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レジ袋

 コンビニなどでのレジ袋廃止は市民には概ね不評だ。まず、不便であるし、その効果を疑う人もいる。確かに、海洋ゴミの問題はレジ袋だけでなくペットボトルなど他の分解されないプラスチック素材に関して幅広く考えなければならない問題であるが、まずは小さな一歩でも評価したい。プラスチックゴミが海洋生物に与える影響は大きい。しかも残留し続けるので、生態系への打撃は長期化する。その被害は当然ながら人間にも及ぶ。他人事ではない。  プラスチックはリサイクルしにくい素材でもあり、日本では2/3ほどは焼却処分されている。一部は焼却の際の熱を有効活用してはいるが、二酸化炭素の排出は増える。現在のようにプラスチック製品が溢れていると処理が追いつかない。プラスチック以外の素材で対応できる物にプラスチックを使わないでおこうとする動き自体は正しいと言える。  環境にプラスチックが流出しても自然に分解されるプラスチックの開発なども一部で進められているが、未だ商業ベースとは言えないし、本当に有効なのかも未知数だ。また、漁具などの耐久性を要求される製品には使いづらい。やはり、プラスチックを極力使わずに済むように努力するしかなさそうだ。プラスチックごみを出し放題で良いという意見には同意しかねる。  また、生産されたプラスチックが環境に流出しないように管理することも大切だ。だから、法治の行き届いていない独裁国の中国では世界の1/4の海洋プラスチックごみが排出されており最悪の海洋汚染の原因国となっている。独裁制は環境にも悪い。

飛び恥とSAF

 飛び恥という言葉がある。大量の燃料を消費し二酸化炭素などを撒き散らす飛行機に乗ることを環境問題の視点から恥だとするものだ。しかし、実は旅客機よりも一般乗用車の方が(車種にはよるが)輸送量あたりの二酸化炭素排出量は多いので、あくまでも印象の問題だろう。また、電動化が比較的容易な自動車に比べて、旅客機などの大型飛行機の電動化は今の所は難しくイメージは悪い。  そんな飛行機を環境負荷を少なく利用するための一つの答えがSAF(Sustainable Aviation Fuel :持続可能な航空燃料)だ。SAFは環境中にある炭素を原料とした燃料のことであり、様々な製造方法があるが、植物やゴミを利用するものは、広大な面積を必要としたり利用に制限があったりもする。電力を使って大気中の二酸化炭素を原料に燃料を生成するPTL(Power to Liquids)と呼ばれる技術ならば、そうした問題は解決されるが、まだまだ効率化を図る必要がある。  脱炭素化は地球環境保全の為に必要不可欠であると同時に、様々な技術革新を必要としており大きな商機といえる。この分野にどれだけ投資出来るかが、今後の各国の盛衰に大きく影響するだろう。温暖化なんて嘘だとか脱炭素なんて必要ないなどという陰謀論に踊らされた国や企業は衰退一直線となる。確実に陰謀論を粉砕していきたい。

