完全主義批判あるいは、やらない善よりやる偽善
「やらない善よりやる偽善だ!」とは有名な漫画の「鋼の錬金術師」の中に出てくるセリフだ。元ネタは2chだとする噂もあるが、この言葉が有名になったのはこの漫画の影響だろう。これは、漫画の中で戦時に別け隔てなく患者を治療する医師に対して偽善だとの批判が投げかけられた際に反論として医師が放った言葉だ。
いや、そんな状況なら偽善じゃなくね?とのツッコミもあるだろうが、人が何かの善行をなす時に自己の利益や名誉や満足の為という要素が全く無い事なんてありえない話で、自分の善い行いに対し偽善性を認識しておくのは慢の心を防ぐためにも重要なことだ。
それに、もし完全無欠の善でなければ何も行えないのなら、人に出来ることは何も無い。誰しも良かれと思ってしたことでも、部分的には問題を含んでいるものだ。池で溺れる子供を助けようとする時に、成長したその子が悪人になる可能性を考慮して見殺しにする必要は無い。そもそも悪人というのならこの世の人は大なり小なりみな悪人なのだ。助けた子供だって誰かに怨まれる事もあるだろう。
だからそんなことは気にせずに、人は正しいと思うことをやればいい。間違いに気づけば謝ればいい。偽善になることを恐れて何もしなければ、短い人生は本当に何もせぬまま終わるだろう。たとえ自分が何もしなくても、それが誰かにとっての悪にもなる。他人に迷惑をかけないで生きている人間なんていない。お互いに助け合って感謝の念をもつことが肝要だろう。
そもそも論として、行動しなければ試行錯誤によるやり方の改善も出来ない。頭で考え続けて導き出された理想的な行動規範は、実際にそれを元に行動を起こすとすぐさまボロが出るものだ。あらゆる物事は実践の中で改善するしかない。
全部を誇れないまでも、自分なりに出来ることはやりきったと思って死にたいものだ。
コメント
コメントを投稿