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狂雲集より2

 今日は、有名な一休禅師の漢詩集である狂雲集から、次の七言絶句を見ていきましょう。 忍辱仙人常不輕 道心須是盡凡情 恁麼白浄真衲子 可勤觀法又看經 現代語訳: 忍辱仙人や常不軽菩薩にとっての仏道の心とは当然煩悩を滅し尽くすことだった。 このような清らかな法衣(この場合は煩悩の無い心)をまとってこそ、座禅したり経を読む事が出来る。  この句の意味するところは、心が欲望や怒りに取り憑かれた状態で座禅したりお経を唱えても意味をなさない。高度な教学や修行よりもまず、自らの心を整えるべきであると味わえます。  似たような話はチベット密教の教えにも見られます。普通の人々の興味を引く華美で呪術的にもみえる儀式なども前段階と成る心の修行が完成していないと意味がないとされます。結局の所、仏道の基本は自分の心と向き合う事なのです。大乗仏教的にも、まず自分がしっかりしていないと、他者を助けることも出来ません。お釈迦様も極端な快楽主義も苦行も意味がないと分かった上で瞑想された結果、悟りをひらかれたのです。  不穏で余裕が無い社会情勢の昨今、自分自身の心をまず落ち着けて乗り切って参りましょう。  さて、この第一句に出てくる忍辱仙人と常不軽菩薩ですが、ともにお釈迦様が前世で修行していた際の姿とされます。簡単にお話しておきます。  忍辱仙人は、六波羅蜜の話の時に説明した忍辱の行をつんでいた仙人です。ある日、王様の誤解を受け、手足や耳鼻を削ぎ落とされますが忍辱を続けて、王様を改心させるに至りました。あくまでも伝説です。真似したら死ぬので、皆さんがこのような状況になった時は、ちゃんと逃げましょう。  常不軽菩薩は法華経に出てくる菩薩です。常不軽菩薩は、全ての人を仏になる素養をもつ者として尊敬し、またその事をみんなに伝えていました。しかし、言われた方は馬鹿にしているのかと怒り、菩薩は誹謗中傷を受けたり暴力を振るわれたりしました。そんな苦難にあっても全ての人を尊敬し続けた常不軽菩薩はやがて仏になるのでした。宮沢賢治の有名な詩である「雨ニモマケズ」は賢治がこの菩薩の様にありたいと願い作られた詩と言われます。自分と意見が違う人に対しても怒らず冷静に対応する姿勢は大切ですね。

アメリカのWHO脱退?と新型コロナウイルス対策

 アメリカのトランプ大統領が5月29日の会見でアメリカのWHOからの脱退を示唆しました。本日は、この件に関して今後の新型コロナウイルス対策がどうなるのかを考えていきます。  今回の新型コロナウイルス感染症が蔓延した原因の一つは、WHOの対応の遅さにあったことは否めない事実です。これがテドロスWHO事務局長による中国への政治的配慮に起因するのではないかとの見方もあり、WHOの意思決定機関である世界保健総会(WHA)では今回の感染拡大に関しての独立した調査も計画されています。また、現在のところ世界で最も感染の封じ込めに成功している台湾を直近のWHO総会に招かない決定をしたWHO事務局が、中国共産党の意思を代弁しているのは間違いありません。もはやWHO事務局が世界の人々の健康と命を第一に考えていないのは明白であり、公平さも自浄作用も無いこんな組織は潰してしまえという世論は心情的には理解できます。  さて、それではアメリがWHOから脱退して、新たな世界的保険機関を結成すれば問題は解決するのかと言えば、実のところそう単純な話ではありません。  問題のまず第一は、自前の医療体制が脆弱な貧困国では、アメリカの脱退に伴うWHOの資金不足とその活動の低下により深刻な衛生上の被害が生じると予測されることです。  第二に、中国の情報がより見えにくくなるという問題があります。ただでさえ正確な情報がつかみにくい中国ですが、WHOという窓口が無くなると更に分かりにくくなります。今後また中国で感染爆発が起きた時に、世界がそれに気づくのが遅くなってしまう可能性もあります。  第三に、出費の問題です。新たな枠組みを作るのは既存のシステムを使うより高額になります。また、もしある国がWHOにもアメリカの新保険機関にも参加するのならば、余計な出費が増加することになります。  第四に、WHOは今回もこれまでも失敗はありましたが、なんだかんだで天然痘やポリオの撲滅に貢献しており、コレラや結核やエボラ出血熱などの対策も行ってきました。こうした経験豊富な枠組みが消滅するのは世界的な保健や防疫上の大問題です。  トランプ大統領の強硬姿勢によりWHO側が折れて改革してくれるか、アメリカ主導の新組織にWHOの現場でのシステムをそのまま移植するように取り計らうかしないと、色々と混乱が尾を引きそうです。

難民キャンプとコロナウイルス

 国連難民高等弁務官事務所が、ロヒンギャ難民キャンプにおけるCOVID-19の流行を抑えるべく各国に支援を求めているとの報道がありました。  不潔で大人数が密集していて医療設備に乏しい難民キャンプは新型コロナウイルス感染症だけでなく、あらゆる感染症にとって高リスクな場所です。特に難民は時には密入国をしてでも移動しようとすることもあり、ここでの感染拡大は周辺諸国にも潜在的な脅威となります。  主にバングラデシュにいるロヒンギャ難民は、ミャンマーでの宗教的な対立も難民化の原因の一つであり、どうか仏教徒として慈悲のある対応をミャンマー政府にお願いしたいものです。  ロヒンギャ難民キャンプだけではなく、中国が運営するウイグル人強制収容所や、中東のなど紛争地域の難民、ブラジルで感染爆発している貧民街など、政治的な理由で感染が広がりやすい環境での居住を余儀なくされている多くの人々も危険にさらされているのです。  それぞれ言い分もあるでしょうが、思いやりの心が世界に満たされるようにと祈ります。  真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰

チベット文化圏で軍事的緊張が高まっている件

 各種報道にあるように、インド北西部ラダック地方に中国軍の侵入がありインド軍との間に緊張が高まっています。  ラダックはチベットの文化圏であり、中国に占領されているチベット本土と比べて、チベット仏教文化がよく保たれている地域です。  今回の緊張は、中印国境付近のインドの道路建設を阻止しようとする中国軍の介入と見られますが、中国軍は既に4月下旬よりラダック周辺のパンゴン湖、ギャロワン川、デムチョクと、インド北東部のナック・ラと、その東のチベット文化圏の国ブータンのドクラム地方にも浸透が開始されていたと伝えられています。つまり現在、インド東西のチベット文化圏が軍事的緊張にさらされている形となっているのです。  ラダックは、地理的にはインドと対立関係にあるパキスタンとの係争地であるカシミール地方に位置します。パキスタンは核兵器開発や軍事面で中国から支援を受けており、中国、インド、パキスタンの国境が重なるこの地は戦略的な要衝でもあります。  かねてより係争地での軍事的緊張であり、本格的な戦火拡大が無いように祈るばかりです。

誹謗中傷と観音経

 有名な観音経の中に  呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人  という文言があります。  現代語訳では、呪詛や毒薬でその身が害されそうな者が観音菩薩の力を念じれば、その毒や呪いは加害者に帰る、という意味です。呪詛や毒薬が我が身にふりかかる事は現代社会ではあまりないですが、呪詛は現代技術を使った攻撃者の姿が見えないネットいじめと同義と言えます。SF作家のアーサー・C・クラークでは無いですが、進歩しすぎた科学は魔術と見分けがつかないのです。  さて、この観音経の文言には違う解釈もありますが、上記のものが一般的です。上記の解釈が正しかったとしても観音菩薩の力を復讐に使っている感があり仏教者としてはいかがなものかとの批判もあります。  そういう批判もありますが、あえて言いましょう、これで良いんです。それはなぜかをお話していきましょう。  まずもって仏教的な因果応報の思想では、他人に嫌がらせをした人にはその報いが生じるものです。これは被害者が復讐しなくても、観音様に祈ろうが祈るまいが既に決まっている事なのです。むしろ、嫌がらせに対して、被害者が受けたのと同じ手段で加害者に反撃すれば、被害者が放った呪いもやがて自分に帰ってきます。これは無抵抗であるべきだと言っているのではありません。正統な反論や法的手段に訴えることはするべきです。不正に対して全く抵抗せずにいれば、やがて相手の放った呪いに犯され、精神を病んだり、ひどい場合には命も失います。観音様への祈りは、その苦しい時期を乗り切る心の支えとなるのです。  とはいえ観音経には、観音菩薩の力を念じることで、様々な物理的危険を免れると説いており、現代人からみたらそんな馬鹿な!と思う人の方が多いでしょう。確かにそうなのかも知れません。しかし、本当にどうしようもない危険にされされた時に、とにかく観音菩薩に一心に祈ることで落ち着きを取り戻せたら、新たな打開策も思い浮かぶかも知れません。もちろん、無駄に終わることもあるでしょうが、一心に祈ることで恐怖や絶望は遠のきます。観音経は万策尽きた人間にずっと救いを差し伸べてきたお経なのです。  ネットいじめにあっている人は、少し休んで一心に観音様に祈ってみると良いです。きっと不条理に立ち向かう勇気も湧いてきます。南無観世音菩薩。