昭和天皇

 4月1日に公開されたウクライナの対露戦支援の呼びかけ動画に、先の大戦のファシストの象徴として、ヒトラー、ムソリーニに加え昭和天皇の写真が使われていた。これに対し日本国内から反発がおき、外務省からもウクライナ政府に対し正式に抗議したところ、昨日、当該部分の写真は前二者のみとなりウクライナ政府が謝罪するという事があった。  ウクライナは戦時中はソ連に属しており連合国からの歴史的視点では、昭和天皇は紛うことなき大日本帝国の最高責任者であるのだから、こういう動画が作られても不思議はない。だが、日本側の立場とすれば、戦後に臣下の者達が文字通り命を捨てて陛下への責任追求を回避させたのであり、そのナラティブをひっくり返されては困る。この考えに日本国民の全員が賛同している訳では無いが、戦後からほぼずっと昭和天皇に戦争責任なしとする政党が政権与党をつとめてきたのであり多数派だと言えるだろう。日本政府がウクライナ政府に抗議したのは妥当だ。  昭和天皇がファシストの首魁のように扱われた事に不満をもった日本人は多かったが、ざっと見たところは高齢者と若者で怒りのベクトルがちょっと違ったように思われる。若者は人間としての昭和天皇に失礼だろうというものが目立つが、高齢者が問題にしているのは主に国体だ。  日本国憲法においても天皇は日本国の象徴だが、これは国体思想の現代語訳としては分かりやすい。つまり天皇にケチをつけるのは日本にケチをつけるのと同じであり、天皇=日本なのだ。  国体は使う人によって意味が変わると言っても過言ではない漠然とした概念だが、共通している考えは、日本というのは天の神の子孫である天皇が中心となって大家族のような国を形成しているというものだ。だから天皇なしに日本は成り立たないというのが基本的思想だ。  宗教的に見た場合も、天皇陛下は皇祖神と一体化した神であり、しろしめすべき国土日本をその神性の中に取り込んでおり日本そのものでもある。だから、もし今、日本国民の誰かが死んでも、明日も日本は日本であり続けるが、もし天皇陛下と天皇になりうる皇族が何らかの理由で全滅すれば、その瞬間に日本は滅びる。仮にそうなっても、国土と国民がいれば実務上も国号上も日本は残るだろうが、それは正確には日本ではなく日本によく似た別の何かという解釈だ。  人間宣言はしたものの昭和天皇は国体の中心概念たる現人神

殯(もがり)

 殯(もがり)は死者をお客様として身辺に安置する古代日本の風習で、後に仏教と習合していわゆる御通夜になったとの説もある。  具体的には、古代の皇族や貴族が死んだ時に建物をたてて遺体を収め、その前で歌舞音曲をもって霊を慰め、酒食を饗してあの世への旅立ちに際しての力としてもらうようにしたものだ。そうして死者を弔いながら一定期間(長い場合は3年)は埋葬せずにいた。確実に死亡を確認するだけならばもう少し短くても良いはずであり、宗教的あるいは政治的な意味もあったと思われる。  この風習は仏教伝来以前からあり、仏教伝来後は徐々に廃れていったが、殯は形を変えて現代まで天皇家には受け継がれている。仏教ではお釈迦様の死後7日間に渡り在家信者の供養が続き、その後に葬儀が執り行われ仏弟子の大迦葉の到着をまって火葬されたとの伝承がある。この言い伝えと殯が習合したのが御通夜だとも言われる。ちなみに単に通夜といえば徹夜で勤行などを行う意味で必ずしも葬儀に関連した言葉ではない。  殯や御通夜だけでなく世界各地でも死者を弔い供養し送り出す儀式は存在する。文化や言語は違っても同じ人間なのだと思わせる事実だ。葬儀など世界中の人々は共通点も多いのだからもう少し仲良くして欲しいものだ。きな臭い地域も多いが戦争にならないように祈る。

思無邪

 思無邪は論語の為政第二に見られる言葉で「思い邪(よこしま)無し」と読み下す。これは孔子が詩経について述べたもので、詩経にある三百もの詩を一言でまとめると思無邪だとした。  このように思無邪の元ネタは論語と詩経に由来するが、茶席では禅語としても扱われる。また、幕末に活躍した島津斉彬の座右の銘としても知られている。  思無邪の無邪が何を意味するかは、立場によって差はあるかと思う。孔子としては儒教的な仁や徳を実践する心が無邪であったろうし、禅語の場合は煩悩や執着や分別などが無い状態だろうし、島津斉彬はなすべき事を怖じけずに遂行することだったと思われる。  邪が無ければ、残るのは正か、それとも邪と表裏一体の分別である正も無いのか?後者ならば中道や空の思想に通じるものがある。世の中では正誤と正邪を混同する人も多いが、なるべく心に邪が無いようにしたいものだ。

