的な早さです。もう一つは行政トップの決断の早さです。正しい情報が伝わっても行政が利用しないと同じだからです。  第二位、民心の安定  台湾では検疫で隔離を要する人には1日あたり約3500円の補償が与えられます。この期間、台北ではペットを飼っている人は、上限およそ1万円の格安価格でペットを預かってくれます。マスクについても総量を国家管理として国民が平等に購入できる様に手配し、3月中には不足も解消しています。休校も2週間のみでしたし、経済活動の制限も限定的でした。初動での水際対策の成功で大幅な経済活

施設での老人虐待を防ぐ

 昨日また、特別養護老人ホームで老人の虐待があったとの報道がありました。弱者への虐待事件は残念ながら後を絶ちません。しかし、今回は、時々おこる一部職員による入所者への隠れた暴行ではなく、おむつを自分で交換させないために行われた不適切な身体抑制が虐待とされた事件です。こういう身体抑制は組織的な関与がなければ不可能です。報道でも22人の職員が関与し、中心的役割を果たした4人が解雇されたという事です。  今回の問題で、職員の糾弾を行うのはたやすいですが、それが本質的な解決につながるかは疑問です。  被害にあった入所者は11名いたとされますが、これほどの人数の入所者が勝手におむつを脱ぐ原因は何でしょうか?認知機能障害の人の中には特に理由もなく脱衣する例もありますが、これだけの人数となると、おむつの中が不快といえる状態になるまで交換されていない可能性もあります。これが正しいと仮定して、次になぜこんなことになるのか考えてみましょう。  厚労省から公開されているこの施設の情報によると、去年9月時点での入所者は定員いっぱいの80名で、そのうち生活に全面的な介護を要する要介護度4と5の人は62名でした。これに対して介護職29名、看護職4名の職員がこの施設には在籍しています。職員はもちろん交代制なので、おそらく夜間の職員数は一桁だろうと思われます。  この状況で予測されることは、絶望的な労働力不足により、十分な介護が出来ていないというものです。清潔を保つことも、安全の確保も困難であったろうと思われます。不適切な身体抑制を容認するものではありませんが、現場には相応の苦労もあったのでしょう。  よって今回の根本的な問題は、介護職の労働環境の劣悪さにあると言えます。近年、増加する老人に対しての介護への予算は不十分であり、介護士は過重労働を強いられつつも、その収入は日本人の平均未満です。重労働に低賃金では労働者が不足する訳です。  介護の労働環境を改善することで、虐待事件は大きく減らせるはずです。この問題の解決のために介護予算の増額を希望します。また、十分な労働力確保のためには、予算の他に、他業種も含めた仕事の効率化や少子化対策など社会全体の改革も必要になります。今回のような虐待事件は、社会構造を変えないと今後も起きうるものだと懸念されます。  人生の終わりに近い先輩方が安心して過ごせる社会