長崎の仏教文化

 長崎(主に長崎市)は一種独特な仏教文化あります。例えば長崎人以外にお墓の土神様と言っても理解されないでしょう。土神様は墓地の守護神で、お墓の脇に朱書きで土神と書かれている小さな石碑があるのが長崎では普通です。お墓本体の表面に彫られた字は金色に装飾されます。お墓用のお線香も竹線香と呼ばれる独特の煙の強い線香が使われます。また、お盆には各自のお墓で爆竹が鳴り響きます。お盆の送り火に相当する精霊流しも舟を模した山車のような物を曳いてドラが打ち鳴らされ、爆竹や花火がバンバン使われド派手に送り出されます。  これらの独特な風習は、鎖国時代に明〜清朝の文化が流入して形成されたと伝えられていますが、日本の他の地域と比べて明らかに異質な文化が容易に吸収されたのには、それに至るまでの素地もありました。実は、長崎の仏教や神道の文化は鎖国化の少し前の時代に一度完全に破壊されていたのです。  天正2年(1574年)、現在の長崎はキリシタン大名の大村純忠の支配下にありました。この年の11月1日、イエスズ会の宣教師ガスパール・コエリョは大村純忠にある勧告を行いました。その結果、大村家の領地内の全住民にキリシタンへ改宗するように布告され、従えぬ者は追放される事となりました。領内の寺社も教会に変えぬ限りは破却されることとなったのです。その時の様子は、「郷村記」と呼ばれる書に残されており、領内のキリスト教徒により寺社仏閣が焼滅され、居住の僧侶が殺害され、すでに領外に逃げようとしていた僧侶もキリシタンに捕まり切り刻まれて便所に捨てられたと伝えられています。大村家の先祖の墓も破壊され遺骨は川に捨てられてしまうほどの徹底ぶりでした。この事件は有名なルイス・フロイスの「日本史」にも残されており、司祭の説教を聞き終えたキリシタンが寺院を完全に破壊するさまを伝えています。  こうして長崎の仏教文化は一度完全に途絶してしまうのです。長崎市の隣の諫早市は大村家の支配地ではなかった為、古い寺社も残っていますし、現在の長崎市でも大村家の支配地ではなかった地域では奈良時代から続くと伝わるお寺も残っていますが、天正2年に破壊された旧長崎地域では、慶長3年(1598年)に長崎郊外に建立された悟真寺が最も古いお寺となっています。悟真寺創建当時、旧長崎にはこのお寺しかなかった為、明国の商人らはこの寺を長崎での菩提寺としていまし

新型コロナウイルスのワクチン開発についての所感

 新型コロナウイルスのワクチンの開発が、世界各地の様々な企業や大学で急速に進められています。有効なワクチンが開発されれば、感染の拡大を防ぎ経済活動も十全に再開できます。世界中で需要のあるワクチンは、単に公衆衛生に資するのみでなく、いち早く開発すれば莫大な利益を上げることが出来るので、どこ組織も開発を急いでいます。既に臨床試験に入ったところもあり、その速さには驚かされます。  さて、急ぐのはもちろん良いことなのですが、利益を狙って発売までの早さだけに目を奪われると、副作用のチェックが十分に出来るかの心配の他に、本当に効果がある物ができるのかが心配です。  このうち、副作用のチェックに関しては治験被験者の数を増やせばどうにかなると思われますが、効果に関しては、たとえ抗体の産生が確認されたとしても、果たしてどの程度の抗体価があれば免疫獲得と言えるのか?また、免疫が出来たとしてどの程度持続するものなのかは、継続的な観察が必要です。  さらに、地域での感染が一旦おちついた状態となってしまうと、ワクチンを接種した人とそうでない人の群を比較して実際に効果があったのかを判定するのは難しくなってしまい、次の感染拡大の波がくるまで真の効果の有無は分からないという事態も発生しえます。  さて、そうなった場合、効果があるかどうか確定していないワクチンを大量生産して予防的に接種させるのでしょうか?単に臨床医の立場としては、効果があるか無いか分からないワクチンをつかうなんて通常はありえまえせん。しかし、非常事態においては政治的な決断でワクチン接種が行われる可能性もあります。副作用が十分に少なさそうなら、そのような判断もありです。ただ、そうした場合、一体どこが開発したワクチンを使うのかも問題となります。同程度に効果の有無が分からないのであれば、なるべく開発元を分散させた方が良いとも思えますが、今後の治験データを元に総合的に判断されるものと思われます。  ワクチンの開発には期待がかかりますが、実のところ、本当に効果があったのかはワクチンの集団接種後に訪れる感染拡大まで分からない可能性が高いです。ワクチンが出来ても油断せずに感染防御に努めるのが無難でしょう。

緊急事態終了後の経済復興と警戒のバランス

 日本の新型コロナウイルス感染症対策は、多くの問題があったとは言え、今のところは欧米よりははるかにマシな結果となっている。経済的な苦境の中で自粛に協力した多くの国民と、保健所職員らによる地道なクラスター対策の勝利といっても過言ではなく、大きな称賛に値する。しかしながら、次の第3波も心配され今のうちに準備すべきだ。  まず最も急ぐべきは経済対策だ。今回、日本の自粛要請は他国のいわゆるロックダウンと比べれば著しく緩い対応であったが、経済には深刻なダメージが生じた。これは、単に今回の自粛や世界経済の落ち込みのみが原因ではなく、去年の消費税増税により弱りきっていた日本経済がコロナの騒ぎでとどめを刺された形だと言える。日本の経済対策は給付金にしても他国より遅く、この自粛期間中に倒産した会社も多い。統計はまだだが地域での自殺者も増えた印象はある。政府の対応が遅いのには法制度上の問題もあるが、次の波に備えて最低限消費税は廃止すべきである。財政規律も今は無視して構わない。政府の借金よりも国民の方が大事なのは言うまでもないことだ。政府の財政が破綻しても国民も日本国も存在し続けるのだから日本経済を破壊してでも財政規律を優先する政府の判断は間違っている。一日も早い政策の転換を期待する。  医療体制に関しても検査が必要な人に十分に実施出来ない事がないように準備が必要だ。また軽症者の観察施設として民間の宿泊施設を借り上げる時のルールや補償体制を確立させねばならない。重症者に関しても地域で集中的に管理できる施設を設定するのか分散するのか各地の事情に合わせて流行が再燃した場合の対応を話し合っておくべきだ。  行政に関しても必要に応じて速やかに入国制限できる法的整備は必須だ。行動制限についても経済的補償を少ししかせず、命令もせずに、あくまでも自粛のお願いだからと責任を取らない行政に意味は無い。ただ、法的な整備ができても行政の長の決断が遅ければ全ては台無しになる。今回、世界で最も成功した対策を行った台湾などから学ぶべきところも多いはずだ。まだまだ警戒し対策も打たねばならぬこの時期に政府は、習近平中国国家主席の国賓来日の調整を再開させているが、それは今必要な事なのか?日中友好も結構だが明らかに優先順位がおかしい。  政府に緊張感がない影響か、新型コロナウイルスなんて大した事はないと言う人も増え始めてい