カルムイク、ヨーロッパの仏教国

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 カルムイク共和国はロシア連邦に所属する地理的にはヨーロッパに属する仏教国で、主にチベット密教が信仰されています。このため国旗にも白蓮華が描かれている他、旗が黄色なのはモンゴル地方ではチベット密教は「黄色の教え」とも呼ばれるからです。国旗の中央の白蓮華は青い丸で囲まれていますが、青や空色はカルムイク人の起源となった中央アジア東方の象徴的な色です。カルムイク人は民族的にはトルグートと呼ばれる遊牧民族の末裔となります。  トルグートはモンゴル西方のオイラト地方から東トルキスタンの付近の遊牧民です。伝説ではインドからやってきて漢土の西部に王国を築いた仏教の転輪王の子孫とされます。伝説の真偽はともかく一般にはモンゴル人に近いオイラト民族の中の一部族とされます。言語はモンゴル語族のオイラト語の方言で、カルムイク語として現在に伝わっています。  トルグートは同族間の争いを避けるために、故郷の天山山脈の付近からはるばると(独ソ戦でも有名な)ヴォルガ川の下流域に1630年に移住しこの地に住んでいたチュルク系の民族を攻めてカルムイク・ハン国を形成します。この時にチベット密教も彼らとともに伝えられました。遠くヨーロッパの地にあっても、彼らはチベットやオイラト地域とも連絡を取り続けました。  その後1637年に、トルグートの故郷である中央アジア東部にはオイラト民族によって世界最後の遊牧帝国とされるジュンガル帝国が成立します。しかし、ジュンガル帝国は清朝との争いに敗れ1755年に滅亡します。その後も一部は抵抗を続けましたが清朝による虐殺と疫病の流行でジュンガルの人は殆ど滅亡してしまいました。そしてこの頃、ロシア帝国との関係が悪化していたヴォルガ川のカルムイク人は、1771年に衰退した中央アジア東部へ戻ろうとします。しかし、ロシアはこれを妨害するために西トルキスタンの諸民族を使い攻撃させ大量の死者が出ました。現在、カザフスタンにあるバルハシ湖は彼らの血で染まったと伝えられます。そのような妨害に遭い出発時には17万人いたカルムイク人は7万人までに人口を減らして、清朝支配下となった東トルキスタンに到着し清朝の勢力として組み込まれました。しかし、そもそも出発の時点でヴォルガ川の西岸にいたカルムイク人はヨーロッパに取り残されてしまい定着しました。  ヨーロッパに残留したカルムイク人は後にナポレオンと

ナスルディン・エペンディ

 ウイグルの昔話にナスルディン・エペンディというおじさんがよく登場する。そのだいたいは頓智話で、王様や商人や役人や欲張りな人をやり込めるものが多い。  その一つに、王様から自分が死んだら天国に行くのか地獄に行くのかと訊かれたナスルディン・エペンディが王様に斬首された人で天国が満員だから地獄に行くと答える話がある。  なんとも因果応報な話だ。ナスルディン・エペンディが今の東トルキスタンを見たらなんと言うだろうか?全知全能の神の天国が定員オーバーすることは無いだろうが、あまりにも多くの人が死んでいる。  イスラム教では人間の左右の肩には天使がいてその人の行いを記録しているという。独裁者の肩の上で、その悪逆非道っぷりを記録し続けなければならない天使には同情を禁じえない。

明徳と仏性

 明徳とは儒教で説かれる人間がみな天から賦与されて持つとされる徳の事です。仏教でいうと仏性のようなものです。儒教の中で最も重要とされる四書五経の一つ「大学」の中に以下の文言があります。なお()内はだいたいの現代語訳です。 大学之道 在明明徳 (大学の道は明徳を明らかにすることにある) 在親民 在止於至善 (人々に慈愛を持てば善なる状態を保ち続けられる) 知止而后有定 定而后能静 (善の状態に留まるのを知っているから心が定まり、心が定まるから心静かになる) 静而后能安 安而后能慮 (心が静かであれば安らかであり、安らかだから思慮深くなる) 慮而后能得 (思慮深くあれば徳を得ることができる) 物有本末 事有終始 (物事には本末があり、始まりと終わりがある) 知所先後 則近道矣 (こうした順序を知ることが出来れば、大学の道は近い)  「大学」は元々は礼記の一部でしたが朱子学では重要視され独立して扱われることが多い書です。「大学」では、自身を修めているから家庭を整えることができ、家庭が整っているから国を治めることが可能であり、国を治めるレベルの上に明徳を天下に示し世を太平に出来るとする考えがあります。つまり、修身、斉家、治国、平天下の順に進んでいき、明徳を示しこの世を平和にすることが一つの到達点なので、為政者たちに重視されてきた歴史があります。戦前の道徳教育が修身と呼ばれているのもこれに由来します。戦後は道徳と名を変えますが、そもそも儒教では仁・義・道・徳を重視しており、修身が同じく儒教思想に由来する道徳と言う名の授業に変わったのは、名称を変えた人々が儒教的な価値観の継承を期待したのかも知れません。  さて、世の中を見渡せばとんでもない悪人が多く、儒教の説く明徳は本当に全人類に備わっているのかという疑問もあるでしょう。しかし、私は明徳は全人類に備わっていると考えます。儒教では家庭や社会の秩序を特に重視する傾向がありますので、社会性が善であり徳であると仮定するとわかりやすいです。人類はその社会性とそれによって生み出された組織の力で地球上の霊長としての地位を築いて来たのです。人類の進化の過程で、極端に社会性に乏しい発想をしやすい脳をつくる遺伝子は生存競争に敗れ淘汰されているとみて良いでしょう。つまり、突然変異や脳に何らかの障害がある人以外の全人類は社会性を持ちうる生物だと言えま

