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護法一揆

 このところ明治期の話が多かったので、その流れで今回は護法一揆の話をします。  明治の廃仏毀釈と言えば寺院や仏像が破壊され僧侶が辱められたとのイメージが強く実際にそうなのですが、実は仏教者はただなすがままにやられてはいませんでした。特に、かつて戦国時代の為政者たちを一向一揆で恐怖のどん底に叩き落した歴史がある浄土真宗の門信徒らがこの法難に黙っているはずもありません。  明治4年4月北陸で維新政府は仏敵であるとして門徒達が蜂起します。同様の一揆は他にも次々おき、同年中に三河で、明治5年4月には新潟で、明治6年3月には福井でそれぞれ真宗門徒らが立ち上がりました。他にもいくつかの一揆があり、仏教を守るべく戦ったこれらの一揆を護法一揆と呼びます。その後、明治政府の仏教弾圧は徐々に弱まっていくことになります。これらの護法一揆はいずれも鎮圧されましたが彼らの必死の抵抗がなければ、日本から仏教は消えていたかも知れません。  三河の一揆指導者の石川台嶺は斬首、新潟の一揆指導者の安正寺知観は死罪、福井の一揆指導者の専福寺顕順と竹尾五右衛門ら六名も処刑されました。他、護法一揆に関わる全ての死者に哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

仏前結婚式

 江戸時代以前の日本では結婚式は現代の様に大規模な宗教に基づく儀式を伴っていませんでした。日本で初めての仏前結婚式は元日蓮宗僧侶で還俗して在家の信仰集団を作っていた田中智学の提唱によって明治18年(1885年)に規定され行われた本化正婚式が日本初の仏前結婚式と言われます。田中は家庭を信仰の道場と捉え、在家主体の信仰を推進していきます。この考え方はキリスト教における結婚が、神との契約による秘跡であり神の愛に基づく家庭の運営は神に与えられた使命でもあるとする考え方にも似ており、やはり文明開化の時代にあって、欧米の制度を取り入れた法や社会制度に順応した宗教儀式を造る必要があったのでしょう。明治期には諸宗派の仏前結婚式も始まり今に続いています。正直いって仏前結婚式は一般化しているとは言い難いですが、明らかに在家重視の流れから生まれた物と言えます。廃仏毀釈で寺社領を失った寺院は仏法を守るために色々と工夫したのです。また、明治期には政府からの圧力もあり僧侶も妻帯するようになるので、結婚に対しての宗教的な裏付けを要していたのも一因でしょう。  ちなみに、カトリックなどで離婚が禁じられるのは結婚が神聖な契約に基づくものでありその破棄は神の意思に反するとされるからです。迂闊にも結婚の時に神の前で死が二人を分かつまで云々の宣誓をしてしまった方は神からの強制力が働くかも知れませんね。仏式でも仏様の前で誓いはしますが、ギアスは発生しません。諸行無常なのです。無常であるから大切にしたいという発想は実に日本人らしく良いですね。  私は配偶者の希望もあり唯一神の前で契約しちゃったクチなので鋭意努力します。合掌。

仏教の肉食禁止や禁葷食について

 日本で僧侶を罵倒するときによく使われる言葉に生臭坊主というものがあります。この場合の生臭とは獣や鳥や魚の肉だったり、ニンニク類などの臭いが強い植物を指し、生臭坊主とはそうしたものを食するお坊さんという意味です。それがなんで悪口になるのかと言えば、日本に伝わった仏教は肉食禁止に変化していたからです。つまり、禁止事項を破る悪い僧だという悪口になる訳です。  初期仏教や部派仏教、後者の流れをくむ現代の上座部仏教では生臭とされる物を食するのは禁止されていません。なんであれ布施を受けたものはありがたくいただく事になっており、肉となる動物が自分のために殺されたかそれが疑われる場合や殺されるところを見ている場合を除けば、肉でも食べて良いとされます。初期仏教や部派仏教は極論すれば出家した僧を救うための思想ですので、他の生物の犠牲はある程度は許容されます。しかし、一切の命を救おうとする大乗仏教では食肉となる動物も救うべき対象ですから、肉食に抵抗感が生じやすいのです。日本に伝わった仏教は、インドの大乗仏教が中央アジアを通り、概ね現代の中国があった地域を経由してもたらされた漢民族風にアレンジされたものです。隋にこの地域が再統一される前の南北朝時代、南朝梁の時代に仏教は日本に伝わりますが、この時の梁の仏教では肉食が厳しく禁止されていたこともあり、日本に伝わった仏教も肉食禁止がスタンダードとなります。また、臭いが強く強壮作用があるとされる植物も煩悩を刺激するとして禁止されていき、この風習も後に禅宗を中心として日本に輸入されます。  日本では一般人に対してもこの漢民族風の仏教精神に則り天武四年(676年)に天武天皇が肉食禁止令の詔を発しました。これは牛、馬、鶏、犬、猿に限定した肉食禁止であり、しかも4~9月の農耕期間のみのものでした。しかし、仏教の精神に則った肉食禁止令が出ている以上、僧侶たちが肉食するのはより強く憚られることとなります。日本における肉食文化はその後もなんだかんだと言って続くのですが、信長が比叡山を焼き討ちした際にも天台の僧侶が魚鳥を食べていると批判しており、一応は後ろめたさを伴うものでした。時は過ぎ、幕末から明治にかけての廃仏毀釈が吹き荒れる明治五年(1872年)に僧侶の妻帯肉食を認める太政官布告が出されます。妻帯肉食は強制ではありませんが、徹底的な弾圧にあっていた僧侶は政

我思う故に我ありという言葉

 我思う故に我ありというデカルトの命題は多少の異論はあっても一般的には、この世の全ての物を疑ったとしても今こうして考えている「我」の存在は疑いようも無いとする言葉と理解されています。  この考え方は通常は正しい様に思われますが、大乗仏教的空の視点から見ると「我」はあくまでも様々の関係性の中の観念に過ぎず確固たる存在の「我」があるとはみません。つまり我思うとは「我」が思った様に錯覚しているだけなのです。  我が思う事でこれまでの経験による影響を免れるものは何もありません。父母や先生や書籍やその他の五感を経由して記憶した事の組み合わせです。我は、それでも何かの新しい考えをひねり出すかも知れませんが、それではその新たな考えのみが「我」なのかと言うと違うはずです。我が思う「我」とは考える主体であり、考えている内容の独自性が高かろうが低かろうが無関係です。  常識的に考えれば「我」は肉体を保有しており脳で物事を考えます。外界といくら関係性があろうがこれを「我」だとするのが通常ですし、社会的にはそうしておかないと諸々話が進みません。しかし、存在の実在性を徹底的に疑ってかかった時、自分が常識的に認識している世界は全て幻想であるかも知れないというアイデアを否定するのは不可能です。それでもそういう事を思っている主体として「我」があるのだと考えがちですが、実はそう認識しているだけで「我」が主体であることの保証にはなりません。  もし、あなたが自分とは違う仮想上の人格を考えて、その人がどんな考えをするのか熟慮したしたとします。その際、自分は仮想人格の思考を見てさらなる思索の助けとしますが、この時に仮想人格の考えは主体として存在するとは言えません。仮想人格はあなたが主体的に考えた幻に過ぎないからです。そして、あなたが「我」と感じている物が実はサンドボックス内の仮想人格で無いと証明することも出来ません。  こうした決して証明のしようが無いことを考えるのは楽しいかも知れませんが、現実的には時間の無駄でしかなく有害です。結局、私達が「我」だと思っているものは他の様々な「我」の影響を受けて成り立っており、また「我」による出力は他の多くの「我」にも影響を及ぼしているのですから、「我」の境界線はどんどん不明瞭になっていきます。全てが移ろいゆく諸行無常の世界では、確固たる「我」は存在せず諸法無我なのです