ネットいじめによる殺人事件について

 自分がよく知らないことについて書くのは問題があるかと思われるが、報道などで聞き及んだ範囲でも、十分に由々しき事態だ。犠牲者の冥福とこれ以上被害が増えないことを祈って申し上げる。  問題となっているのは、ある芸能人が私生活を見世物にするという体の番組に出演したところ、番組内での言動に対してネット上から誹謗中傷がよせられ芸能人が自死してしまったというものだ。大変痛ましい。もちろん直接ネットいじめを行い被害者を死に追いやった人たちの行動は殺人といえるが、問題はそこだけにとどまらない。  まず、この番組は私生活を見世物にするのを売りとしているがもちろん脚本はあるだろうということだ。少なくとも出演者には視聴者を引きつける様なアクションを促す指示は出ているはずである。憶測ではないかという意見もあるかも知れないが、本当の日常生活に番組として成立するほど頻繁な山も谷もない。狙わないとそんな事は起きないし視聴率も取れない。出演者がどの程度全体像を把握していたのかは分からないが、製作者側の意図は明白だ。  歴史を振り返れば、昭和の頃のテレビ番組でも悪役は実生活で家族までいじめられたという。はじめから作り話だとして提示されたドラマに対してもそういう反応をする者は遺憾ながら存在する。ましてや、これが出演者の生の生態であるとして見世物にすれば、やはり一定数の残念な反応があるのは製作者には予見できたはずであり、それへの対策が十分に講じられていなかったのも問題だと言える。歴史的に視聴者さまに気を使って現場の労働者の安全をないがしろにしてきたテレビ局の罪は重い。お客様だろうが視聴者様だろうが変なことを言ったりしたりしてくる人間に対しては、立場の弱い現場の労働者を守るために、雇用している者が断固とした対応を取るべきだったといえる。  今世紀に入り、テロリストは強力な武器を安価に入手出来るようになりテロ事件は恐ろしく増えた。社会的ないじめも同じだ。ただで利用できる匿名性の高いSNSなどの道具を使って残念な人達が暴れ、その犠牲者はテロ同様に社会的弱者だ。加害者に反省を促すのは当然であり場合によっては法的な処罰もありうるだろうが、弱者を食い物にする社会構造から正さねば似たような問題はまた頻繁に起きてしまうかも知れない。

田舎のお寺

 自粛も徐々に解除されてきており、自粛期間中のお寺巡り予習のための連続企画も一旦終わろうかと思います。お寺の紹介はぼちぼち続けて参りますが、今日は日本のお寺についての所感です。  お寺巡りの対象と言えば観光化された歴史ある寺院である事が多く、今回の騒動による収入の減少は大変なことでしょう。こういうお寺のほとんどは守るべき文化財があり、いくらかの公的補助があるとはいえ、その維持にも多大な費用が必要です。文化財に害がないように観光客を誘致するのは致し方ない側面もあります。ただ、訪れる側として忘れてはいけないのは、お寺は本来は宗教施設であり、観光で訪れたとしても最低限の敬意をもってお参りさせて頂くという心をもってほしいと言うことです。  しかし、コロナ騒動で苦しかろうとは言え、これまでに紹介したようなお寺はまだ良い方です。悲しむべき事ですが、このような騒ぎがある前から特に田舎では歴史あるお寺であっても、建物や仏像がボロボロな状態になっているところも少なく無いのが現状です。お寺だけでなく神社もですが、地方を歩いていると、経営以前に物理的な意味で潰れそうな寺社もよく目にします。皆さんのふるさとではどうでしょうか?ご先祖様のお墓を管理して頂いているお寺が持続困難となれば、お墓の移転も考えなくてはならなくなります。昨今では子孫がいても、お墓を放棄して無縁仏となる事例もあるようです。  こうした寺社の衰退の最大の原因は少子化や大都市への人口の集中ですが、いくら少子化が進んだとは言え、江戸時代に比べれば人口はかなり多いわけで、日本人のご先祖様や地域文化を大切にする心が希薄になっているのも原因の一つでしょう。また、今日のタイトルは田舎のお寺ですが、大都市には人は多くてもお寺参りする人は少なく、田舎に限らず全国的に苦しいお寺が多い様です。こうした事情もあり、現在のお寺の数を全て維持するのはもはや不可能で、今後、多くの統廃合を余儀なくされるでしょう。ただ、お釈迦様より2500年、日本に仏教が伝来してより1400年以上、日本の文化の一部として日本人と苦楽をともにしてきた仏教がこのまま消えていくのは避けたいものです。南無佛。

東寺・教王護国寺(京都府京都市)

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 ヴァーチャルお寺紹介の第9回目は京都の東寺です。こちらも例の感染症の影響で拝観中止になっています。東寺のご本尊の薬師如来に疫病退散を祈りましょう。  さて、東寺は延暦15年(796年)に創建され、金堂はこの頃に建立されたと言われます。金堂には本尊の薬師如来が祀られています。弘仁14年(823年)、嵯峨天皇がこの東寺を空海に与え、真言密教の根本道場が誕生しました。立体曼荼羅で有名な東寺の中央にある講堂はこの年から建設が始まりました。金堂の北に講堂が配置されており、さらに北の少し離れた位置には空海没後に建造された食堂(じきどう)が建てられています。東寺の中央部に三つ並ぶお堂、本尊の薬師如来が座する金堂、立体曼荼羅が見る人の心に語りかける講堂、昔は文字通り僧が食事をする場でもあった食堂のお堂は、それぞれ仏、法、僧を象徴しています。そのように考えて拝観するとまた違うおもむきが感じられます。とは言え、観光で訪れた人の目を最も引くのはやはり立体曼荼羅でしょう。金堂や講堂内での写真撮影は禁止なので手持ちの写真はありませんが、実際に行ってみるべきだと思います。単にライティングやアングルの問題ではなく、実際に歩いてお参りするのと、マスコミや公式の提供による写真や動画を見るのでは感じ方が大きく異なります。余談ですが、建武3年(1336年)足利尊氏は東寺に陣をはり食堂に住んでいたと伝えられています。  境内北西部には御影堂というかつて弘法大師空海が居住していた建物があります。空海は高野山でお亡くなりになる際に「身は高野、心は東寺に納めおく」とおっしゃったと伝えられ、高野山でも東寺でも毎朝、空海に食事がそなえられます。高野山金剛峯寺の奥之院では今でも空海が瞑想を続けていると信じられており、有名な四国のお遍路へは、東寺の御影堂に挨拶をしてから出発し、高野山の奥之院に帰着の挨拶をするのが正統な回り方とも言われます。  東寺の南東には有名な五重塔があります。木造五重塔では55mと日本で最も高いものです。以前このブログで瑠璃光寺の五重塔の話をした時に、東寺の五重塔は高いが都会の風景から見るとどうのこうのと自分で言っていましたが、東寺の境内からは外の建物はほとんど見えませんので気にせず感動してください。慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いでは、西郷隆盛がこの五重塔の上から戦局を見守ったとも伝えら

西本願寺(京都府京都市)

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 ヴァーチャルお寺巡りの第8回目は国宝の西本願寺です。ちょっと前に石山本願寺の話をやったばかりで、このところ阿弥陀如来がらみの話ばかりに偏って恐縮ですが、今日5月21日は親鸞聖人の誕生日なので許してくださいませ。ちなみに、親鸞聖人の誕生日は承安3年4月1日なのですが、これは新暦になおすと1173年5月21日になります。浄土真宗本願寺派は昔の事でも新暦になおして記念日にすることが多いので古い文献に当たる時に日付が違い混乱しやすいです。  さて、西本願寺の正式名称は龍谷山本願寺ですが、石山本願寺の回でお話した顕如上人がその後いろいろ流転した後の天正19年(1591年)に豊臣秀吉の寄進を受けて開山されました。残念ながら顕如上人はこの翌年にお亡くなりになってしまいます。この後に生じた石山合戦時の強硬派と穏健派の衝突が本願寺の東西分裂を招くのですが、今に続くセンシティブな話なので今回は、揉めそうな話題を華麗にスルーして、西本願寺で個人的に気に入っている建造物TOP5の解説をやっていきます。  1つ目は、本願寺伝道院です。本願寺の御影堂門から道路を挟んで総門を抜け少し進んだ先にあります。離れたところにあるので、西本願寺へ観光に行っても見落とされる可能性が最も大きい重要文化財です。画像は良いアングルで撮られている文化遺産オンラインのURLを下に貼っておきます。実にカブいた建物ですが、東京の築地本願寺を設計した伊東忠太の設計だと聞けば納得でしょう。 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/286979/1/1  2つ目は重文でもなんでも無いですが堀川通りに面した壁です。かつて本願寺の末寺であった真宗興正派の本山興正寺とつながって見えるため、果てしなく続いて見えるお寺の壁は圧巻です。本願寺と興正寺を合わせれば、体感では二条城の長辺と同じ位です。デカイ。  3つ目は飛雲閣です。つい先日、約3年間の修復工事が終わったばかりの国宝です。本来なら親鸞聖人の誕生日にあわせて一般公開されていたはずなのですが、例の感染症の影響で中止とのこと。通常は非公開なので残念ですね。修復工事中に一度訪れたのですが撮影禁止でしたので、別途かざってあった模型の写真をあげておきます。飛雲閣は金閣、銀閣と並んで京都三閣に数えられる名建築で、一説には秀吉の聚楽第の遺構