新嘗祭

 11月23日は勤労感謝の日です。戦前は天皇陛下により行われる宮中祭祀である新嘗祭を祝う日として、同じく新嘗祭という名前の祭日でもありました。宮中祭祀の新嘗祭では、その年に取れた新穀を陛下が天照大神をはじめとする神々ささげ、ご自身も食されると言われます。天皇陛下は天照大神の子孫ということになっていますので、この祭祀は先祖崇拝の形の中にあります。また、新嘗祭に先立つ10月には伊勢神宮で神嘗祭と言われ、同じく新穀を神々に捧げる儀式が行われ、この際に今上陛下に神々の力がいただけるように祈られます。  宮中以外でも各地の神社で新嘗祭は行われており、収穫を神に感謝しともに祝うという図式は継承されています。収穫を祝う祭りの起源は記録に残っていない程の昔、日本に農耕が定着した頃まで遡るとも言われます。同様のお祭りは世界各地にもみられ、農作物を実りを祝う気持ちは世界共通です。  また、人間だけでなく天照大神も高天原で農耕にはげまれ同様の祭祀を行うとされています。古事記にもある天の岩戸の伝承でも、素戔嗚尊が姉である天照大神の田や祭祀を行う場を汚したとの表記があります。そうなると新嘗祭は神も人も共に働き共にその恵みに感謝し収穫を祝う日だとも言えます。  さて、祭祀としての新嘗祭は今でも宮中や各地の神社で行われていますが、祭日としての新嘗祭は戦後に祝日としての勤労感謝の日となります。この名称の変更はGHQの方針によるものですが、新嘗祭の心を伝える感謝の文字が残っているのには先人の努力が偲ばれます。  新嘗祭だけでなく、世界中の収穫祭にも感謝や祝いの心があり殺伐した心を和ませる効果もあります。世界が平和でありますように。  

油断

 油断の語源にはいくつか説があり、一般には、大乗版の涅槃経にある、王様が家臣に油で満ちた鉢を持たせて人々の中を歩かせ一滴でもこぼしたら殺すと脅したところ家臣は一滴もこぼさなかったという話に由来するとされます。油をこぼして命を断たれないように集中して慎重に行動したから油断という言葉が生まれたというものです。しかし、油断は和製漢語で中国では使われません。文献上、油断が現代の意味で使われ出したのも鎌倉の頃のようで、涅槃経起源説が本当かどうかにはいささか疑念もあります。  他の説としては比叡山が最澄の時代から代々絶やさず守り継いでいる不滅の法灯に由来するとの説もあります。この法灯は現在でも皿に入れた菜種油を燃料としており1日に2回の継ぎ足しが必要であり油断すると1200年以上に渡り燃え続けたともし火が消えてしまいます。このように油が断たれないように気をつけることから油断という言葉生まれたとの説もあり、個人的にはこちらの方がしっくりきます。  油断の語源としては他にも説がありますが、言葉の起源がどうであっても、油断は禁物です。例の流行り病も日本では落ち着きつつありますが、海外の状況をみると油断するにはまだ早いと思われます。流行り病も諸行無常、永遠に続くことはありませんので最後まで油断なく参りましょう。