不飲酒戒

 今日は日本で最も守られていない戒である不飲酒戒のお話です。  不飲酒戒は書いて字の如く仏教徒はお酒を飲んではいけませんという行動規範です。ただ、この場合のお酒はアルコール類だけではなく酩酊効果のあるもの全般を指します。アルコールや薬物により自己を律することが出来なくなると、他の戒律も違反しやすくなります。ラブ・アンド・ピースな方々が平和のハッパとかのたまわるガンジャやLucy in the Sky with Diamondsなお薬なども論外です。  自分も以前過労で不眠になった時に上司から睡眠薬を処方された事がありますが、もののみごとに逆行性健忘となり、朝になって目が覚めたら記憶にない宴会の跡が部屋中に散らばっていた事があました。コップは一つだったので一人でウェーイしていたものと思われます。自分が全く意識しない行動をしていたというのは中々の恐怖でした。  もちろん、不眠で悩む人に睡眠薬が処方されるのは妥当ですし、今では昔に比べて副作用の少ない薬も出ています。不飲酒戒を睡眠薬や向精神薬に適応するべきではないです。しっかり治療しましょう。  ただ、違法薬物は言うに及ばす、飲酒についてもアルコール依存により脳や神経に不可逆的な障害を来す人も多いので基本的には不飲酒戒は守った方が良いでしょう。アルコール依存まで行かなくても飲酒により転倒事故や脳出血も増えます。何らかの理由で飲むときも不飲酒戒が心に引っかかれば飲酒量もほどほどになるので、日本では全く守られていないこの戒も少しは気をかけてみると良いでしょう。  日本では在家信徒だけではなく、元々が無戒の浄土真宗を除いても殆どのお坊さんが飲酒をします。よっぱらって迂闊な事を口走らぬようにくれぐれもご注意ください。確かに檀家さんから勧められれば断りにくいのもあるでしょうが、自分は戒律を守っているから飲めないと言ってもほとんどの檀家さんは納得されるかと思います。  今年はコロナ禍で宴会なども少ないかと思いますが、皆様も飲酒はほどほどに。とは言え、コロナ禍で消毒に使えるアルコールを大量に作ってくれた酒造会社には感謝申し上げます。アルコール消毒文化が広がって酒造会社が倒産しないように切に祈ります。

不立文字

 禅宗系の宗派では不立文字といって、経典や論での言語的教え以外に直接人から人へと修行によって伝わっていく非言語的教えがあるとする考えがあります。大乗仏教の実質的な祖である龍樹菩薩も言語の限界を指摘しています。座して学習し、人々と議論するだけでは理解できない言語化困難な直観は確かにあります。ですが、龍樹菩薩の中論や、道元禅師の正法眼蔵ではこうした直観をあえて言語化しようとしています。言語化が困難な物を言語化しているがゆえにたいそう難解なものとなっています。公案集も含めてこうした本が難しいのは当然なのです。  では、先人達はなぜに教えの言語化を試みたのでしょうか?本人では無いと正解は分かりませんが、人づてに伝わるうちに予期せぬ教えの変異が起きるのを避けるために、ヒントとなる事をなるだけ書き残そうとしたのでは無いかと思います。ただ、文章で伝わっても書き写したり訳したりするうちに変異は起きますし、解釈が変わる事もあり悩ましいことです。  天台宗や日蓮宗の摩訶止観も精神を集中して観察するという禅と同じようなものですが、こちらは法華経の教えがベースとなっており事細かく言語化体系化されておりやや趣を異にします。  不立文字を批判する宗派はありますが、他人の言葉を聞く時は文字面とは別の意図が無いかは気にしておいて日常生活上の損は無いかと思います。思いやりの心は大切にしましょう。  それではまた。合掌。

勝鬘経にみる富の再分配

  勝鬘経で王妃にして優婆夷(女性在家信者)の勝鬘がお釈迦様に今後の行動を誓った十大受の六番目に「世尊 我従今日乃至菩提 不自為己受畜財物 凡有所受悉為成熟貧苦衆生」という文言があります。現代語訳では、「お釈迦様、私は本日より悟りに至るまで、自分の為に財産を蓄えず、受けた財は貧しく苦しんでいる人々の為に使います」となります。これは個人レベルで見れば単なる利他行ですが、国家の中枢にいる者の発言としてはまた別の意味があります。彼女の収入はほとんど全てが税により賄われている訳ですから、為政者として社会福祉を誓ったものとも受け取れます。  実際に、勝鬘経を重視していた聖徳太子も自らが創建した四天王寺に病院や老人施設などを建設しておりこの教えが実行されています。彼が仕えた推古天皇は女帝であり王妃が活躍する勝鬘経は説得力があったのかも知れません。  勝鬘経では如来蔵思想についても詳しく解説されています。一般に如来蔵思想を説明する際にはよく、「皆さん一人一人の中に仏様がいらっしゃるんですよ」という感じのものが多いですが、勝鬘経で説かれる如来蔵とはどちらかというとこの世の真理は普遍的であるが故に全員が持っているという風な解釈にも読め、極論すれば空を観ずるのと大体同じであるようにも思えます。こうなると自利も利他も渾然一体となってきます。社会福祉は為政者がしてやっていることではなく全体のためにもなるのです。  宗教や倫理的な話でないプラグマティズム的な発想でも、有効な富の再分配は経済を刺激しますし、公衆衛生や治安維持にも寄与します。どんなに努力しても貧窮な状態となる人はおり、運の要素も強いです。そんな時に社会福祉が充実していないと、貧乏は直接的に命の危険を意味します。結果として人は極力貯蓄に走る様になり、景気が悪化するばかりでなく教育や文化に対する支出が減り力無き民が再生産されるのです。こうした社会では一部のお金持ちがずっと勝ち続ける社会となります。社会的な弱者が福祉から外れれば、弱者も命がかかっていますので犯罪行為も起きやすくなります。また、十分な医療にアクセス出来ない人口の増加は感染症に脆弱な社会となり公衆衛生上にも深刻な問題を起こします。現在、欧米で感染が増加している新型コロナウイルスですが、欧米では安価な労働力を求め十分な福祉も受けられない大量の不法移民を黙認し奴隷のように使っ

代受苦

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 道端のお地蔵さんは呪われてそうで気持ち悪いなどと言っている人がいたので反論すべく今日はお地蔵さまの話をしたいと思います。このブログでも時々お地蔵さまのお話をしてきましたが、今回はお地蔵さまの代受苦の話です。  日々、この世の一切を救うために働いておられる地蔵菩薩は人々の苦しみを代わりに受けてくださると信じられており、このはたらきを代受苦と言います。ですから、気持ち悪いとか不吉だとかそんなひどい言葉をかけられているお地蔵さまはきっと誰かに向けられるはずだった悪口を受けている最中なのです。首を落とされたお地蔵さまも誰かが殺されるのを守ったのでしょう。そんなお地蔵さまを見かけたらありがとうございますと供養してさしあげましょう。  南無地蔵大菩薩 唵訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶

フランスにおけるイスラムフォビア

 フランスでイスラム恐怖症が急速に拡大している。今回は政府が公的権力を持ってイスラムの弾圧に乗り出しており、今後さらなる対立の激化が懸念される。この一連の動きのきっかけは先日のイスラム教徒による中学校教師の斬首事件だが、これまでの積み重ねも大きく背景を振り返っていきたい。  フランスはEU加盟国では最も多い600万人近いイスラム教徒を擁している。人口比率で約9%となる。フランスへのイスラム教徒の集団的流入は主に第二次世界大戦後の旧植民地からのものに始まる。当初から安価な労働力を期待されてのものだったが、その子や孫の代になっても差別的な待遇は続き末端の労働者が多いために失業率も現地の白人と比べて高い状態が恒常化している。また、近年でもより安価な労働力の需要はあり、人道主義の名のもとに無軌道な大量移民を促進した結果、文化的な衝突も増えるようになった。一方で、白人の出生率が低いのに対し、イスラム系移民は総じて子沢山であり今世紀中頃にはイスラム教徒がフランスのマジョリティーとなるとの予測もある。  フランスのイスラム恐怖症はこうした現状に対する白人達の反感の表れでもある。ただかつてのフランス植民地経営の苛烈さからも分かるように、フランスには総じて人種差別的な文化がある。戦後でも、北アフリカで独立運動が起きた時に、核実験と称して彼らの目の前に威嚇核攻撃をしたのは狂気の沙汰だ。福島の原発事故後も日本人をバカにする漫画がフランスの週刊誌に掲載され日本から抗議の声があがっても「ユーモアのセンスが足りない」と自らの人種差別主義を反省するどころか日本人が理解力に欠ける劣等民族であると言わんがばかりの開き直りを見せたのは記憶に新しい。  さて、今回の事件のそもそもの発端は、左派の風刺雑誌であるシャルリー・エブド誌が、過激派から愛されて困惑する下半身丸出しの預言者ムハンマドを滑稽に描いた風刺画を発表したことにある。ただ問題はこれだけではなく、シャルリー・エブドの元からの風潮で、伝統や宗教や保守派を侮辱し続けていたのも大きいだろう。左翼からは絶賛されるこれらの風刺画も、そうで無い人から見れば、人間がこれほどに醜悪に他者を侮辱し笑いものにできるのかと、その闇の深さに戦慄を覚えざるをえない。  このシャルリー・エブド社は2015年1月7日にイスラム教徒の襲撃を受けて社員12名を含む17名が死亡し

良寛さんの歌 その5

  良寛さんの歌のその5です。前回、晩年には気弱な歌が多いと書きましたが、そんな気弱な状態の長歌を紹介します。この長歌は自らの病を嘆き、亡くなった家族を想い、家の没落と自らの境遇に泣くという、実に人間的な感情をほとばしらせている歌です。名の知れた僧でありながら、格好つけずに嘆き悲しむ様子は晩年の浄土教への偏りもあり良寛さんの凡夫宣言のようにも読めます。また、類似の長歌は以下の物も含めて4つあり、良寛さんが強く主張したかった内容だと思われます。  わくらばに 人となれるを 何すとか この悪しき気に さやらえて 昼はしみらに 門鎖して 夜はすがらに 人の寝る うまいも寢ねず たらちねの 母がましなば かい撫でて たらはさましを 若草の 妻がありせば かい持ちて 育まましを 家問へば 家もはふりぬ はらからも いづち往ぬらむ 鶉鳴く 故郷すらを 草枕 旅寝となせば 一日こそ 人も貢がめ 二日こそ 人も貢がめ 久方の 長き月日を いかにして 世をや渡らむ 日に千度 死なば死なめと 思へども 心に添はぬ たまきはる 命なりせば かにかくに すべのなければ 籠り居て 音のみし泣かゆ 朝夕ごとに  大意は以下の通りです。「転生の中で幸運にも人間となれたのに、どうして悪い病気にかかり昼は閉じこもりきりで夜は苦しく眠れないのだろう。母がいてくれたら撫でてくれただろうに、妻がいれば看病してくれただろうに、実家のことを問えば、家は落ちぶれて兄弟たちもどこに行ったのか分からない。そんな状態では故郷であってもまるで見知らぬ土地を旅しているような生活だ。一日や二日ならば人も助けてくれるだろうが、今後の月日をどうやって生きていこうか。一日中もう死ぬなら死んでしまって構わないと思うが、思い通りにはならない命なのでどうしようもなく、毎日ずっと家にこもって声をあげて泣いてしまうことだ。」  この歌の中に妻が出てきますが、実は良寛さんは出家する前に妻帯しており、その妻のことだと思われます。しかし、栄蔵(良寛)は家同士のトラブルで妻の実家から離縁させられます。この時妻は妊娠中で実家に戻り出産しますが、出産後に死亡し産まれた娘も早逝しました。謎と言われる良寛さんの出家の理由の一つかも知れません。晩年の苦しい時に母とならんで思い出すほどに気になっていたのでしょう。兄弟の身も案じる一方で、なかなかの問題児で京都

仏教は虚無主義か?四顛倒と常楽我浄

 仏教は虚無主義だと言う意見をよく聞きますが本当でしょうか?今日はそれを検討してみたいと思います。  さて、仏教が虚無主義であるかどうかを判断するには、まず虚無主義とはなんぞやという事から決めねばなりません。虚無主義、ニヒリズムはその言葉を使う人によって意味が違っていることが多いですが、歴史的に見れば、主にキリスト教の価値観が崩壊した西欧社会において、世界や人間の存在に意味や価値が無いとするものの見方です。虚無主義者がこの事実に対して取りうる態度は、無価値であることを認め流されるように生きて死ぬことか、無価値である世界に自己の価値や意味を創造しそれに殉じることですが、一般的に虚無主義とは前者を指す場合が多く今回はこちらを虚無主義代表とみなします。  そういう意味での虚無主義と仏教が同一視されがちな理由は何でしょうか?仏教の根本的思想である一切皆苦、諸行無常、諸法無我、等の言葉を並べてみると、なるほど一見しただけでは虚無主義的だととらえられるかも知れません。こうした考えを正しいと見るがゆえに、古来仏教には四顛倒と呼ばれる誤ったものの見方を示す言葉があります。即ち、この世の全ては永続しない無常なものなのに不変である(常)とみなし、この世の全ては苦であるのに楽しいことを見出し、この世は関係性の中にあり確固たる自我など無いのに我が存在すると考え、この世の全ては汚いのに清らか(浄)だと錯覚するというものです。この教えは後述するように大乗仏教の出現により解釈が反転することとなりますが、この世(有為)の四顛倒の考え方は少なくとも上座部仏教などの部派仏教には当てはまります。  では部派仏教は虚無主義なのかと言うとそれも違います。部派仏教の究極的な目標は煩悩を断ち切ることで煩悩から連鎖する因縁のつながりによって起きる生死の繰り返しから抜け出す解脱にあります。表面上は虚無主義的に見える思考と修行は解脱して絶対的な安らぎである涅槃に入るという価値や意味の元に成立しているのです。部派仏教では輪廻転生はあるとしていますが、輪廻の輪から解脱した者が死後どうなるのか明示していません。これは部派仏教的に考えれば、もし死後の世界があってもなくても全ての執着を捨てた者にはどうでも良いことだからでしょう。  はい、次に我らが大乗仏教は言うまでもなく虚無主義からはかなり縁遠い教えです。だいたいにおいて仏教