拉致被害者を救うために

 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの父親である横田滋さんが昨日亡くなられた。氏はキリスト教徒であるので、天国に行かれるようにお祈りする。まだ子供の娘を理不尽にも誘拐され、再び会うこと無く臨終を迎えた無念さは想像するに余りある。  拉致被害者やそのご家族に対して我々が出来ることは何であろうか?仏教徒ならば、人の苦しみを除き、善をなし悪を断たねばならない。彼らが帰国し家族に会えるように活動をしている人たちへの支援は今後も必要だ。だが、国家ぐるみの犯罪行為に対して、民間で抵抗出来ることには限界がある。日本政府の援助なしにこの問題の解決はありえない。政治への働きかけも大切となる。しかし、日本政府は口先だけでほとんど何もしてこなかったばかりか、この間に北朝鮮の核武装もみすみす許してしまった事を考えると前途は多難だ。  この間の歴代政府は何を考えて無為無策であったのか?北朝鮮の後ろ盾となっている中国への配慮があったのか?それとも、朝鮮半島の緊張が増すことを嫌ったアメリカの指示か?あるいは国内の一部からの反対が面倒だったのか?だが、これらは同朋の命や人権を犠牲にしてまで優先しなければならないことだろうか?  現在の政治家の大半に問題があるのは間違いない。しかし、そういう政治家を国会に送り届けてきたのは我々国民だ。もちろん、口先だけ拉致被害者を取り戻すと言って当選した政治家に騙された人も多いだろうが、では騙された人間の何割が国民を騙して何もしない政治家に異議を唱えたのか?結局、北朝鮮と揉め事になるくらいなら拉致被害者なんて見殺しにしても構わないと思う人が多いから、こんな政治家達が勝ち続ける。民主主義は大切だ、多数決による決定はやむを得ないこともある。だが、悪が国民の多数派であるならば、必要なことはそれに屈することではなく、悪を説得し善に変えることだ。  なので、拉致被害者を救うためにまず必要なのは、自分が悪に屈せぬ心を持つことに他ならない。この決意を持つのは大変なことだ。人は、弱い悪はすぐ過剰に叩くが、強い悪には容易に屈するものだ。この悪に屈しないとは、自分の外の悪を他罰的にとらえるのではなく、悪に屈しようとする自分の心の中の悪に打ち勝つことだ。精進を重ねて、考えを同じくする人たちが増えれば、民主主義国家の多数決の原理で政治も動く。また、結果を得るのは大事だが結果が出なければ

医療・介護者が現場に活かす仏教

 当ブログでは、仏の教えは医療や介護の労働現場で、あるいは親族の介護において有用だとして、仏教の修行をどの様に役立てて行くかについての説明もしてきました。  しかし、ここで気をつけるべきは、医療や介護に仏の教えは役立つのですが、役に立つ便利な道具として仏教があるわけではないということです。むしろ、日々の生活でおきる多くの問題が仏道の修行に役立つと言うのが正しいのです。  仏教の究極的な目的は生き物としての苦を除き、悟りをひらいた仏となる事です。大乗仏教では、在家の信者は日々の生活の中で、優しい言葉を使い、人を助け、人に害をあたえず、嘘をつかず、怒らず、むさぼらず、善い行いをこころがけ、悪い行いを断ち、心を落ち着けて、智慧のあるようにする、これらは全て仏教の修行になるのです。こうした修行は、結果として医療や介護の現場だけでなく、あらゆる仕事で役にたちます。  さて、仏教を仕事の便利な道具として使うのではなく、実は仏教の修行の結果として仕事が上手くいくのですが、仏教の修行なんて出来ないと思う人もいるでしょう。そんな時は、内心に仏道に反する怒りやむさぼりや偏見が満ち溢れていても、まずは表面上の行動だけでも変えてみるのが大切です。仏教の修行としては正しい心をもつことが大切ですが、上で示したような、正しい行動や、正しい言葉遣いは、心が伴っていなくてもどうにか出来るものです。そうして、正しい行いを続けていると、自然に心も柔和になってくるのがわかると思います。そういう心の変化が行動や発言につられて起きてきたならば、日常の問題も良い修行になったと思えるようになってきます。  日本の仏教の多くは在家の日常生活を大事にしています。それは修行の邪魔でも劣った存在でもなく、とても貴重なものなのです。それに気づけば、自分の人生をより大切に出来るのです。  それではまた、合掌。

