暴力

 法句経の第十章は暴力について説かれています。そこでは自分が殺してはいけないということと同時に、他人に殺させてはいけないと書かれています。大切なことなので二度書かれています。また荒々しい言葉を使ってはならないと言葉の暴力も禁止しています。大切なことなので二度警告されています。

 だから誰かがおおっぴらに人を殺しまた殺そうとしているのなら、それを止めるべきだし、それを止めるにあたっては言葉の暴力をもってしてはならない事になります。

 暴力で物事を解決しようとしても、暴力を振るわれた側には不満がたまり抵抗することでしょう。それをさらなる暴力で封じ込めれば、人々は恐怖から逆らわなくなるかも知れませんし、恐怖から暴力を振るう側になる人も出てくるでしょう。しかし、そんな社会は不自由で萎縮しており活力がありません。また恐怖から暴力で支配する人達の寝首を掻こうと狙う人も出てきます。みんなが不幸せになります。

 取り返しがつかなくなる前に止めるのが慈悲と言うものです。暴力を振るう価値観も多様性よ自由よと容認してはならないのです。暴力に口を閉ざすものは暴力を助ける行為です。もちろん、抵抗できない弱さは罪ではありませんが、何か出来る人は出来ることをするべきです。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号