認知症患者への虐待事件

  本日もまた、サービス付き高齢者向け住宅の職員が入所している認知症患者に対して殴る蹴るの暴行を行ったとして逮捕されています。  以前にも書きましたが、こうした虐待行為の最大の原因は介護職員の不足と待遇の悪さにあります。もちろん、暴行するような人が一番悪いのですが、お金にも時間にもゆとりがなければ大体の人はイライラするものです。なのでまずは、怒らないように環境を整えるのは大切な事です。労働環境の改善は妥協してはいけません。  また、ユマニチュードなどの認知症患者の介護技術を学ぶのも大切です。忙しいと研修や現場の改善も難しくなるので、まずは労働環境の改善が先決ですが、最低限でも患者様の目を見て優しく語りかける事に留意するべきです。  最後に、個人的に怒りの閾値を上げるのも重要です。華厳経の普賢菩薩行品では怒りの心を最大の悪として捉えています。普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍とされることもあり、その際の普賢菩薩は慈悲を文殊菩薩は知恵を表しており、阿弥陀如来に対する観音菩薩と勢至菩薩と同じ役割となります。怒りのコントロールには数を数えたりする方法が有名ですが、こうした慈悲の菩薩たちに想いをはせるのも仏教者としては良いかも知れません。怒りはなんだかんだと理由をつけて自己増殖します。自分の心を観察するマインドフルネス的瞑想の技術も流用できますが、特に修行していなくても瞬時に怒りを断ち切るには信仰の力を利用しない手はありません。信仰心があれば普賢菩薩にでも観音菩薩にでも良いのでお祈りして怒りを収めるのも良いでしょう。  こうした虐待事件は被害者にも加害者にもその家族や縁者にも悲劇です。虐待事件が無くなるように祈ります。  

仏教と巨大数

  子供の頃に学校で習った命数法では、日常では使わない大きな数字に恒河沙、阿僧祇、那由多などのカッコイイ名前が多くワクワクしたものです。残念ながら、社会に出てからは一部の専門的な職種や趣味の人を除いて極端に桁の多い数字を使うことはありません。これらの数字は主にインドで生まれ漢訳された仏典によって日本に伝わったのです。恒河沙などはそのままガンジス川の砂の数と言う意味です。逆に少数でも一般に名前のついている最も小さいものは10のマイナス24乗の「涅槃寂静」でそのまま仏教思想を表しています。今日は仏教と巨大数についてお話します。  さて、華厳経の中にはまるまる一章を巨大数の解説だけに使った物があります。華厳経は元々が、4世紀頃に現在のウイグル地方でインドから伝わった複数の経典を継ぎ接ぎにまとめたもので、いくつかのバリエーションがあります。六十華厳と呼ばれるものでは心王菩薩問阿僧祇品と呼ばれる章に巨大数の解説があります。この品の中では百千(10万)の二乗の百億を「拘梨」と名付け、さらにその二乗の一垓を「不変」と名付けています。2乗された答えをまた2乗にすることを「拘梨」から120回続けた数字が「不可説転々」と呼ばれます。一般に習う最大の命数である無量大数はたったの10の68乗ですのでスケールに違いがありすぎですね。  華厳経ではこのあとに、浄土と現世などの世界に応じて違う時間の流れを説明しています。この説明の際のスケール感を実感させるため事前に巨大数の説明をしたのかも知れません。実際に時間は相対的なものでしか無いのですが、1500年ほど前に直感で言い当てているのはすごいです。  華厳経は大乗仏典に属し、空や唯識や如来蔵思想を混ぜ合わせたような章立てになっており、菩薩の修行段階を示した十地品や、善財童子が色んな人々から教えを受けて成長する物語の入法界品が有名です。すべての世界に等しく働く原理として毘盧遮那仏を中心とした教説を作るに当たり、スケールの大きさを示すのにも数字を観るのは意味がある様に思えます。  言うまでもなく数字は無限です。人間がどんな表記法を考えついても、機械がどんなに発達しても、数を数え尽くすことは不可能です。無限を数えると言うことにおいて人間は必ず数字に敗北します。数は最も手軽に無限を体感できる概念でもあるのです。物を数える時の数字は人の分別や差別に由来しま

父母

  親鸞聖人の浄土和讃の中の弥陀和讃に次の歌があります。    平等心をうるときを 一子地となづけたり  一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし  この歌では、全てを平等に観る心を得る境地を一子地と名付けています。一子地とは、この世のすべてを自分の一人子に対するような慈悲の心を持って接する事とされます。これは極楽往生してから悟るものだとしています。  同じく、親鸞聖人の正像末和讃の皇太子聖徳奉讃に次の歌があります。  救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して  多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ  日本仏教の祖と言うべき聖徳太子は救世観音菩薩の化身として各地で崇敬を集めています。親鸞聖人が法然聖人に出会う事になったもの聖徳太子の夢告によるもので、多くの聖徳太子を称える歌が残されています。この歌では、救世観音菩薩たる聖徳太子が、我々衆生のことを父親の様に見捨てずにいて、母親のようにそばにいてくださると詠んでいます。  このように仏の慈悲を説明する時に親の子に対する情が全世界に及んでいる状態とする説明を行う宗派は浄土真宗に限らず多いです。日蓮宗で特に父母への孝養の心を強調しているのは、仏から自分に対する慈悲の心への報恩を意味してもいます。  しかし、そもそも論として仏僧がなぜに出家するのかと言えば、こうした情を執着と考え断ち切る為でもあります。仏がこの執着を全世界レベルまで拡大したとして、それは仏教的に妥当と言えるのか疑問が生じるかも知れません。  この疑問の答えは部派仏教的には恐らくアウトですが、大乗仏教としては問題ないかと思います。大乗仏教は利他がまず先に来ます。一切の差別なく平等に森羅万象に広がる執着は他と比べることも出来ません。他と差がなければ執着とも言えなくなります。菩薩行を極めれば自利も利他も差別も平等もすべての分別から離れるのです。  ただ、この親子の情の例えは一般にわかりやすいという利点はあるものの、親から愛情を注がれずに育ったり、自分の子もおらずいても子に愛情が持てなかったり、概念としてもそれらを理解出来ない人には、むしろわかりにくいものとなるでしょう。有史以来、子供への虐待は途絶えたことがありません。一定数はこの例えを体感的に理解できない人がいるはずです。しかし、大乗仏教の成立以来、多くの僧が世界の全てに慈悲を持とうとして生きてきたからこそ

お地蔵さまに言わせてみる。

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 同じことでも誰が言うかで受け手の印象は変わるものです。韓非子にこんな話があります。屋敷の壁に穴があいていることを知り心配して屋敷の主に注意した息子と近所のおじさんがいました。その後しばらくして、屋敷に泥棒がはいった時に屋敷の主は自分の息子の先見の明を讃え、近所のおじさんは犯人では無いかと疑いました。同じ気持ちで同じことを同じ人に言っても、言った人によって受け取られ方は変わってしまいます。会社での意思決定や政治の方針に関しても、それを言う社長や首長が聞き手に好かれているか嫌われているかにより、時にその印象は180度変わり判断の間違いにもつながります。  仲のいい人の意見に対してはこちらも冷静に検討する心の余裕がありますが、嫌いな人が出した意見には何が何でも反対したくなるのは人の性です。  そんな時はお地蔵さまに嫌いな人の意見を言わせてみるのはいかがでしょうか。もし、お地蔵さまなら決してこんな酷いことは言わないと思うのであればやはり酷い意見なのでしょう。しかし、お地蔵さまが同じことを言ったならば意外と良い意見のように聞こえるのであれば、その意見は検討の余地があります。  ちょっとした漫画を書いておきましたのでイメージとしてお使いください。話すのは別にお地蔵さまで無くても、自分に身近で親しみがあり正しいと思う存在を仮定してみて良いです。  それではまた、合掌。