オオカミ少女の嘘

 ある程度の年齢以上の人ならばオオカミ少女の話を聞いたことがあるだろう。インドでオオカミに育てられた少女2名が保護されたが、まるでオオカミの様に振るまっていた。その後、白人のキリスト教伝道師ジョセフ・シングの善意に満ちた養育をもってして一人がどうにか二足歩行と簡単な言語を習得できたと言う話で、幼少期の教育の大切さを示す逸話として今でも時々語られることがある。  実はこのオオカミ少女の話は捏造だ。そもそも生物学的にオオカミが人間の子を養育するなんて無理だし、シングがオオカミ少女の世話をしていた時の写真は、彼女らの死後に別の人を使って撮られたものだと判明している。オオカミ少女だとされた人間はシングの営む孤児院で普通に二足歩行をして生活していたとする証言もある。シングはこの捏造話を出版させて一儲けしようと企んだ詐欺師だったのだ。  まれに今でもこの話が子供の教育の大切さを示すものとして語られることがある。もちろん、熱く語っている人が実話だと思ってオオカミ少女の話をしているのだろう。しかし、こうして嘘は長く生き残っていくので見かけたら空気を読まずにそれは事実ではないと指摘するべきだ。  ひとたび広く事実だと信じられてしまった嘘は訂正するのにすごく時間がかかる。最悪の場合は嘘が定着してしまう。オオカミ少女の話は単に胸糞が悪いだけで害は少ないが、民族憎悪や陰謀論などの嘘が社会に定着したら、現代でもホロコーストがおきない保証は無い。    

インドネシアのシヴァ−ブッダ信仰

 インドネシアのジャワ島周辺は13世紀後半、シンガサリ王国の最後にして最大の王であるクルタナガラ王の治世にあった。彼は自らをシヴァ神とブッダの融合した神聖な存在として君臨していた。発想としては別々の神と仏が融合したのではなく、シヴァもブッダも唯一で絶対の神的な実在の違う表現形だという思想だった。王国の滅亡後、インドネシアではイスラム教が優勢となっていった。このため、近代のインドネシアの国是であるパンチャシラの第一は唯一神への信仰となっている。国民に唯一神への信仰を半ば義務付けるのは純粋に宗教上の話だけでなく、国から無神論である共産主義者を排除する目的でもある(※)。一方で、インドネシアで公認されている宗教は、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、儒教であり、ヒンドゥー教以下の3つは唯一神がいない宗教でありパンチャシラに反するようにも見える。これが許容されているのはクルタナガラ王の考えたところの唯一の真理が諸宗教の根源にあるという解釈が現代に息づいているからかも知れない。  仏教に限らず、宗教が広がる過程で現地の風習や他の宗教と習合することはよくあるが、単に混じるのではなく、各地方や時代でそれぞれ特徴ある習合のしかたをするのはなんとも興味深い話だ。 (※)インドネシアの共産主義者狩りについては  インドネシア大虐殺その1   インドネシア大虐殺その2  を参照のこと。

阿呆陀羅経

 阿呆陀羅経とはお経のように(主に和讃風に)社会風刺を詠んだり歌ったりする一種の話芸で、江戸後期に流行しその後も受け継がれていましたが、現在ではほとんど目にしません。レコードやビデオなどの媒体で残る阿呆陀羅経は、民謡風だったりジャズ・ロック風だったりするものもあり、内容も社会風刺だけでなく漫才風のものなども多く、もはや阿呆陀羅経だと名乗ったのもが阿呆陀羅経だと言えなくもない物です。また、韻を踏みリズムを重視する歌詞はラップのようでもあります。歌い出しが「仏説阿呆陀羅経」となっているものもあり自分が好き勝手に作った歌詞を仏説というあたりはなんとも不敬ですが昔の冗談はかなりキツイものも多く、ある意味で寛容だった時代背景もあるのでしょう。また阿呆陀羅経には当時まだ権威があった仏教界を茶化す面白さもあったと思われ、現代の権威が弱くなった仏教をイジってもそうインパクトはなく面白くもありません。  こう考えると阿呆陀羅経は滅ぶべくして滅んだ芸能とも言えます。今後も生きた話芸としてではなく、文献や音声・画像データとして記録が伝わっていくのだと思います。はてさて、昔の阿呆陀羅経と同じく、今ある新しめの芸事や趣味のジャンルが100年後、200年後にどのていど記録としてでなく生きた芸や趣味として残っているのか気になるところですが、それを見届けることが出来ないのはちょっと残念です。  実際にここ半世紀ばかりでも、趣味の世界ではイギリスの狐狩りは事実上滅びましたし、芸事で言えば純粋なパンクロックも滅んだと言っていいでしょう。全ては記録の中にしかありません。まさに諸行無常。