増上寺(東京都港区)

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 ヴァーチャルお寺巡り第7回は徳川家菩提寺の一つである増上寺です。写真にもあげていますが、お寺と東京タワーと桜がいい感じおさまる絶好の撮影スポットで知られています。  さて、徳川家との関係が濃く三葉葵の御紋をもつ増上寺は日光や寛永寺と並んで政治的呪術的な解釈を受けており、その手の解説はネット上に溢れていますので、それはよそにゆずるとして、仏教系ブログとしては、徳川さんのせいで一般には影が薄い、増上寺ご開山の聖聡についてお話して参ります。  影が薄いとは言いましたがそれは観光客に対しての話で、聖聡(しょうそう)とその師の聖冏(しょうげい)は浄土宗中興の師弟であり、現在の浄土宗鎮西派の原型を作ったとも言える有名人です。  聖聡の師である聖冏が活躍した室町時代の前半の頃、浄土宗は他の仏教諸宗派からは独立した宗派とはみなされずオマケ的な扱いを受けていました。これに対して聖冏は、他の諸宗派の教理や神道や文芸までも深く学び、その視点からも浄土教の教えは優れているとの論を展開して、徐々に浄土宗の地位を高めていったのです。この、他の宗派の論理をもちいて浄土宗の立場を扶助する方法は、随他扶宗と呼ばれ聖冏の思想・行動の特徴とされています。この時代、一部の僧からは浄土宗は信徒が自分のみの救済を祈るとして小乗仏教(大乗仏教以外の仏教への蔑称)だとの批判もあり、聖冏はこれにも反論をしています。聖冏は浄土宗には、お釈迦様からつながる宗派だとする宗脈と、比叡山から連なる僧としての戒を引き継いでいる戒脈が存在すると主張して、この2つを確実にすることで浄土宗を確固たる宗門にしようとしました。このうち、主に宗脈に属する浄土宗の教育のために聖冏が作り上げたシステムが、今でも浄土宗に受け継がれている五重相伝です。  五重相伝は5つの伝書を用いて55箇条の伝法の項目を伝える事を目的としており当初は114日間のカリキュラムが組まれていましたが、現在では短縮されており、僧侶向けでは無く信徒向けのごく短期間で済む結縁五重というものも出来ました。しかし、基本的な理念は変わっておらず、使われる伝書の一つ目は法然聖人の「往生記」です。往生記には成仏をさまたげる要因として疑いと怠け心と自力と高慢が挙げられており、往生を助ける要因として信心と精進と他力と卑下が上げられています。要は謙虚にして思い上がるなという戒めで、念仏も

四天王寺(大阪府大阪市)

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 ヴァーチャルお寺めぐりの第6回、昨日は日本屈指の古刹である善光寺を紹介しましたが本日は、日本最古とも言われる四天王寺を紹介してまいります。  四天王寺は教科書でもおなじみの蘇我氏と物部氏の戦いに従軍した聖徳太子が勝利を祈願して彫った四天王(仏教の守護者)の像を祀ったお寺で6世紀末からの歴史があるお寺です。蘇我氏の氏寺である飛鳥寺の創建の方が早いと言われますが最古級のお寺です。  四天王寺は天災や戦災で何度も焼失や倒壊を繰り返しましたがその度に再建されています。多くの信仰を長く集めていなければ、こうはいきません。現在の建造物も中心部分は飛鳥時代の様式となっています。  個人的には、四天王寺の庭園そばにある五智光院に歴史のロマンを感じます。建物そのものは元和9年(1623年)に再建されたもので、明治期に四天王寺西の極楽門の近くから移築されたものですが、元々は文治3年(1187年)後白河法皇が灌頂を受けるために建てられた灌頂堂だったのです。  後白河法王の若い頃は京の街に繰り出し、はやりの歌に興じるなどした型破りな皇族でした。その後、平家物語でもおなじみの権謀術数に長けた天皇〜上皇として活躍します。武家に何度も軟禁されながらうろたえること無く政治力を発揮する胆力は称賛するに値します。一方で多くの戦いを煽り幾つもの謀略の首謀者であり、崇徳天皇の怨霊伝説が生まれた直接的な原因となるなどの波乱に満ちた人生を送ります。平家を滅亡に追いやった責任者とも言える後白河法皇は文治2年(1186年)に建礼門院(平徳子)の元を訪問されました。かつての仲間や臣下の多くが戦いの中で死に、鎌倉とも緊張が続いていたこの晩年の法王の心には世の無常が強く感じられていたのかも知れません。五智光院で阿闍梨の位を受ける伝法灌頂を受けたのは、この翌年の文治3年8月23日の事です。当初は三井寺で灌頂を受ける予定でしたが、後白河法王から仏法最初の霊地でとの要望があったとも伝えられています。四天王寺の中にある亀井の水を使って灌頂を受けています。この亀井の水は竜宮城から流れていくる水だと伝説もあります。  四天王寺は建物自体は奈良の寺と比べて新しい物ですが、寺内にある様々な伝説や歴史は語り尽くせぬほど沢山あります。自粛が解除されたらぜひ御参拝ください。四天王寺は聖徳太子を奉じる和宗の総本山で、日本仏法最初という自負も

善光寺(長野県長野市)

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 ヴァーチャルお寺めぐりの第5回目は長野県長野市の善光寺です。善光寺は日本屈指の古刹だけに歴史的な話題や伝説等が豊富です。また、昨日はチベットの話題でしたが、実は善光寺とチベットにはちょっとした縁があります。その話は後ですることとして、まずは絶対秘仏となっている善光寺如来の誕生の言い伝えを紹介します。  お釈迦様が在世の頃、インドに月蓋というお金持ちがいましたが、彼は仏を敬わずとても貪欲でした。しかし、そんな月蓋長者も娘の如是姫のことはたいそう可愛がっていました。ある時、国に悪い病が流行り如是姫も病に倒れてしまいます。月蓋長者はあらゆる手を尽くして娘を治療しようとしましたが、その甲斐なく如是姫の命も風前のともし火となってしまいました。万策尽きた月蓋長者はお釈迦様の元を訪ね助けを乞います。お釈迦様は月蓋に阿弥陀如来におすがりするように勧めました。お釈迦様の勧めの通りに月蓋長者がお念仏を申し上げたところ阿弥陀如来が勢至・観音の両菩薩を伴い現れてたちまちに、娘の如是姫の病を癒し、国中から流行り病を消してしまわれました。これに感謝した月蓋長者は、仏像をつくり如来のお姿を留めたいと強く願いました。月蓋長者の報恩の想いに心を動かされれたお釈迦様は竜王の宝物である閻浮檀金という金属を貰い受け、阿弥陀如来とともに、一光三尊仏と呼ばれる、阿弥陀如来と勢至菩薩・観音菩薩が一つの光背に収まる仏像を作り上げました。この仏像は単なる仏像ではなく生きており話すことが出来ました。月蓋長者はその後、深く仏道に帰依したと言います。  さて、月蓋長者は約1000年の後に、百済の聖明王として転生します。当初は悪政を布いていた聖明王でしたが、生き仏である如来像がインドからはるばる百済に渡り、聖明王を諭します。自らが月蓋長者の生まれ変わりと知り、阿弥陀如来のお導きによって聖明王は良い王様になって没しました。その後も百済にとどまった如来像ですが、推明王の代になり、日本での布教活動を望まれ、推明王は欽明天皇13年(552年)に如来像を日本に献上したのです。如来像は蘇我稲目により大事に祀られていましたが、仏教を嫌う物部一族の襲撃を受け難波の海に捨てられてしまいました。50年ほどを水底で過ごされた如来像でしたが、月蓋長者と聖明王の生まれ変わりである本田善光がここを通りかかるのを待っておられたのです。如来像と再開した