世界食料デー

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  10月16日は世界食料デーです。1945年の今日、飢餓の撲滅を目指した国連食糧農業機関(FAO)が設立され、それを記念して1981年より10月16日を世界共通の記念日とされています。  世界食料デーは毎年テーマを発表しており、今年は「育て、養い、持続させる。共に。 未来をつくる私たちのアクション」です。  今年のノーベル平和賞を受賞したWFPは国連総会とFAOの決議により1961年に創設されたもので、国連事務総長とFAO事務局長がWFPの共同事務局長を務めるいわば実働部隊です。  生活の基本をなす衣食住のうち、衣と住はなくても生存の可能性がありますが、食の欠落は確実な死を意味します。  小学生の頃に飢餓を経験した身としては、食べ物の大切さやありがたさを次の世代に伝えていきたいと切に思います。  世界食料デーは日本では目立たない記念日ですが、まずはこの日を祝って食料を大切にする気運を盛り上げていきたいと思います。

熊野信仰

  今日は熊野三山の一つ熊野速玉大社の大祭の日です。今年は例によってコロナ禍で規模が縮小されていますが、大祭を記念して今回は熊野信仰のお話をしていきます。  熊野の地に対する信仰は古代からあり、神代の頃に熊野の神倉山に速玉大神とその夫人の牟須美大神が降臨されたと伝えられ、この夫婦が日本の国を産んだイザナギとイザナミであるとされます。速玉大社の主祭神も速玉大神ことイザナギ大神となります。  現在の速玉大社から海岸沿いに北上すると、イザナミを葬ったとされる花の窟があります。日本神話でこの世と冥界の境目である黄泉平坂は島根県の物が有名ですが、和歌山にもこうした話があるのです。さて、神話で有名な話ですが、死んだイザナミを取り戻そうと冥界に降りたイザナギは、ギリシア神話のオルフェウス同様、見ないと約束した妻の姿を冥府で見てしまい妻の奪還に失敗して永遠の別れをすることとなります。地上に戻ったイザナギが冥府のけがれを祓い清める為に禊をした話が、今も神道に伝わる大祓や祓いの祝詞の原型となっています。その禊をした場所が和歌山に伝わる伝説では熊野の西にあった小戸川、後の岩田川、現在の富田川となります。仏教伝来後は熊野を浄土に、都から熊野に至る途中にあった岩田川を三途の川に見立てて、独特な信仰形態が出来上がってきます。  熊野三山と言われるように、熊野は速玉大社の他に、その妻の牟須美大神を祀った那智大社、そして本宮にはスサノオ命として家都美御子大神が祀られています。日本神話ではスサノオが冥府の主なので当てられたものと思われますが、本宮の神が果たして元からスサノオとして祀られていたのかには疑問もあります。ともあれ、これらの三山は神仏習合後は本宮が阿弥陀如来の極楽浄土、速玉大社が薬師如来の瑠璃光浄土、那智大社が(千手)観音菩薩の補陀落浄土に模されて信仰されていきます。那智大社のそばには観音菩薩の聖地で西国三十三所の一番である青岸渡寺もあるので有名です。  観音菩薩の聖地であることもあり那智勝浦では中世に補陀落渡海と言って有志の僧が屋形船のような船で観音菩薩の浄土である補陀落を目指し南の海に流される、僧の自主的な捨身によって衆生を導く儀式がありました。流された僧はほぼ確実に死にますが、16世紀に日秀という真言宗の僧がこの補陀落渡海で沖縄に流れ着き、現地で熊野信仰と真言宗を広めたとされます。  

良寛さんの歌 その4

 今日は、良寛さんが加齢に伴う体力の低下もあり山中の五合庵を出て、麓の乙子神社社務所に暮らしていた頃の歌を一首紹介します。  ますらをの 踏みけむ世々の 古道(ふるみち)は  荒れにけるかも 行く人なしに  過去に立派な先人たちが作り上げてきた(仏の)道が、今やす誰もおらず、すっかり荒れてしまったと嘆いた歌です。  良寛さんは大悟して後もお寺の住職などには収まらず(誘いがあっても辞退して)世俗の民の中に乞食行を修めながら清貧の生活を送っていました。良寛さんのいう古道が具体的にどのような仏道だったのかは述べられていませんが、自身の目指す姿を思い描いていたのでしょう。一般の衆生とともに泣きともに笑い、自身は贅沢をせず、書や詩歌を極め、求道を尽くした良寛さんは稀代の名僧です。一方で、多くの詩歌に、その感情を包み隠さずさらけ出しており、昔も今も人々の心をひきつけてやみません。  良寛さんの歌は、晩年になるに従い弱気な物が増えていきます。以前に紹介した辞世とも言われる「形見とて何残すらむ春は花、夏ほととぎす、秋はもみぢ葉」も秋の月(仏法)と冬が欠落しており、仏道修行が完成せずに散る自身の悲哀を歌ったようにも読めます。良寛さんは死後、自身が修行した曹洞宗ではなく、浄土真宗の寺に埋葬されます。最晩年の歌には次のような物があります。  幾歳の 願ひか今日は 巡り来て  はや生まれゆく 花の台(うてな)に  死後、極楽浄土へ生まれる事を喜ぶ歌です。墓碑に書かれている南無阿弥陀仏も良寛さんの筆によると言われ、晩年に住んでいた木村家も浄土真宗の門徒であり、良寛さん自身も浄土教への想いを増していました。こうした人間くささも良寛さんの魅力の一つです。ただ、そのライフスタイルや思想は単なる宗派では語れない独特の教えを今に問いかけ続けています。良寛さんの思う古道に想いをはせながら、今日も勤めて参ります。

日蓮聖人忌

 10月13日は日蓮聖人の御命日です。  日蓮宗については改めて説明するまでも無いですが、永遠の存在である釈尊が説かれた最高の教えとされる法華経を仰ぎ、法華経の行者としてこの世に仏国土を築くのを目的とした集団です。日本の仏教の中でも社会の改革改善に一番熱心な宗派と言えます。比叡山に学んだ日蓮は自身の立教開宗後もしばらくは天台沙門日蓮と名乗っており、真の天台宗の復興を目指していた感もありますが、日本天台宗は総合仏教に発展していましたので、法華経を軽んじているとして後には日本天台宗も批判の対象となっていきます。  日蓮の代表的五つの著作である五大部のはじめの作である「立正安国論」も最後の作である「報恩抄」も自分の正しさを他宗が如何に間違っているかを中心に論じられており、このスタイルが生涯一貫したものであったことを示しています。とはいえ「立正安国論」に込められた殺気は「報恩抄」ではややマイルドになってはいます。  こうした書物を読むと日蓮はなんて攻撃的なんだと思う人も多いでしょうが、私的な手紙などでは端々に気配りや優しさが満ち溢れた文章を書いており、人を一面からだけ見て判断する愚を感じます。  もっとも日蓮宗の原理主義的解釈では他宗派も支持する小生は地獄行き確定ですが、歴史学的な意味での法華経は、それまでの大乗仏教が小乗仏教として差別していた仏教者たちも、五逆の悪人も、当時は差別的な身分であった女性も、さらには獣もまとめて救おうとする理念で作られていますので、小生もどうにかなるでしょう。日蓮宗には友達も血縁者も多いので許してください。南無妙法蓮華経。

