世の中は見方により変わるものか?

 昨日、唯識の話もしたのでその流れで世の中は見方によって変わるものかについて考えてみたいと思います。

 唯識と言うと唯心論と勘違いされやすいのですが、唯識では外界はちゃんと存在しています。むしろ外界をどう認識するかによってその人にとっての世界は変わってしまうので、どうやってありのままにものを観るのかというのも唯識的な考えです。

 外界をどう認識するかにより少なくともその人にとっての世の中も変わるのであれば、色々と問題が多いこの世も見方を変えると素晴らしい世界となりうるのかという疑問も生まれます。実際に、日本のいろいろな仏教者は、実はこの世が仏国土であったと気づき喜ぶという思いを書き残しています。

 日本に限らず世界の歴史は概ね悲劇の歴史であり、凶事ばかりが事細かに記録されているものです。この世の一切は苦であるとの思想は原始仏教からの基本でもあります。ただ、この世は苦に満ちてはいますが、ずっとこの世を守ろうとする人達もいたから歴史は続いてきたのです。いつの世も善い人はいたし、悪い人にも改心の機会は常にあったのです。とは言ってもそれだけで、この世が仏国土だと観ることは難しいです。おそらく彼らは祈りや禅の中に何かこの世に関する特別な認識を得たのでしょう。

 そういう物が見えなくても、あまりものを考えすぎな時はいったん考えるのをやめてぼんやりしてみるのも良いでしょう。思いつめているよりも良い世界が見えてくるはずです。良い方に世界を観るのは難しいですが、悪い方に考えようとするのは容易であり、きっと人は悲観的に世の中を見すぎなのだろうとは思います。だから、きっと見方により世の中は変わるのです。

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