パンチェン・ラマ11世の話と中国の意見

 チベット仏教でダライ・ラマ法王についで高位の僧であるパンチェン・ラマが中国当局に拉致されてから本日で25年となります。いまだ拉致の続くパンチェン・ラマ11世のご無事をお祈りします。  公平さを欠かないように、この拉致事件に対しての中国の反論も書いておきます。中国の見解では、これは拉致ではなく、ダライ・ラマ14世からパンチェン・ラマ11世に認定された少年ゲンドゥン・チューキ・ニマ君を保護しただけなのです。中国はダライ・ラマ法王をテロリストとみなしており、彼らテロリストから狙われた可哀想な子供を保護したというものです。  しかし、百歩譲ってそうだとしても子供を拉致して、任意の他人との面会の自由もない状態に25年もおいておくのは人道的とは言えません。6歳で拉致されて既に31歳になるパンチェン・ラマ11世の身があんじられます。  こう言うと、中国からの反論はまだ続きます。そもそも、子供を転生僧としてその立場を強要・洗脳するのは非人道的であるというものです。  確かにそういう側面はあるのかも知れませんが、ゲンドゥン・チューキ・ニマ氏がパンチェン・ラマ11世となっても、自分やチベット仏教への批判を見聞きし、それについて思索することも可能であり、自由を制限して拉致を続けるほうが問題は多いのは明らかです。  そう言ってもまだまだ中国の反論は続きます。パンチェン・ラマ制度は元々はチベットの都であるラサのダライ・ラマと、他の都市との政治的バランスを取るために作られたもので、パンチェン・ラマの制度そのものが宗教的でなく薄汚い権力闘争の現れだというものです。  これもそういう見方があるのは否定しませんが、そもそも中国政府はパンチェン・ラマ11世拉致の同時期に別の少年をパンチェン・ラマ11世に指定しており、制度としてのパンチェン・ラマそのものを批判するのは自らの行いを批判することにもなります。  制度の始まりがどうあれ、ダライ・ラマは観音菩薩として、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身として、チベット仏教とチベット人を守り高めて来たのです。もちろんチベット人たちがパンチェン・ラマの要不要について議論するのは自由ですが、外国の勢力がチベットを占領したあげくパンチェン・ラマ11世を認めるなと軍隊や警察を使って介入するのはおかしいです。  中国政府にも慈悲の心が広がりますように。南無観世音菩薩。南

大黒寺(京都府京都市伏見区)

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 バーチャルお寺巡り第4回目は大黒寺です。  大黒寺と言う名のお寺は色々ありますが、こちらは京都市伏見区にある円通山大黒寺、通称薩摩寺です。写真にもあるように屋根瓦には島津家の家紋の丸に十字紋が刻まれ、寺内には薩摩武士の墓が多く見られます。そんな大黒寺の歴史を振りかえってみましょう。  大黒寺は開基は弘法大師空海であるとも伝えられる真言宗の寺院で、空海の作と伝えられる本尊の聖観音像と大黒天像が安置され、元は長福寺と呼ばれていました。現在の本尊の大黒天像は60年に一度、甲子の年に開帳される秘仏ですが、前回の御開帳は丙申の年である平成28年(2016年)の京都非公開文化財特別公開でのものでした。秘仏とはめったにまみえる事が叶わぬから我が身の無常に思いを致す機会が得られるというもので、そうやすやすと例外を作るべきでは無いかと思いますが、正直いうと拝観したかったですw次の甲子の年は西暦2044年、生きていれば参拝したいです。  その後、豊臣秀吉の信奉も受けた長福寺ですが、江戸時代になり近くに薩摩藩邸が置かれると、島津家の守り神でもあった大黒天を祀る長福寺を薩摩藩の祈願所にするように島津義弘が伏見奉行に願い出て、元和元年(1615年)、薩摩藩の祈願所として寺名を大黒寺に改名、御本尊も大黒天となりました。以後、薩摩藩と縁の深いお寺として今に残ります。  さて、宝暦4年(1754年)から翌5年に、宝暦治水事件と呼ばれる悲劇が薩摩藩を襲います。事の発端は洪水に悩む木曽川・長良川・揖斐川の治水工事を徳川幕府が薩摩藩に命じた事に始まります。工事自体は良いのですが、わざわざ遠方の財政も苦しい藩に多大な負担を伴う工事を命じるのは薩摩藩を狙う幕府の陰謀と捉える薩摩藩士も多く徳川と一戦交えるべしとの意見もでましたが、家老の平田靱負はこれらの強硬論を抑え治水工事を請け負います。しかし、薩摩が工事を開始しても幕府は、堤防を破壊したり、重労働の薩摩藩士たちに十分な食事を摂ることを禁じたり、地元住民に対して薩摩へは必要物品を高額で売るように命じるなど、筆舌に尽くしがたい嫌がらせを続けたのです。そんな中、派遣された薩摩藩士947名中、抗議の自刃で絶命したもの51名、157名が病に倒れうち33名が死亡する被害を出しながら、また薩摩には莫大な借金を残して、平田らはこの治水工事を完遂します。平田靱負は国許に工

浅草寺(東京都台東区)

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 ヴァーチャルお寺めぐりの3回目です。言うほどヴァーチャルでも無いのですが、実際にいけない時期の紹介なのでご容赦をば、合掌。    今回は、日本で最も観光客が多い寺院の一つである浅草寺です。実は、本日5月15日は浅草三社祭が行われるはずの日でした。今年は例の感染症の影響で延期になっています。この三社祭ですが、元々は浅草寺のご本尊様が現れた日とされる3月18日に行われてました。そういう訳で、浅草寺を思い出したので本日のお寺紹介は浅草寺になった次第です。南無観世音菩薩。  浅草寺は古くは天台宗のお寺だったのですが、昭和25年より聖観音宗として独立している観音菩薩をご本尊とするお寺です。寺伝では(日本の)天台宗が成立する以前からあったお寺なので原点に回帰したとも言えるのかも知れません。  浅草寺は推古天皇36年(628年)3月18日に、宮戸川(現在の隅田川で当時は海の近く)のほとりに住んでいた檜前浜成・竹成の兄弟が漁に出たところ投網の中に聖観音像をみつけ、その土地の長であった土師中知の家に祀られたのが始まりとされています。観音様が現れた示現の日には一夜にして千本の松が生じ、3日後にその松林に金の龍がくだって来たと伝えられています。浅草寺の山号である金龍山はこの伝説に由来します。浅草寺の大提灯の台座には龍の彫り物が施されています。先月17日に雷門の大提灯は新調されており、写真は先代の雷門の提灯の底です。(新調されたものは自粛にて見に行ってません。)  さて、ご本尊の聖観音像ですが、絶対秘仏として大化元年(645年)以降は誰の目にも触れていない事になっています。しかし、絶対秘仏をひと目見ようとする無粋な輩はいるもので、明治2年(1869年)に役人によりその実在が確認されたと言われます。廃仏毀釈のご時世だったとはいえ罰当たりな話です。  冒頭にお話した三社祭も、やはり明治期には廃仏毀釈の危機にさらされました。まず、明治より前は、浅草寺と現在の三社祭の主体の浅草神社(当時の三社権現社)は一体であり、三社祭は聖観音さまが浅草に示現された3月18日を中心とした祭でした。浅草神社は観音さまをみつけた檜前兄弟とそれをお祀りした土師中知を主祭神として祀る神社なのです。それが明治元年に浅草寺から分離され、名前も三社権現社から三社明神社に改められます。権現とは仏が仮の姿として現れた日本の神とい

石山本願寺跡(大阪府大阪市)

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 ヴァーチャルなお寺巡りの第2回目は、大阪府大阪市の石山本願寺(跡)です。  日本の歴史上、その文化や精神面で多大な影響を及ぼしてきたお寺は数々ありますが、歴史の流れに直接物理的に介入(武力介入とも言う)して名を馳せたお寺と言えば、石山本願寺がその筆頭に上がるでしょう。本願寺第11代門主の顕如上人が、11年に渡りあの織田信長と死闘を繰り広げた石山合戦は、拠点となる強固な石山本願寺がなければ成立しえないものでした。今回は、そんな石山本願寺の歴史を振り返ってみましょう。  親鸞聖人の墓所が元となった本願寺は、様々な理由で所在地が流転していった歴史があります。石山本願寺に移転する前は、現在の京都府山科に本願寺がありました。この山科本願寺は、浄土真宗中興の祖として名高い蓮如上人が文明10年(1478年)、山科に拠点を移動してから6年で完成させ、蓮如上人とその後の代でも徐々に拡張を重ね、その境内に移住した商工業者が寺内町を形成し繁栄を極めていました。しかし、時は戦国乱世にうつり本願寺は大名の細川晴元と対立するようになりました。天文元年(1532年)、山科本願寺は晴元の指示を受けた守護大名の六角氏らの攻撃にあって焼け落ちてしまったのです。  この山科本願寺焼亡の時の宗主、第10代証如上人は天文2年(1533年)、現在の大阪にあった大坂御坊に本願寺を移転させ石山本願寺(大坂本願寺)としました。証如上人は石山本願寺を増強し寺内町もあわせて繁栄していきます。天文4年(1535年)には細川・六角との和議は成立したものの、石山本願寺は強固な城塞としての機能も強化されていきました。本願寺の勢力は諸大名にも脅威であり、天文12年(1543年)、証如上人にお子が出来ると翌年の天文13年には公家の三条家の娘で細川晴元の養女であった姫と、数え2歳にして早々に婚約が成立します。かつて山科本願寺を焼き払った敵の申し出による露骨な政略結婚(婚約)で証如上人も当初は難色を示しましたが和平を優先させてこれを了承したのです。証如上人はさらに、浄土真宗の信徒が自治を行っていた加賀国(現在の石川県)を本願寺の統制下におき、戦国時代を生き抜く政治的軍事的な指導者としての色を強くしていったのです。  そんな証如上人でしたが、天文22年(1553年)より病にふせり、翌年の天文23年8月13日に39歳の若さでおなくなりに