釈迦の仏教

  仏教はその発祥以来、時代や地域ごとに多様な進化を遂げてきました。しかし、その結果として現在の仏教は当初お釈迦様が説かれた内容とは異なるとの批判もあります。こうした批判を受け、釈尊オリジナルの教えを原始仏教、初期仏教、あるいは釈迦の仏教と呼び尊重する人たちがいます。本日はその釈迦の仏教について考察してみたいと思います。なお、私どもは日本の伝統仏教を支持する立場にありますので、それによるバイアスがかかりますことをご容赦ください。  近代より前の時代は、それぞれの宗派が自分の宗派こそお釈迦様直伝の教えだと主張していた訳ですが、徐々に歴史学的な見地からは現代に伝わる仏教はオリジナルとだいぶん違うものだと言うことが分かってきました。それがどうしたと言える胆力がある仏教者には別に問題は無いのですが、オリジナルこそが絶対に正しいと考える人達には大問題となっているのです。ですが仏教は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のように絶対神から預言者が直接的に真理を伝授されたのと違い、あくまでも人間が真理を見つけ出したものです。時代や地域文化によって最適解が変わっても別に構わないのです。もちろん歴史学宗教学としてオリジナルの仏教がどういうものだったのかを解明するのは重要な事ですが、信仰としての仏教に関して、オリジナルとは違うと言う理由で例えば密教や浄土教の信者が棄教する必要は微塵もありません。  とは言え釈迦の仏教がどんなものだったのかは気になるところです。また、釈迦の仏教が自分に合うからと信奉する人がいてもこれも全く問題ありません。しかし、残念ながらお釈迦様在世の折にどのような仏教が説かれていたのかは正確には分かっていないのです。したがって、釈迦の仏教なるものを信奉する人の多くは、歴史学的に推定される釈迦の教説を信奉しています。しかし、一部には自分の主義主張(なぜか主に唯物論的な物)を勝手にお釈迦様の主張にすり替える輩もいます。後者は大乗仏教だって同じだろうとの批判はありますが、大乗仏教は仏教の流れから漸次発展してきたものであり、突然まったく違う内容をお釈迦様の真意だとしたのではありません。  なぜ、お釈迦様の真説がはっきりしないのかと言うと、現在に伝わる最も古い経典群が文章化されたのはお釈迦様没後200年後の紀元前3世紀頃であるとされ、それまでは口伝えでしたから完全な内容が伝わってい

仏教と男色

  日本では平安時代頃から仏僧の男色行為はあったと聞きます。では仏教自体が男色に寛容かといえばそうでもなく、初期仏教の僧侶は相手の性別や動物を問わず性交渉は重罪でした。LGBT云々以前に性的指向を語ること自体がアウトだった訳です。もちろん、在家信者にはこの律は適応されませんが、在家信者の努力目標の一つである不邪淫戒は一般的に夫婦間以外の性交渉を禁じるもので、拡大解釈しなければ同性愛許容とはなりません。  ところが例によって日本ではこういう戒律はほぼ無視されます。神道でも婚姻は男女間のものとしていますが、婚姻外の性的活動を咎める規定もなく、武士の時代には高度な精神性を持って男色文化が栄えていくのです。そういう風潮を嘆き戒律の復興を目指す人もいましたが、他人のプライベートに口出ししない文化の影響か大きな社会的な軋轢となることも無かったのです。  したがって、日本の仏教勢力がイスラム国の様に同性愛を否定して、彼らを処刑することはありません。日本の仏教はプラグマティズム的に教義よりも環境の方に合わせていい加減な改変が積み重なってきたとの批判もありますが、このいい加減さが寛容で利他と慈悲に満ちた幅広い救いをもたらしているです。価値観は時代や地方で変わるものです。自分と変わらぬ法を頼りに、執着を離れるのは仏教的にも良いことでしょう。

世界メンタルヘルスデー

  今日は世界なんとかデーの中でもかなり影が薄い世界メンタルヘルスデーです。統合失調症や鬱病は治療するべき話であり患者が差別対象となってはなりません。また、どんな人でも環境が悪いと精神を病むものです。精神を病む可能性をもって差別していいのなら世界中が差別の対象となってしまいます。  このような差別がまかり通る理由の一つは、差別主義者は精神病患者を恐れているからです。確かに令和元年度版「犯罪白書」によると平成30年の統計では精神障害者およびその疑いがある人は放火犯の17.5%、殺人犯の11.8%を占めており、日本社会における精神疾患の有病率(約3%)から考えると突出して高くはあります。しかしこれは鶏と卵の問題で、精神を病んでいるから罪を犯したのか、あるいは、罪を犯してしまうような過酷な環境にいたから精神を病んだのかはわからず、この事実をもって精神病患者が危険だとは言えません。  一方で、私の知人の家族も面識の無い統合失調症患者から理由もなく殺されましたので、社会の人々の精神病患者に対する恐怖にも一定の理解は出来ます。  それでも差別に反対するのは、差別は問題の解決につながらないからです。差別により患者達を追いつめればそのストレスが引き金となりさらなる犯罪増加を招く恐れすらあります。患者様がなるべく気持ちよく治療と生活を出来る環境にした方がいいに決まっています。また、精神疾患の有病率は約3%でも、平成15年のこころの健康科学研究事業の報告によると人生の中で一度でもなんらかの精神障害を有する人の割合は18.6%とされます。つまり健常者が風邪をひくように、たまに精神を病むだけの人も多いわけです。かつ、いま状態が良い人の中で誰が後に精神を病むかなんて分かりません。手当り次第に差別するよりは手当たりしだいに人に親切にする社会の方が生きやすいのも間違い無いでしょう。  この世が病人に優しい社会となるように祈ります。

往生要集のちょっとアレな話

  平安時代中期の天台宗僧の源信が、横川に隠遁していた時に書いた「往生要集」はその事細かな地獄の描写で有名です。その徹底的な描写は当時の人々を地獄には行きたくないなと思わせるに十分なものだったと思われます。地獄の話が有名な「往生要集」ですが、それ以外の六道や浄土、修行法や思想背景の方がより詳しく書かれており、日本の浄土教の基礎を築いた書と言えます。  平安の人がより古い文献から考察した異世界である六道の描写は文化学的な面白さもあります。本日は往生要集の中に描かれる食吐と呼ばれる餓鬼のことをお話します。  食吐(じきと)は餓鬼道に落ちた餓鬼の一種で、半由旬(数km)の巨大な体をもち嘔吐物を食そうとしても気分が悪く結局なにも食せないというひどい目にあっています。地獄や餓鬼道は前世の行いが悪いとそこに生まれ変わる設定なのですが、この食吐になるのは生前どんなひどい人だったのかと言うと、 立派な男子でありながら、もっぱら美食を求め、しかも妻子にはいささかも与えようとしなかった者、 です。  今でもいますね、仕事で美味しいものばかり食べて妻子を粗末する人が。食べ物の恨みは怖いということです。こうした話は基本的に道徳を説き悪いことをすれば苦しい報いがあるぞとするお話なので、この話が作られ、また語り継がれた時代にも、そうだねと共感出来る道徳律だったから生き残ってきたのです。  この話のさらにオリジナルは正法念経で4〜5世紀頃のインドで成立したとされています。つまり、その当時の天竺でも美味いものばかりを食べ妻子を粗末にする男がいた事になります。しかも、現在よりも食料の確保はシビアな問題であったと思われ、妻子の恨みはひとしおだった事でしょう。  往生要集の異世界描写を昔の人の変な妄想と捉えずに、どんな事が歴史的にタブー視されて来たのかを読み解く材料としても面白いかと思います。