伝教大師忌

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 本日6月4日は、今から約1200年前の弘仁13年6月4日(西暦822年6月26日)、伝教大師最澄が亡くなった日です。最澄はもはや説明する必要もない現在の日本仏教の原型を作ったとも言える偉人です。その生涯については方々で紹介されているのでそちらを見てもらうことにして、今回は最澄がその命をかけて目指した大乗戒壇設立についてお話します。  最澄の時代、僧侶になるための受戒には具足戒と呼ばれる伝統的な僧侶が守るべき規則集を使っていました。その規則の数なんと250戒、尼僧には348戒もの規則がありました。この具足戒の中味を見ますと似たような内容の繰り返しも目立ち、まるで初期仏典の様でもあります。大切な事は繰り返し強調したい意志のあらわれなのでしょう。性的な問題に関わるものが妙に多く、恐らく昔からその手のトラブルは多かったのでしょう。あとは他の僧侶をくすぐってはいけないとか、ベッドの高さの指定とか実に事細かに決められています。  では、最澄がこだわった大乗戒はこの具足戒とどう違うのでしょうか?実のところ、大筋では大きな違いはありません。大乗戒は梵網経というお経の中に説かれている在家・出家ともに共通する菩薩のための戒として10の重戒と48の軽戒をベースに作られています。奈良時代に来日し我が国に戒律を伝えた鑑真は、僧侶には具足戒を、在家にはこの梵網経の菩薩戒を授けていました。最澄以前から、大乗戒の基本となる戒はあって、内容も具足戒よりは飲酒や男女間の規則がゆるい程度で大きな差は無いのに、あくまで大乗戒にこだわった理由とは、この梵網経の菩薩戒が出家・在家ともに共通の戒だったからでしょう。出家も在家もともに菩薩として救いの道を歩む事が、大乗仏教や法華経的な一乗思想に適合する故だと思います。  梵網経の10の重戒は、殺さない、盗まない、性行為をしない(在家は不道徳な性行為をしない)、嘘をつかない、酒を売らない(飲まないのは軽戒です)、人の罪を喧伝しない、自分を褒め称え他人をけなす事をしない、物惜しみをしない、怒らない、仏とその教えと仲間を誹謗してはいけない、の10個です。48の軽戒の中には、棺桶を売ってはいけないとか、どこであってもお経の講義がある時は全て聞くとか、(時代が過ぎたせいで言葉の意味が不明となり)具体的に何を指すのかはっきりしない物を食べてはいけないという決まりなど、特定職

医療と仏教

 102回目の今日は、このブログの本義に帰り医療と仏教の話を少々。  ビハーラ医療は狭義では終末期における仏教的な医療の事です。仏教は生老病死の苦を除く為の教えであり、終末期医療との親和性は高いです。特に日本人の多くは仏教徒であり、自身や親族の死に関して見つめ直す時、仏教的な医療や介護はこの苦しみを除く助けとなるでしょう。  一方で、仏教=お葬式=不吉と、とらえる人もいらっしゃいます。そのような方々を不快にさせない為にも、棲み分けを図るのは大事です。このような事情から各地に、ビハーラ医療を提供する専用の医療機関や施設はありますが、その数は少ないです。  ビハーラ施設は、なぜ数が少ないのでしょうか?それはある種の偏見にあると考えます。高齢者からのビハーラ医療の需要はそれなりにあるのですが、その子や孫の多くは形式上は仏教徒であっても、それは葬式を仏式ですると言う意味でしかなく、前述のように仏教を何か不吉な怪しい物と見ている人も多いのです。高齢者を怪しい宗教から守ろうとするのは家族なら当然の事です。  この誤解は大変にもったいない事です。日本に1500年近くも受け継がれてきた精神文化が偏見により途絶えそうになっているのは実にもったいない。  信心深い家族がいらっしゃる方は、ぜひ直接に仏教の話を聞いてみて下さい。おじいちゃんやおばあちゃんが何故、毎朝お仏壇に手を合わせるのか、そこで何を思っているのかを聞いてみて下さい。伝統宗派にはそれぞれ深い思想や教学もありますが、そういう話よりはその人の気持ちを聞いてみて下さい。患者様が家族に仏教の話をしても馬鹿にされたりしないと安心していただけるだけでも前進です。  ビハーラ医療・介護はそれを嫌がる人への配慮も必要ですが、在宅介護では家族の協力さえ得られれば、おおむね患者様の希望にそえるはずです。患者様だけでなく家族の方にも、仏法は心の支えになります。また、非ビハーラ施設内ならば、仏教を前面に打ち出さなくなくて良いんです。仏教だと全く言わなくても、仏教的な慈悲の心は、医療・介護を必要とする人の助けにきっとなります。  日本の仏教が再興しますように、死を迎える人の心が安らかでありますように、南無佛。