人は自ら足るに止まること能わずして亡ぶ

 春秋戦国時代の書「韓非子」に次のような話があります。  斉の国の王様である桓公が宰相の管仲に「富に限りはあるか?」と尋ねます。管仲は「富を貪り過ぎて身を滅ぼした時が富の限りでしょう」と答えました。  何事にも限界はあるものです。どんな強者も無限に富を集める事は出来ません。栄華を極めた一門もいつかは没落します。貪り過ぎずとも、戦争や災害などで滅ぶこともあります。  あまりにも極端に富が集中すると、大多数の餓死しそうな人達から搾取してごく少数の人達が贅沢三昧をする形となります。こうなるともう民衆は革命を起こすしかなくなります。もちろん、どのような政体でもそうならないように対策がなされています。大まかに分けて富の再分配を行って極端な貧困層が増えるの防ごうとする対策と、軍事力を利用した徹底弾圧で抑え込もうとする対策があります。前者がより平和的なのは言うまでもありません。  また、再分配は国だけでなくお金持ちによって自主的になされる事もあります。一般的に大富豪は慈善事業に熱心です。その最大の理由は税金対策ですが、そのおかげで助かっている人も多く結果的には良いことです。より古い時代の大富豪は、橋やお寺などの公共性のある施設までも作ってその富を地域へ還元していました。有り余る富で名士として地位を買っていたとも言えます。  裕福だからと無駄遣いする必要はありませんが、既に余裕がある人はひたすら溜め込まずに有意義に富を使えば、自分にとっても他人にとってもよい結果を招くでしょう。  しかし、社会保障や福祉が脆弱な国では、人々は心配してなるべく多く富を溜め込もうとします。そう努力はしても、稼いだお金の全てが生活の為に消費される状態の人は貯金も資産運用も出来ませんから、結局の所、裕福な人はより裕福になりやすく、貧乏な人はいつまでも貧乏なままとなりがちです。  多くの人が足るを知って助け合うためには、その国にいかに良質で安定した行政サービスが存在しているのかが重要です。政治も生臭いばかりでなく、人の心をより良く保つ為に大切な役目があるのです。

悲惨な戦争

 1862年12月、南北戦争のフレデリックスバーグの戦いで、リー将軍率いる南軍の防御陣地に対し、北軍は無謀な突撃を繰り返し大損害を出して敗北した。南軍勝利のあとこの惨状を見てリー将軍は「戦争が悲惨なのはいいことだ。我々が戦争を好きにならずにすむ。」と言ったと伝えられる。  戦争は悲惨なものだ。だが、南北戦争の頃の戦争とは単に複数の勢力の利害を解決するために行われる一連の戦闘行為であった訳だが、現代の国際法上の戦争はそのようなことを意味しない。戦争をするのは戦争を起こした側であり、攻め込まれた側が自衛権を行使するのは戦争行為ではない。国際連盟でもこの国連を引き継いだ連合国でも戦争は禁止されている。戦争は禁止しているが加盟各国は軍備を保有しているのは、それがあくまでも自衛のための軍事力だからだ。  戦争は悲惨なものだ。だから国防を担当する軍人たちは概ね戦争が嫌いだ。彼らは今日も祖国に戦争をしかける馬鹿がいないように、自衛の力を磨いている。