妙好人、浅原才市の詩

  浄土真宗の篤信者のことを妙好人と呼ぶことがありますが、おそらく最も有名な妙好人と思われる浅原才市は、7000首近くにも及ぶと言われる「口あい」と称する短い詩を書き残しています。まず、その中の一つをご紹介します。  なむあみだ、  せかいも、わしも、こくうも、しやべつなし。  これがひとつのなむあみだぶつ。  ひらがなだとわかりにくいので漢字も混ぜて書き直すと「南無阿弥陀、世界も、ワシも、虚空も、差別なし。これが一つの南無阿弥陀仏」となります。念仏の元に自分と世界と認識出来ない事象も全て差別なく一体化している境地を詠んだ歌で、前後に阿弥陀仏がなければ密教や華厳宗の歌としても成り立ちそうな世界観です。  浄土真宗は自力の行を一切否定していますが、修行するという意識がない状態でひたすらに念仏を唱えるのは、慢心を生みにくい禅となる可能性もあるのかと外野からは思います。その瞑想体験により直接的に感得したしたものを詩に詠んでいたのかも知れません。  もう一つこうした意図せず生じた瞑想体験かと思われる才市の歌を今度ははじめから文字を修正してご紹介します。  私ゃ幸せ  南無阿弥陀仏が目に見えぬ  大きな御恩で目に見えぬ  虚空見るには、虚空に抱かれて  平一面、虚空の中よ  いかがでしょうか?期せずして禅のような状態となっても、自力で悟ろうとしていなければ真宗の教義的にも多分セーフでしょうから(違っていたらスミマセン)、真宗の門徒さんで心が疲れた時は禅ではなく、ひたすら念仏すると何か見えてくるかも知れませんよ。  南無阿弥陀仏。

キハダ、黄檗、陀羅尼助、百草

 主に紀伊半島に伝わる民間薬に陀羅尼助というものがあります。キハダ(黄檗)を原料として作られた薬で、下痢や消化器症状に効果があるとされる他、その苦味から陀羅尼(真言)を唱える僧侶が眠気覚ましに使ったと伝えられます。  同じ成分の薬には信州周辺の百薬という伝統薬もあり、修験者が御嶽山に陀羅尼助を持ち込んだのが始まりとする説もあります。百草は善光寺の大勧進でも売っているくらいで人気はあるようです。他、愛媛の石槌山や鳥取の大山など修験道と縁が深い地域にもキハダを原料とする薬が伝わっています。  言い伝えによると、陀羅尼助を作ったのは修験道の祖である役小角だとされますが、キハダ(黄檗)は日本でも古くは縄文時代からその薬効が知られていたとする説もあり、また、後漢の時代の医学書である「神農本草経」にも檗木として記載があることから、実際の起源はかなり古そうです。  さて、黄檗と言うとどうしても思い出すのが臨済義玄の師である黄檗希運禅師です。彼の名は修行した黄檗山建福禅寺の名にちなんだとされます。この山には黄檗の木が沢山生えていたから黄檗山と名付けられたそうです。黄檗は薬用の他、経典の虫食い予防の染料として使用されていた歴史もあり何かと仏教と縁深い植物です。  なお、オウバクは日本薬局方にも収載されている生薬です。使用される場合は医師・薬剤師などにご相談されることをお勧めします。

一切皆苦

 この世の一切が苦しみと知り、その苦しみから逃れるのがお釈迦様の出家の動機でした。そして、その方法を見つけ世に説かれたのが仏教です。つまり、この世の一切はみな苦しみであるとする一切皆苦は仏教の前提です。世の中には楽しいこともあるとする意見もあるでしょうが、楽しいこともいつか必ず壊れるので苦だと捉えられます。ところが、仏教の変遷の歴史において、主に大乗仏教では仏教が説かれた原因となる一切皆苦よりも、苦を滅した状態がやすらぎであるという結果の涅槃寂静の方が強調されるようになります。  在家主体の大乗仏教でこの傾向が強いのは考えてみれば当然で、結婚したと喜んでいる夫婦に対してああそれは苦しみだとか、子供が出来たらああまた苦しみが増えたとか、豊作で喜ぶ人々に向かってああそれは苦だかわいそうになどと言っていたら早々に大乗仏教は滅んでいた事でしょう。出家と在家が完全に別れている部派仏教では、今生で救われるのは出家者だけですので在家信徒らの世界を苦だとみなしても問題ありません。部派仏教の在家信者は出家者を供養することで功徳を積み来世でいいポジションにつくのが目的なのです。はるか未来で悟れたらいいなくらいの気軽さであり、それはそれで良いような気もします。そう考えると、何がなんでも今生で決めてやるとの意気込みがある大乗仏教の方が潜在的に一切皆苦の発想による切迫感があるのかも知れません。  このような違いはあるものの、苦の原因である煩悩を滅するのが悟りへの道であるとするのは大乗仏教でも不変です。煩悩である貪りや怒りから知恵を持って離れるためにも、苦を認識するのは大切なことです。初期仏典である雑阿含経には物資やそれに対する自己の精神的な作用を楽だと捉えて執着すれば煩悩から抜け出せず、逆にこれらを苦と捉えれば貪りから離れる事が出来るとの教えも説かれています。執着や貪りを抑えることで苦からも離れる事ができるのです。なお、こうした執着や貪りを抑える修行の一つがお布施です。  日本でも一切皆苦の基本はあるものの、多くの宗派で人や自然の中に仏を見出しており、あまりこの世の全てが苦しみだとの印象は受けません。浄土教系の宗派はこの世を汚れた穢土と見ますが阿弥陀如来の本願力に支えられる人生は単なる苦であるとは認識されていません。これらは原義に反していると言うよりは、儚く移ろい滅んでいくものへの慈しみをも

職業差別

  残念なことに昔から職業差別をする人はあとを絶ちません。正当な経済活動による全ての職業は需要と供給のバランスの上に成り立っているのですから、尊いとか卑しいとかそもそもある訳がないのです。反社会組織の構成員や犯罪を生業とする人以外は他人から四の五の言われる必要は無いのです。  仏教はその成立段階から社会的身分制度に伴う差別を嫌い、出家者は平等であることを根本としてます。しかし、この為に大乗仏教以前の仏教では、出家者とそれ以外の聖と俗とははっきりと区別されています。大乗仏教では出家者も在家信者も平等ですので、基本的には差別はありません。法華経の長者窮子の例えにある、記憶をなくした長者の子が苦しい召使いの仕事から長者の跡取りへと成長する話は、一見職業の貴賎を差別しているようにも見えますが、苦しい仕事(修行)を適切な指導の元で励むとやがて悟りに到れるというもので仕事を蔑むというよりはむしろ推奨しています。  初期仏典のテーラガーターが元ネタの長く一心に掃除をすることで悟りを開いた愚かな周利槃特の話は、後世だいぶん盛られている感もありますが、馬鹿は掃除しか出来ないと言っているのではなく、煩悩を払い清めるのが大切であると言っているのです。この話は愚直な労働の大切さを説く時によく用いられます。日本の小中学校で掃除を業者任せにせずに児童生徒にさせるのは、衛生観念の教育や、協力して作業することによる社会性の育成に加えて、この日本人的労働崇拝の影響もあるでしょう。  人は往々にして汚くてキツくて危険な仕事は嫌がるものです。しかし、誰かがやらねばならぬ仕事であるならば、それをしてくれている人たちは尊敬を受けてしかるべき存在です。レレレのおじさんのモデルになったとも言われる周利槃特は、無能ものよと蔑まれながら辛くても努力を続けて悟りを開いた立派なお坊さんとして人気があり、労働が尊いという思想につながっているように思えます。  しかし、もちろん効率化が図れることをあえて苦しいままにしておく必要はありません。仕事は苦しいほど尊いと言うことはありません。仕事である以上はよい結果を残すのが第一であり、苦しむことをより重視するとブラック企業化まったなしです。色々工夫を重ねる事の方が一生懸命に仕事をすることですので、心配せずにどんどん楽を目指して仕事に励みましょう。  職業差別が無い平和な社会になり