瑠璃光寺五重塔(山口県山口市)

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 各地で緊急事態宣言も解除されそうですが、県境を超えての観光などは当面の自粛が続きそうです。そんな中、以前に撮った写真を見ていますと、懐かしく思うと同時に、旅情もそそられます。とは言え、出かけるわけにもいかない、難儀な事です。同じ事を思ったかも知れないあなたに、しばらくヴァーチャルなお寺巡りをお届けしたいと思います。  第一回は山口県の瑠璃光寺にある国宝の五重塔(31.2m)です。写真は5年位前の物です。初見の印象はうわーデカイでした。高さ自体は京都にある東寺の五重塔(54.8m)方が高いのですが、丘の上にぽつんと立っているせいか、周囲に建築物が多い都会の五重塔に比べて体感的には高く感じました。  瑠璃光寺は曹洞宗のお寺で御本尊は薬師如来ですが、この五重塔は瑠璃光寺が移転してくる前にあった香積寺に属していたものです。  香積寺は守護大名の大内氏の菩提寺で、山口を京風に整備をした大内弘世の子である大内義弘(1356年生〜1400年没)が開基、宋からの渡来僧である石屏子介(臨済宗)が開山した寺院です。五重塔は応永の乱で足利義満に敗れ死亡した義弘をともらう為に建立されました(1442年完成)。一階部分には阿弥陀如来像と大内義弘の像が祀られています。通常はお釈迦様のお骨が納められるとされる五重塔の基部には義弘の棺があるとの伝説もあります。  やがて、大陸との貿易などで大いに栄えた大内家も戦国の世に滅び、山口を含む中国の大半が毛利家の支配下に入っても香積寺は残っていました。しかし、その毛利家も関ケ原の戦いに敗れ、毛利家の所領が周防・長門の二カ国(ほぼ現在の山口県)に減封されると、1603年には毛利家の菩提寺である洞春寺(臨済宗)に合併される形となり1606年には萩にうつり、1616年には五重塔を除く建物も萩に移築されました。現在の瑠璃光寺は1690年に、山口市仁保斎場の付近にあった瑠璃光寺が移転したものです。萩へ移転した洞春寺は、明治2年(1869年)に瑠璃光寺の隣にあった常栄寺のところに戻ってきて、常栄寺は山口市宮野下にあった妙寿寺のところに移転・合併しました。ちなみに現在の常栄寺には水墨画で有名な禅僧の雪舟が造った庭があります。山口には多くの文化財が残っており西の京と呼ばれた大内文化を今に伝えています。

お仏飯

 日本の家の仏壇に欠かせないものと言えばなんでしょうか?灯明と香と花は必須として、仏壇の比較的上段の方にお仏飯がお供えされている事が多いですね。だいたいどこの宗派でも見かけます。  そんな仏飯ですが、チベットや東南アジアの法事ではあまり見かけた記憶がありません。米はインド原産で、アジアに広く伝わっていますが、日本人の米にかける愛情はやはり突出しているように思えます。  日本の多くの宗派では仏飯を朝に上げて正午までに下げるようにしているところが多いです。これはお釈迦様が在世の折は、托鉢で頂いた食べ物は1日1食で午前中に頂いていた事に由来するとする説もあります。しかし、お仏壇に供える御飯は仏様に食べて頂くためでなく感謝の気持ちの表れとする話もありますので、実のところ統一した見解は無いのかも知れません。宗派や地域でお仏飯の意味も細かくは違っているでしょうが、大切なお米を大切な仏様に捧げ感謝する気持ちを大切にしたいものです。  そんな日本人のソウルフードのお米ですが、一人あたりの消費量は50年前と比べて半分以下になっているといいます。このため米の生産量が年々落ちていっても消費量の減少もあって米の自給率は100%を維持しています。一方で、カロリーベースでの日本の食料全体の自給率は、平成30年度の数字で37%です。今回のような世界的な混乱があれば、食料の輸入が滞る恐れもあるわけですので、自給率はもう少し高く維持出来るようにしたいものですね。日本風の水田を使った米の生産効率はものすごく高く、米食の復権が自給率を救うかも知れません。  よく日本仏教は独特だとかガラパゴスだとか言われますが、大体において仏教は根付いた地域の文化や風習や思想を吸収して独自の発展をとげています。日本人たる私達は仏様とともにお米を大切にする仏教を守って参りましょう。南無佛。

不滅の法灯

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 比叡山延暦寺は奈良時代末に伝教大師最澄により開山された、日本の庶民に大乗仏教を広げる原動力となった天台宗の総本山で、皆様もご存知のことと思います。この開山の際に仏法の光が長くこの世を照らすようにともされた灯火が、1200年以上の長きに渡り消えること無く輝き続けており「不滅の法灯」と呼ばれています。  この度の、新型コロナウイルス感染症の拡大にあたり比叡山延暦寺よりYouTubeでこの「不滅の法灯」が本日よりライブ動画配信されています(本文の後に動画を埋め込んでいます)。比叡山の開山以来、多くの疫病、戦乱、天災など幾多の苦難を乗り越えてきたともしびを見ていると、自分の心も照らされているのを感じます。  比叡山は日本の仏教の宗祖の多くが学んだ仏教の総合大学とでも言うべき山ですが、新たに出来た宗派はこれまでと違う新基軸を打ち出しますので、勢い比叡山は悪く言われる事が多かった歴史があります。平家の時代や信長の時代などでも腐敗した寺として糾弾されても来ました。不当な批判もあったでしょうし、実際に問題があった面もあったでしょうが、どんな苦難にも負けずに延暦寺は残って来ました。そこに伝わる不滅の法灯のなんとも力強いことです。この機会にぜひご覧になってください。  延暦寺では「一隅を照らす」という言葉が大事にされています。延暦寺の不滅の法灯ライブ配信のページ"  https://www.hieizan.or.jp/live_hoto  "には次のように書かれています。 「一隅を照らす 此れ則ち国宝なり」 今いるその場所であなた自身が輝くこと。ひとすみに輝くその光は、やがてあたたかく世界を照らすでしょう。 深い縁に包まれる自分自身を大切に。思いやりをもって他者の幸せを念じて。 世界中の人々が安らかでありますように。

母の日

 日本では5月の第2日曜日を母の日とするのが一般的です。この風習自体はアメリカから輸入されたものですがすっかり定着していますね。  日本仏教は先祖崇拝色が強く、日ごろの法話でも親孝行の話はよく聞かれます。また日本に限った話ではありませんが、偉大な慈悲や愛を母になぞらえる言説も古くからみられます。  親鸞聖人の皇太子聖徳奉讃に  「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して 多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ」  とあります。多々とは父で阿摩とは母のことで、現代語訳では、聖徳太子が救世観音菩薩となり現れて、父のように見捨てず、母のように寄り添ってくださっているとの意味です。  観音菩薩の慈悲は世界のすべてを対象としていますが、その有様を説明するときに父母の子への愛はわかりやすいたとえです。  日蓮上人の遺文である諫暁八幡抄には、自らの布教について  「此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんと励む慈悲なり」  としており、自らの生涯と存在のすべてをかけた布教を母の愛にたとえています。  また、子供の守り神として知られる鬼子母神は日蓮宗の根本経典である法華経の中でその行者を守ると説かれています。  言い伝えではこの鬼子母神は1000人の子を持つ母であり、この子らを育てるために栄養をつけようと人の子を捕食する邪神でしたが、お釈迦様により自身の末の子が隠されてしまい、その悲しみから改心し逆に子を守る善神になったと言われています。  また、仏教行事であるお盆の元となったと盂蘭盆経という経典は、釈迦の弟子として有名な目連が餓鬼道に落ちて苦しむ亡くなった母を救う話です。この時の母を救う方法が、夏のお堂に籠っての修行(安居)明けの(旧暦)7月15日に僧たちに布施を行うことでした。お盆が旧暦の7月15日や月後れの新暦の8月15日に行われるのはこの影響です。母の愛は子を守るためなら時に餓鬼道や地獄に落ちるような行為でもします。母の日だけではなくお盆にも自分の為に苦労した母への報恩を忘れぬようにしたいものです。合掌。