トロフィーハンティング

 巨大な生物や珍しい生き物を狩って記念撮影したり、その剥製をインテリアとして飾るトロフィーハンティングは動物愛護活動が盛んになった半世紀ほど前から徐々に批判されるようになってきて、今では反感を持つ人の方が多くなっている。1977年に連載が開始されたマンガ銀河鉄道999で主人公鉄郎の母が機械伯爵にトロフィーハンティングされた残虐な描写もこうした時代の流れに沿うものだと言える。それより前の世界ではスポーツや娯楽としての狩猟の存在は自然なことだった。  狩猟を害獣狩りや食料の調達ではなく、あくまでもスポーツやレジャーとして楽しむ人達も古くからいた。有史以前からあったとされる鷹狩りも当初は狩猟目的で開発された技術だったと思われるが、中世以後は娯楽色が強くなっていった。近代では狐を馬で追い回して猟犬に食い殺させるイギリスの狐狩りも軍事訓練を兼ねた娯楽であった。日本武士の騎射の訓練とスポーツをあわせた犬追物では特殊な矢を使うことで犬は射殺されることは無かったものの、これは動物愛護精神というよりは犬の再利用という現実的な利便性による面も大きかったと思われ、現代のバス釣りおけるキャッチ・アンド・リリースに通じるものがある。たまには死ぬけど概ね殺さない程度に動物を痛めつけるのは動物愛護的で優しいということにはならないだろう。なお、日本ではブラックバスは特定外来生物に指定されてはいるものの、これが禁止するのは飼養や運搬や保管や輸入であり、キャッチ・アンド・リリース自体は一部の自治体によってのみ制限されている。  こう言うと通常の釣りでの魚拓や記念撮影はどうなんだという指摘もある。確かに昔から大魚を釣った時は魚拓を取ったりもしていたが、これは結局は食すので、生活に必要な範囲での漁でたまたま大物を捕ったのを記念に記録しただけであり、バス釣りのようにスポーツだった訳ではない。大物を釣った時の記念撮影も魚拓と同様にトロフィーハンティングだとして批判される必要はない。だが、そうは言っても一部ヴィーガンなどの動物愛護過激派からは苦情も出るだろう。もっとも魚類に関してはトロフィーハンティングとして批判される事は少なく、主な批判対象はやはり感情移入しやすい哺乳類が狩られた場合だ。  こうしたトロフィーハンティングへの批判は、時代による動物愛護精神の隆興により出てきたものだ。だが歴史的には、狩猟技術の優

父母未生以前

 昨日、沢庵和尚の話をした流れで、本日は沢庵和尚が武士に説いた法話集「太阿記」からお話をして参ります。  表題の父母未生以前は一般の禅語です。自分はもちろんまだ両親も生まれていない時の意味で、それから凡俗、善悪、有無などの概念的把握を拒否する悟りの本体を示す言葉として使われます。私達が自分だ我だと思っているモノは様々な概念的把握の上に成り立つ無常で本体のない思い込みでしかないのです。  さて、そんな父母未生以前ですが、太阿記の中で兵法者について語ったところでも見られます。現代語訳では「兵法者とは勝ち負けにこだわらず、強い弱いにこだわらず、動かずして勝つものだ。人間的な偏見にとらわれた敵の自我からでは、こちらの真の我を見ることは出来ない。また、こちらの真の我は敵の自我による兵法を見ない。これは敵を見ないと言っているのではなく、見て見ないようにするのが良い(不動智と同じこと)ということだ。さて、ここでいう真の我とは天地が分かれるより前、父母未生以前の我だ。この我は自分にも鳥獣などの動物や草木などの生き物の一切にある我だ。これはすなわち仏性のことだ。だからこの真の我は影も形も生も死もない。肉眼で見えるものではなく、悟った人のみ見ることができる。それを見たひとを見性成仏(仏性を見ることで悟る)の人という。」となります。  要は武道の心を悟りへとつなげている訳です。スポーツ競技などでも勝ち負けや強弱への執着からくる不安感や焦りは競技そのものへの集中力を欠かせるものであり、心を自由にしてこだわらないのは重要なことです。兵法だけでなく、日々の仕事や学業にも同じ事は言えそうです。