明るい仏教

  小生が仏教に関する活動をする原因の一つが、医療現場で経験する仏教者の患者様に対する偏見にもあります。仏教が縁起悪いだとか不吉だとか気味が悪いという偏見です。  確かに、色んな僧侶や学者が仏教を説く時も多くは苦しかったり悲しかったりする話とそれにどう対処すべきかのお話です。その対処の結果として安心や平穏が訪れるのですけど、ぱっと見聞きする範囲で明るく楽しそうだと感じる人は少ないのかも知れません。また、一般的な人が仏教と接する機会のほとんどは葬式や年忌法要など家族や友人の死に関係するものなのも明るいとは言い難いです。  そもそも論としても、お釈迦様はこの世の全ては苦でありそれを解消する手段を発見し人々に広めたのですから、人生が苦しいのも仏教の話に苦がつきものなのも当然と言えば当然なのです。  この世の一切が苦であるとする仏教のフォーマットはありますが、日本の仏教文化に目を移すと何かとこの世にも良い面を見出しています。たまにはお仏壇の前で今日あった良いことを報告してみると新たな発見があるかも知れません。人間がよかったと感じることはほぼ執着に起因するもので、執着は滅すべきものですが必死に滅する事にこだわりすぎるのも執着です。今の自分がどんな事を良いと思ったのか、どんな事で感情が動いたのかを観察する機会も大切です。自分の心の動きがわかると、他の人に親切にもなるものです。自分に良かった事を考えたとき、それが自分以外からの思いやりと無縁であるのは少数例でしょう。助けていただいた他者へ自然と感謝の念がわいてきます。仏教に明るさがあってもいいのです。

良寛さんの歌、その3

 今日はほぼ一日中小さな子供と遊んでいたので良寛さんの歌の紹介その3です。  「わが待ちし 秋は来ぬらし このゆふべ 草むらごとに 虫の声する」  この歌は良寛さんの自筆の歌集である「布留散東(ふるさと)」にある、草むらから聞こえる虫の声を聞いて待ち望んだ秋の到来を喜んでいる歌です。この暴走族の落書きのようなタイトルの歌集は良寛さんが58歳の時に己の人生と考えの移り変わりをまとめたものとも言われます。良寛さんの最も有名な歌の一つである「この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」もこの歌集の一首です。おそらく布留散東と言う語にもいろんな意味が込められているのかと思われますが、想像の域を出ません。ふるさとに布施を留めて東に散る、東を西方浄土に対する現世と解釈すれば、自分の故郷に留まって仏法を説きこの世で死ぬとも読めるかも知れません。  ともあれ秋です。正解か間違いかなど気にせずに、先人からの謎かけを楽しみながら本を読んでみるのも風情があっていいですね。良寛さんから見たら私たちの歌心など幼児のようなものでしょう。きっと笑って遊んでくださる事でしょう。

他人の不幸を喜ぶ心理

  自分にとって都合の悪い人が不幸な目にあった時、一瞬「やった!」と喜んでしまうことは無いでしょうか?修行の足りない小生には時々あります。だけど、ついうっかりした時を除いてそれを口に出したりはしません。そう考えてしまう事は恥ずべきことだからです。  しかしながら、世の中では誰かが病気になったとか怪我をしたとかという報道があると、その誰かを嫌っている人たちが歓喜の声をSNSなどに書き込んでいるのをよく見ます。少なくともこの方々は、他人の不幸を喜ぶのが恥ずかしいとは思っていないようです。  なぜでしょうか?そういうことを書き込んでいる人が日頃から恐ろしいならず者という訳ではありません。彼らの書き込みを観察すると、その有名人が自分に直接的に被害をもたらすと信じている場合が多いように思えます。知人でも無い有名人の自分に対する影響を過大評価し病的に恐れているのです。  もうなんといか、奴をやらなきゃ自分がやられるくらいの勢いが読み取れます。もちろんSNSに他人の不幸を寿ぐ呪いの言葉を書き込んだところで、大した効果はありませんがそうすることで自分の恐怖が少しやわらぐのかも知れません。  そういう人にありがちなのは、自分が嫌っている対象が不幸に陥ったのを喜ばないものは全て敵だとする極端な発想です。仮に、史上最悪の殺人鬼が病気にかかったとしてその平癒を祈るのと、彼が犯した殺人を支持するかどうかは全く別の話なのですが、分離して考えられないのでしょう。  社会人としては嫌いな病人がいたとしても「お大事に」と言うのが正解です。病人には優しくしましょう。

月と仏教

 今日は中秋の名月を記念して、仏教と月の小話をいたします。  月は仏法の比喩として法話のみならず仏教者が詠む詩歌や描く絵画でよく用いられます。例えば水面に映る月の話は様々なものに仏法が現れる事をしめすと同時に、水面に映る月は決して月そのものでは無く、それを見誤り池や盃を月として珍重する愚を説いています。布袋さんが月を指差す絵も有名ですが、月を見るのかさし示す指を見るのかが問われる題材なのです。以前、西行の歌でも解説したように、僧侶の詠んだ歌には月を真理や仏法としても扱う物が多くそういう視点で詩歌を読むとまた違った味わいがあります。  他にも、お釈迦様の前世譚として有名なジャータカの中には、月にウサギの模様がついた理由を示すお話があります。ある日のこと帝釈天が修行者に化けて山に入りました。ウサギとその友達の猿、山犬、カワウソはこの修行者をそれぞれ供養しようとして、山で取れた食べ物を捧げますが、何も取れなかったウサギは自分を食するようにと言って焚き火の中に飛び込みます。帝釈天の力によりウサギは焼かれる事無く、その自己犠牲の精神をたたえ人々に知らせるために、帝釈天は山を絞った汁で月にウサギの絵を描いたと伝えられています。この時のウサギがお釈迦様の前世だったのです。また少し話が逸れますが、ジャータカのこの話が成立した時代では、布施として肉を捧げても構わなかったのだと分かり興味深いです。初期仏教では殺されるところを見ておらず、また自分の為に殺したとは聞いてもおらず、よって自分の為に殺されたとは知らない獣の肉の布施に関しては食して良いとされていましたが、このウサギの場合はそのいずれにも反します。この辺の解釈の変遷も面白いですがいずれまた別の機会に。  あと、高齢の日本人には馴染みが深い月光仮面は薬師如来の脇侍である月光菩薩がモデルとされます。正義の味方として悪を払う者としては、日光よりも夜の闇を破る月光の方が良かったのでしょう。  今夜、月を見上げながら仏法を念じるのも良いでしょう。南無法。