仏教の宇宙観など

 実在のお釈迦様は考えても分からない悟りとは無関係の事で思いなやまないように諭したと言われています。有名な毒矢のたとえですね。毒矢のたとえは中阿含経の箭喩経にあるお話で、世界の果てや時間の終わりがあるかどうかなどの答えがない疑問に執着する弟子にお釈迦様が語ったたとえ話で、毒矢に射られた人の毒矢を抜いて治療しようとしているのに、被害者が加害者の細かい素性がわかるまでは治療しないとして毒矢を抜かずにおけば被害者はそれが分かる前に死んでしまうという内容のお話です。人生の根本的な問題の解決が優先されるべきであり、実証しようのない事ばかり気にしても仕方がないのです。  余計な事は気にするなというのはまさにその通りなのですが、やはり人はそういうことが気になるようで、お釈迦様の死後、仏教教団の中では宇宙論というか世界観や物理現象や時間についていろんな解釈がなされていきます。そのなかには、現在のマルチバース理論(多元宇宙論)につながるような三千大世界(10億の世界が併存するという考え)の考えや、現代の原子論のような考えかたもありました。三千大世界については幕末の志士である高杉晋作が遊郭で「三千世界のカラスを殺しぬしと朝寝がしてみたい」と歌ったように一般的な世界観として知られていました。この宇宙も含め10億の宇宙は他の宇宙の因縁によって生じ、やがて滅び、また新しく生まれる、今も生まれる宇宙があれば滅ぶ宇宙もあるそんな世界観です。原子論についても単に最小の粒子で物質が構成されているという考えだけにとどまらず、その連結や性質についても(現代的な視点では間違っていても)深く考えられています。時間についても既にある実在した現象が、現在の原因から導かれた結果としえ未来から次々に現在へと現れ、現在の現象は過去となっていくと見る一派もありました。この考えでは時間はこうした個々の実在の連続であり、個別の物質は瞬間ごとに生滅を繰り返すという独特な考えもあります。  これらはもちろん、現代科学の目から見れば間違っている点も多いのですが、実験で確認した訳でもない、こうした説が細かく積み上げ練られた理由はなんでしょうか?仏教には縁起の法により世界は原因と結果が結びついているという考えがあり、それに基づいて自分の内面や取り巻く環境を正しく観察し瞑想する修行があります。過去の多くの修行者が長い時間、

デマの発信源はだいたい怒り狂っている件

 ネットでの書き込みや動画配信などでデマを吹聴している人はだいたい怒り狂っています。  強い言葉を使ったり、疑問を呈する人を侮辱したり、動画だと怒鳴り散らしたりなどです。  デマの配信者が提示するデータ類は根拠に乏しいものばかりですが、怒りのために気にならないようです。  怒り狂う人は冷静さを失っており普段では信じられないようなミスをおかすものです。そうならないように気をつけましょう。  特に印象に残っているデマを言う人は、正露丸がコロナに効くと言う人と今回の感染症はもう終息しており問題ないと強弁する人でした。どちらも自分の意見を理解しない世間や政府に怒り狂っています。怒りのせいで自分が間違っているかも知れないというアイデアが浮かばないのかも知れません。  私も昨日のブログで、パチンコを禁止していない県を、パチンコだけを禁止してない県があるという話の後に書き込み、ミスリードを誘う結果となりました。反省することしきりです。この状況でのパチンコは禁止しようよという怒りの心があった事は否めません。既に修正していますが、誠に申し訳ありませんでした。  わざとデマや嘘を吹聴する人は論外としても、思い込みから意図せずにデマの発信源となる可能性もあります。これに対する仏教的な注意の方法は、自分がいまどういう状況にあるかを正しく観察する正念の心です。正念を心がければ自分の過ちをよく防ぐ事ができます。本来は瞑想の技術ですが、自分をなるべく客観的にみるのは冷静さを保つ上で役に立ちます。  ストレス過多な折ですが、私も皆様も仏智に近づく事が出来ますように、南無佛。    

緊急事態宣言延長とパチンコ店

 新型コロナウイルス感染症にともなう緊急事態宣言は今月末まで延長となりましたが、すこしずつ制限が緩和されています。地域の状況を見ながら段階的に経済活動の再開にも取り掛かるのは必要なことです。しかし、いわゆる三密を形成しやすいナイトクラブやライブハウスやカラオケ店などは、いまだに休業要請を受けている店も多くあります。これらの業種の方々のご苦労は大変なことでしょう。そんな中、同じく三密を形成しやすいパチンコ店のみを休業要請の枠から外した自治体が多いのには何らかの正当な理由があるのでしょうか?  5月7日現在でパチンコ店への休業要請がなくなっている県は北から、青森、岩手、秋田、宮城、長野、鳥取、島根、山口、岡山、香川、徳島、高知、佐賀、長崎、宮崎、鹿児島、となります。(このうち他には休業要請を出していてパチンコ店が除外されているのは、秋田、長野、山口、佐賀、長崎、鹿児島、です。)  あくまでも休業要請なので営業を再開するパチンコ店があっても仕方ないことですが、自治体があからさまにパチンコ店のみを優遇をするのは何らかの利権や癒着の構造が疑われても仕方がない事でしょう。パチンコ店が休業要請から外れている県は、感染者数が少ない県でもあります。もし、これらの県が既に安全であると判断してパチンコ店に休業要請を出さないのであれば、他の業種も休業要請から外すべきです。感染の危険を恐れて、三密を形成しやすい多くの店に休業要請を出しているのですから、県単位では安全だと確信していないのは明らかです。恐ろしい矛盾です。  このような感染の面でも経済の面でも人の命が関わっている問題で、これらの県の知事は人の命よりも優先させるべき何かを感じてパチンコ店のみを優遇したのです。有権者はこの事を忘れてはなりません。  仏教的に見ますと、この県知事らは貪りの心を満たすために多くの人の命をも気にかけない強い煩悩に取り憑かれているのです。悲しい事です。南無佛。

大変な日々をビハーラの心で過ごす。

 最近はビハーラの話題が少なかったので前置きですが、日本において狭い意味でのビハーラ医療とは仏教的終末期医療の事です。現在、新型コロナウイルス感染症流行の影響により、多くの病院や医療機関や介護施設などで面会は禁止され、思い描いていたような終末期を過ごせてない人も多いでしょうし、この期間中に亡くなられた方も多いでしょう。また、目に見えぬ感染症の拡大で自身や身近な人が急に死んでしまう可能性を思う時に、日々の自分のありようについて深く考えさせられた方もいるでしょう。こんな大変な時代ですが、終末期ではなくてもビハーラ医療の考え方、仏教の考え方は冷静な智慧の目を保つのに役立ちます。大変な時こそ先祖から大事にされてきた教えを守り、こころおだやかに生きてまいりたいものです。  しかし、現在の世を見回すと、人々の恐怖や不安を煽って利益を得ようとする輩がおり、悲しい限りです。人は冷静さを失うとあっさりと騙されてしまうものです。こころを落ち着けて参りましょう。  以前にも書きましたが、一部宗派のビハーラ病院では、死を目前にした患者様の恐怖を煽り強制的に自分の宗派に改宗させるような事例が残念ながら見られます。こういうビハーラでは、世の混乱期に湧く詐欺師となんら変わりありません。嘆かわしい限りです。  死に思いをいたす機会が増えたこの世情に、お仏壇に手を合わせて、自分の祖先から伝わる教えを学ぶ機会もつくるといいでしょう。しっかりとした信心があれば、恐怖を煽る詐欺師たちに騙されることもありません。死を思う時に仏教の考え方はきっと助けになります。例え何を奪われても生きている限り信心を奪うことは出来ません。  いつか必ず死ぬ私たちです。日々ビハーラの心でつとめて参りましょう。南無佛。

【憶測】ガタピシは本当に仏教用語か?