剣術と不動

 有名な沢庵和尚はこれまた有名な徳川家兵法指南であった柳生宗矩と親交がありました。こうした縁もあり和尚から宗矩に送られた言葉をまとめたとされるのが「不動智神妙録」です。その中の法話で面白いのが、物に心を止めずに自由に動き続けることを不動智と呼んでいることです。心が何かにとらわれるとそこに分別が生まれてしまい、自由に動けなくなる。こうした心が止まった状態は不動とは言わないのです。例え話として、10人に斬りかかられた時にその中の1人にのみ注意を払って心を止めれば他の刃は避けられないが、心を自由にすれば対応出来るとあります。もっとも斬りかかられるのが天下の剣豪柳生宗矩ではなく凡人ならば10人が刀をもって襲ってきた時点でどのみち助からないと思っておいた方が良いでしょうが、言わんとしているところは理解できます。スリは、被害者が財布以外の何かに注意を向けている時を狙うものです。  スポーツのフェイントも何か真の目的以外に選手の注意をそらすことで成り立っています。つい引っかかって心がそちらに捕らわれると、出し抜かれてしまうのです。  個別のスポーツや武術以外にも、軍事や政治や日常生活においても余計な物に執着して本質を見誤る事は多々あり、用心してまいりたいところです。

留守神

 旧暦10月の別名は神無月で、日本中の神様が出雲大社に出向くため、出雲以外の地域に神様がいなくなるとしてこの名前がつきました。  しかし、お留守番をして地域を守る神様もおります。恵比寿さんこと蛭子命もそうした留守神の一柱で、留守番中の恵比寿さんを祀る恵比寿講が日本各地で10月下旬や11月下旬に行われます。  他にもかまどの神さまも留守神とされます。かまど神は家の守り神としての性格が強く、神無月でも各家庭にとどまっている印象が強かったのでしょう。  他の有名所ではお諏訪様こと建御名方命も諏訪にとどまるとされています。建御名方命は国譲り神話で天つ国からきた武御雷命に敗れて諏訪から出ないと誓っているからかも知れませんが、建御名方命が出雲に参った時に巨大すぎる蛇に身を変じており扱いに困ったから参集しなくてよいことにしたとの言い伝えもあります。鎮西大社諏訪神社の秋の例大祭である長崎くんちも10月に行われます。  また金毘羅様も留守神ですが、金毘羅様は元々インドの仏教を守る護法神クンビーラであり、明治の廃仏毀釈の影響で金毘羅様が実は大物主命だったとされるまでは、日本の神々の系譜にあった訳では無いので自然な流れでしょう。  神様だけでなく世の中には留守を守ってくれている人がいます。帰るべき場所が守られているから存分に働くことが出来ると言うものです。感謝。

許由と巣父

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 西本願寺の国宝の唐門が先日、予定より早く修復完了した事を記念して、本日は唐門にも彫られている許由と巣父の話をします。なお写真の許由と巣父は修復前の2017年のものです。  許由と巣父は日本画の題材としても良く用いられています。許由は聖帝とも言われる堯から禅譲を申し入れられたものの断ります。許由は汚らわしい政治の話を聞いて耳が汚れたと潁川で耳を洗います。そこに牛を連れて現れた巣父が許由に何をしているのかを尋ねます。事の顛末を聞いた巣父は潁川が汚れてしまったので連れてきた牛に水を飲ませられなくなったという話です。  無為自然を尊ぶ老荘思想から見たら政治や帝位はこれほどまでに汚らわしいものなのです。許由が堯からの禅譲を断る話は莊子にも書かれています。  また、漢魏叢書の高士伝では、許由は先に事の顛末を巣父に話します。話を聞いた巣父は許由が隠遁生活をせず社会にその才をひけらかすからそのような事になるのだと批判します。それを恥じた許由が耳を洗い目を拭き二度と巣父に会うことは無かったと伝えられます。  これらの言い伝えはもちろん仏教のものでは無く道教のものです。実はこの唐門がなぜ西本願寺にあるのかはハッキリしておらず、聚楽第や豊国神社あるいは伏見城からの移築との説もあります。     許由     巣父