努力と成功
社会的あるいは経済的に成功した人達は後日、自分がいかに努力したかについて熱く語りがちだ。彼らが努力したことについては恐らく本当であろう。大したものだ。何かをなそうとしたら努力抜きには済まされない。ここまでは厳然たる事実だし何も問題ない。だが成功者の多くはここで間違う。自分と同じ努力をすれば人はみな成功するとして、成功してない人を努力もせずに文句ばかり言う困った人だとみなしがちになる。
何かのシェアを奪い合うような業界では成功者となるのは数えられるくらいのごく少数の人間であり、敗れ去っていった人達は努力をしなかったのではなく単に席の数がすごく少なかったから成功出来なかったに過ぎない。いわゆる成功者と同じ才能がある人が同じような努力をしたところで、無事に成功する確率はかなり少ないことを保証しよう。
成功者は自分の努力だけで成功したのではない。丈夫な体と賢い頭に生んでくれた両親や、経験が少ない時期に指導してくれた師たち、事故や天災に巻き込まれずに済んだ運のよさ、成功する前に支えてくれた知人や友人たち、そうした好条件が重なった結果として成功があるのであり、自分の努力のみで成功したかのように慢心するのは良くない。
仏教的にいうとさまざまな縁に支えられて成功したことになる。昔の人はそれが分かっていたから、成功をおさめると公益のために働いたり多額の寄付をしたりしたものだ。社会に対する恩返しだ。古い街の石橋や寺社などはお金持ちの寄進によるものが存外に多いのはそのためだ。今の成功者はといえば、そういう恩を忘れ、社会的弱者を蔑むような言動をする人も少なくない。もっとも、世界中の人が知っているレベルの成功者は流石に慈善事業などに熱心な人が多いが、ちょっと小金を稼いだくらいの人が陥りがちな誤ちと言えるだろう。
仏道上の努力は精進といわれるが、精進は前提であって自分の努力により何かの成果が出たなどと思えば、その精進は全く無価値になるのを忘れてはいけない。物事が上手く行っている時に驕らない、上手くいかない時に恨まない。平常心是道。
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