 ガタピシ、近年では死語となりつつある高齢者ワードですが、引き戸の立て付けが悪くてガタガタして力を入れると勢いづいてピシッと閉まるような状況や、人間関係がぎくしゃくしている時などに使う言葉です。  このガタピシが我他彼此と書く仏教用語だとする説は、仏教好きな人たちの中では割とよく知られた話ですが、果たして本当にそうだと言えるでしょうか?ちょっと歴史を振り返ってみましょう。  この我他彼此という言葉が出てくるのは鎌倉時代の仏教説話集である沙石集で「凡聖又無二なり、此事を忘れて我他彼此の分別によりて、流転生死の凡夫也」とあります。現代語訳は、普通の人と聖人に差はないのにこれを忘れて自分と他人やあれとこれやと分けて考えてしまうから成仏できず苦しみの生まれ変わりを繰り返す凡人である、という意味になります。  実は、この沙石集は擬音や象徴的な音の表現方法であるオノマトペが多いことでも知られてます。つまり、この時代もガタピシが一般的に使われていたかは別にしても語感的なガタとピシを我他彼此に字をあてて表現した可能性も否めません。我他彼此という言葉は仏教用語としては決してメジャーでは無く、オノマトペとして頻用されているガタピシの語源と言うのは論拠に弱いのではと思えます。それよりも、元々あったガタやピシなどのオノマトペを我他彼此に流用したとする方がスッキリした理解につながります。  とは言え、この予想も根拠薄弱なんですけどね。皆様はどう思われるでしょうか?ご意見があればご教示くださいませ。

感染を隠す人たち

 新型コロナウイルスに感染した事がわかった後も、それを隠して公共交通機関を利用したり宴席に出たりなどする人がいます。そういう報道があるにつけて、感染を防ぐために苦しい中でも社会のために自粛に協力している多くの人々を驚かせています。  なぜ、一部の人はこのような行動をするのかは、例えば、自分とその周囲だけは大丈夫だという盲信、あるいは新型コロナウイルスなんて大したことはないというデマを信じている、またあるいはデマは信じていなくても自分も含めて人の命に価値を見出していない、などいろいろな理由があると思われます。  つまり、価値観やものの考え方が、他の多くの人と極端に違うがゆえに、多くの人から見たときに信じがたい行動をとるのです。うっかりではとれない行動ですからね。  一方、こういう行動をした人を吊るし上げてバッシングするのは正しい事でしょうか?そうすることで反省する人もいるかもしれませんが、元々の思想が違うので単に反感をもつだけの人の方が多いでしょう。また、残念ながら偶然感染して真面目に申告し治療を受けている一般の感染者ですら、何かとアラを探されて叩かれる風潮もあり、バッシングは感染や症状を隠そうとする人を増やすのみです。  では、こういう事例を防ぐにはどうしたらよいのか?やはり第一には行政に一定の強制力を持たせる事です。人権や倫理上の問題があるとの指摘があるのは重々承知していますが、一人の人権の為に多くの人が死に、そのため多くの争いが生じて幅広く人権が侵害されるようになれば本末転倒です。人権制限に対する補償や行政の独裁化を防止する仕組みを盛り込んだ法律を作り運用するべきでしょう。  こういう法的整備とは別に、民間レベルで出来ることは、逆説的ですがまずバッシングをやめることです。危険を危険と思っていない人に対してはそうでないと繰り返し冷静に説明するしかありませんし、人の命を軽視する人には思いやりの心が芽生えるように諭すべきです。そういう主張や説得をするのはバッシングではありません。  先述のように一般の感染者も住所を特定され家に投石されたり、本人や家人が嫌がらせを受ける例が全国的に散見されます。そんなことをして、感染の防御になにか役に立つでしょうか?そのせいで感染を隠す人が増えればむしろ有害です。極端な感情に支配されることなく、落ち着いて智慧のあ

デマへの対処法。

 古今東西、人類は絶えずデマにさらされ続けて来ましたが、世の中が混乱してくると、デマは増えるのもです。デマは人々の恐怖や不安や怒りや貪りの心にとりついて増えます。  デマに対処するにはまず、自分がデマに騙されてはいけません。絶対に騙されない人なんていませんが、なるべく少なくしていきましょう。もちろん、大量に流れている情報の全てを事実かどうか細かく調べることは不可能ですが、ここでは一つだけ絶対に外してはいけない注意点を書いておきます。 激しく感情をあおる情報はうかつに信用してはならない。  激しく感情をあおる情報は色々あります。いくつか例をあげると、演説ならば始めから特定の敵を決めてその相手への怒りをかきたてるようなやり方があります。その相手は大体は怒りの対象となりやすいものが選ばれます。その対象への怒りで聴衆の感情がまとまれば、演者の荒唐無稽なデマも信じられやすくなります。何か問題があった時に、単独の個人や組織のみに問題がある事は少なく、感情を掻き立てての問題の単純化は物事の本質を見失わせます。また、社会的な混乱を利用して日頃から敵対している人や組織を悪者としてやり玉にあげ攻撃しようとする者もいます。用心しましょう。また、社会や環境の急激な変化に不安をもつ人たちを騙して暴利を貪ろうとする人も出てきます。実用性のない検査キットや健康食品などの販売もこれにあたります。さらには、単に人が動揺するのを見て楽しむために、わざと恐怖を煽る様な話や、危険を過小評価する様な偽情報を流す愉快犯もいます。こまった事に、当初は一部の人の悪だくみだったこれらの情報は、少しずつ脚色されながら広がり予期せぬトラブルを招くこともあります。ただ、劣化コピーを繰り返したデマでも、人々の怒りや不安や恐怖や貪りを助長するものの方が拡散されやすく広がります。  感情をあおるような情報は、まず本当かどうか慎重に情報を集めて判断しましょう。探せば必ず反対意見の人もいますので、そちらの意見を聞いてみたり、その分野に詳しい人に尋ねてみるのもいいでしょう。結果、分からなかったら、それは分からなかったと認めるのも大切です。その情報が嘘だと分からなくても、不確かな情報なら信じる必要は無いのですから。  デマであふれかえる昨今、情報に振り回されること無く心を落ち着けて参りましょう。

自粛に効果あり

 新型コロナウイルス感染症に対する緊急事態宣言での全国的自粛による効果が現れており、東京では一人の感染者から感染する人数の平均である実効再生産数が0.5となりました。全国でも0.7となっており、現状の対策を持続すれば、徐々に感染者が減っていく事になります。国民の努力が実ったわけですが、逆に今の時点で自粛を解除すればまた患者数の増加を招きます。まさに今が正念場と言えます。  ただ、自粛による経済的打撃は深刻なレベルになっており、このままの自粛体制の維持が困難になってきているのも事実です。緊急事態宣言は今の所あと1ヶ月の延長が見込まれていますが、それに応じて緊急の公的な援助を行わないと、自粛に従わない人は増え、結果として感染の再増加を招くこととなるでしょう。  また、一旦は感染が沈静化しても、再燃する恐れは当面は続き、自粛も一気に全面的な解除とはならないでしょう。経済活動の再開や復興も大切ですが、経済活動の構造自体を感染症に強いものに改革する必要もあると考えます。  一方、残念なことに、経済活動の再開のため、感染症の危険性を不当に過小評価したり、専門家会議のことを陰謀を巡らす悪の秘密結社かのようにいう人も出てきましたが、そのようなデマを吹聴しても事実は変わりませんし、信じる人も少ないでしょう。再開までの十分な支援を国に要求する方が健全です。  人は目的のためには、その目的が切迫したものであればあるほど手段を選ばなくなるものです。私達もそうならぬように気をつけたいものです。  それではまた。合掌。

抗体保有率1%

 報道されているように、大阪市立大学の附属病院で新型コロナウイルス感染症とは無関係な理由で来院した患者312名に対し、新型コロナウイルスの抗体を測定したところ、3名が抗体を保有していることがわかりました。大阪市立大学附属病院の医療圏に住む人口のおよそ1%が既感染であると推測されます。大阪で確認された感染者の約40倍が実は感染していたと見られます。この数字を多いと思われる方もいるでしょうが、免疫を持つ人が増えることで感染の拡大を防ぐという、集団免疫の戦略からしたら、かなり少ない数字です。また、抗体の保有がそのまま免疫を持っている事は意味しませんので、今、自粛を緩めれば、再び感染の拡大は加速していくと思われます。  感染症対策の視点からすると自粛はかなり長引きそうです。しかし、自粛が長引けば経済的な被害も拡大し、それによる死亡者も増えていくでしょう。それを防ぐために、感染対策の推進ばかりでなく、強力な公的資金の注入と、経済の構造的変革もあわせて行う必要があります。  緊急事態宣言後、感染の拡大は緩やかになってきており、早期の自粛撤廃を求める声が強まってきていますが、この抗体保有率から判断すると危険です。ただ、政治は往々にして情緒により動くこともあるので、自粛撤廃から感染爆発の未来もある程度は覚悟しておく必要があります。  抗体検査は他の都市でも行われており、結果はこれから出てくると思いますが、大阪の結果がよほどの異常値で無い限りは、かなりの長期戦は避けられません。心を強く持って生き抜きましょう。  南無佛。