日本仏教最高(再興)論

 昨日の続きというわけではありませんが、今後の日本仏教の行く末を案じて物申してみます。  日本仏教衰退の時代にある現在、日本の仏教は釈迦の教えとは違う邪法だとの批判を良く見かけます。だがあえて言わせてもらいましょう、少なくとも日本人に対しては日本仏教は最高であると。  仏教が他の世界宗教と大きく違うのは、その多様性にあります。キリスト教やイスラム教にも諸派はありますが、基本的には同じ宗教です。一方の仏教は、上座部仏教と浄土教と密教が同じ仏教だとは、その教義の面からはにわかには信じがたいものです。このような多様性が生じるに至った歴史についての詳しくは、また別の回にお話しするとして、仏教は異端勝利の歴史であるとも言われる程に変遷を重ねてきた事実があります。様々な多様性をもつ教えが、現地の文化や時代の流れに応じて変化し定着してきたのです。  実は似たような現象はイスラム教にもありました。かつてアジア方面に広がったイスラム教は、ムハンマドの正統な流れと比較して、地域によりかなり多様で異質なものもありました。しかし、交通や通信技術の近代化により、一般の人も容易に正統な教えに触れることが出来るようになり原点回帰の運動が起きています。イスラム教には参照すべき確実な原典があり、その内容は神の命令であり疑念の余地が無く、ローカルな間違いが生じてもオリジナルなものに復帰しうるのです。  では仏教ではどうでしょうか?釈迦の教えは絶対神の命令では無く、人間の釈迦が発見した苦を滅するための真理であり、釈迦以外の人も発見しうるものです。ものすごくはしょって言うと、正しいことは釈迦もいっていたに違いないという発想から、後世の人が考えた正しいことが釈迦の言説として次々に継ぎ足されていった結果多様性が生まれたのです。それに疑問をもつ人がいても、釈迦の言説はその在世中に体系化してまとめられてはおらず、文字として残されたのも釈迦の死後200年ほど経ってからです。残っている文章の研究や体系化は多様性の再生産に寄与するのみでした。仏教にはイスラム教と違って参照すべき確実な原典が存在しないのです。歴史学的に推測される原点に復帰しようとする動きもありますが、そこには論者の恣意性が混じることは避けがたく、彼らの言う教義は結局のところ僕が考えた最強仏教という域を出るものではなく分裂の歴史を繰り返すのだと思われます。

100回目

 このブログも開始より100日100回目を迎えました。こうして無事に続けてこられたのも読んでくださる皆様のおかげです。誠にありがとうございます。  さて、本ブログはネット上でビハーラ医療を行おうと設立されましたが、折からの新型コロナウイルス感染症問題もあり、時事問題の話題を取り上げることも多かったです。設立当初にも言及したように、ビハーラ医療は単に終末期だけの問題ではなく、いずれは必ず死を迎える私達の人生の全期間に関わる話であると考えていますので、時事問題や社会問題を話題にした場合でも、なるべく仏教的な解釈を交えるようにして参りました。  個人の人生の問題も、社会的な問題も、何か絶対的な正解をもつ物ではありません。それでも、日本的な大乗仏教の歴史を振り返ると、多くの先人達が社会も個人もより良くしようと取り組んできました。その中には結果として間違っていたことも見られますが、聖徳太子以来脈々と続く不断の努力へは敬意しかありません。昨今は失敗や間違いを過度に恐れる風潮があります。しかし、失敗を恐れて何もしないことは、ご先祖様たちが代々改良しながら受け継いできた日本の伝統宗教を含む文化の流れを絶つことになります。多くの寺社の存続が危ぶまれる現在、微力でも抵抗を続けるのが、多少なりとも教えを受けた者の責務であると考えています。  私の患者さんの中でも、高齢の病身をおしてお寺の手伝いをしている人も多くいます。本人が信心深いのもありますが、他に人がおらず無理をなさっている人が大半です。お墓やお寺の存続を心配される方も多いです。いくら諸行無常とはいえ、これまで苦労されてきた人生の先輩達が、その様な心配をせざるを得ないのは心が痛みます。  今後、お寺の統廃合やお墓の合葬化が進んでいくとしても、限りある命を見つめ、和の心を伝え守っていけるように努力を続けて参ります。合掌。