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夏越の大祓と仏教

 今日は夏越の大祓です。大晦日の大祓と並んで神道の重要行事の一つです。神道では罪や穢れを祓い清めれば、祖先から受け継いだ清い神性が残ると考えられており、半年に一度の払いの儀式はとても重要視されます。この発想は客塵煩悩を除けば仏性が現れるとする如来蔵思想に通じるものがあります。  さて、夏越の大祓といえば茅の輪くぐりですが、祇園さんとして有名な八坂神社の祭神であるスサノオノミコトには茅の輪にまつわる次の昔話が伝わっています。  ある日のこと武塔天神という神が旅の途中に、裕福な巨旦将来という人の家に泊めてくれるようにお願いしましたが断られてしまいます。武塔天神は、その裕福な巨旦将来の兄で貧乏な蘇民将来の家を訪れたところ、蘇民将来は武塔天神を歓迎してもてなしました。武塔天神は実はスサノオノミコトで、蘇民将来に茅の輪を腰につければ疫病を免れることを教えてくれました。こうして蘇民将来の一族は疫病を免れました。  現在、神社でくぐられる茅の輪はこのお話が元となっていると言われます。武塔天神=スサノオノミコトを主神とする京都八坂神社の有名な祇園祭りも疫病の原因と考えられていた怨霊を鎮めるために行われる祭りです。  夏の大祓は半年の間に溜まった穢れを落とすと同時に、無病息災を祈る祭でもあるのです。  さて、八坂神社の祭神はスサノオノミコトですが、先にお話した武塔天神と同一視されており、武塔天神はまた牛頭天王と同一視されていました。廃仏毀釈以前は八坂神社の祭神は牛頭天王だったのです。牛頭天王は薬師如来の垂迹と考えられており疫病退散にはご利益がありそうな神です。この牛頭天王は、お釈迦様の活動拠点の一つであった祇園精舎の守り神とも言われます。八坂神社の夏の祭が祇園祭なのも祇園精舎に由来しています。  古代インドの夏に祇園精舎に籠もって修行した僧侶たちを疫病から守った牛頭天王、そのゆかりの茅の輪をくぐって人々は夏の大祓に健康を祈ったのです。

居士仏教

 清朝の末期、漢土では居士仏教が流行った。  清朝は満洲の女真族により作られた王朝でチベットやモンゴルと同様にチベット密教が篤く信仰されていた。満洲の語源は文殊菩薩の文殊であるとの説もあるほどだ。このため清朝皇帝もチベット密教の施主であり、当初その立場はチベット密教の法王の方が上であったが、チベットが最後の遊牧騎馬民族帝国ジュンガルに占領され、そのジュンガルを清朝が倒すと立場が逆転してしまった。チベットは自治を保てたものの清朝がしばしば政治的宗教的な介入を行うようになった。また、同じく清朝の占領地の漢土でも僧侶の還俗が進められ代々漢人王朝によって発行されていた国家公認の僧侶の身分証明である度牒も廃止してしまう。  こうして、清朝では寺院の力は弱まり多くの元僧侶が俗世間で生活するようになった影響もあり、清朝時代の後半になると、主に漢土で在家信者による仏教が盛んになった。これが居士仏教だ。フットワークの軽い在家信者の活躍もあり、この時代に漢土から失われた経典を海外から取り寄せ研究が進んだ結果、清朝末期には教、律、禅、浄を統合した新宗派の馬鳴宗が出来た。この宗派は馬鳴の大乗起信論を重視しており、全てに内在する一心の法体で真如生滅の二門を建てるとする一心二門の考え方(如来蔵思想の一種で、全てに存在する法身が真如の世界と我々の住む仮の世界を作っているという感じの見解)で既存の禅や浄土教などを融合させようとした。こうした居士仏教の諸宗横断的な融合の流れが、後に中華民国の人生仏教や中華人民共和国の人間仏教にも影響をあたえたと言える。  仏教界に圧力が加わると、対抗して新たな活動が生じるはどの国でも同じで、例えば日本の鎌倉仏教では、法然、親鸞、日蓮など流罪に処された僧侶は流刑先でも布教に勤しみ新たな勢力を形成することに成功している。また、明治期の廃仏毀釈により寺院の力が衰退し、多くの僧侶が還俗を強制された結果として、多くの在家信徒が組織的に社会活動を行ったり、危機感をもった諸宗派や学者の協力で大正大蔵経が編纂されたりもした。近代的な仏教系の大学や学校が組織されたり、仏前結婚式などが編み出されたのもこの苦難の流れからの産物と言える。  今また少子化人口減などの危機が日本仏教界を襲っているが、関係者の多くが頑張って色々考えているので乗り越えていけると信じる。

見て見ぬふり

 イジメでも社会悪でもそれをとがめると、今度は自分が標的になるかも知れないからと見て見ぬふりをした経験は多くの人にあるのではないだろうか?  昔はヤクザにみかじめ料を払わなかったばかりに見せしめで惨殺されたり大怪我をする人もいた。そんな中では大半の飲食店経営者はヤクザを恐れてみかじめ料を払っていた。その後、政治や治安当局の努力もありヤクザが弱体化すると、みかじめ料を払わない人が増えた。これはヤクザが弱くなった結果として当局の力が相対的に増強されたからだ。大人社会も子供社会も多くは暴力のバランスで動いている。また、経済力や政治力や社会的発言力も暴力となりうることを忘れてはならない。  だから、暴力に屈せず空気も読まずに見て見ぬふりをしない人間は勇者だ。それがたとえその場の秩序を乱したとしても勇気ある行動だ。その結果、どんな社会的な不利益をこうむっても、怪我をしても、命を落としても、その人は勇者だ。  荒唐無稽なデマを信じる陰謀論者達がいかなる暴力的な嫌がらせを行ってきても、当局がそれを放置していても、真実を曲げない勇気が人々に行き渡るように祈る。

キルケゴールと親鸞

 キルケゴールと親鸞はよく似ている。二人とも完全を目指した結果、それが不可能だと知って絶望し、その絶望を覆す可能性を自分以外の他の存在に求めて、既存の形式化した宗教を批判した。  キルケゴールが頼った神も、親鸞を救った如来も、はじめに二人が途轍もなく深い絶望を体験して無ければ見えなかったに違いない。人生や世界に絶望していない者、あるがままに生を謳歌している者や人生なんてそんなものさと全てを諦め受け入れている者は、神や如来の救いを欲さないからだ。  この世をあるがままに観る事ができる者は仏教的には悟ったと言ってよく改めて救われる必要は無い。むしろ救う側だろう。しかし、何の悩みもなく人生を楽しんでいる人が、はたして悟っているかというと殆どの場合はそうではあるまい。気づかなかった絶望が死の直前に現れる恐れも強い。  はたから見た時にキルケゴールは悲劇的な人生だったように見えるし、親鸞は色々あったが満足して死んだように見えるが、死に先んじて絶望と格闘し答えを見出していた彼らはどちらも救われたに違いない。  彼らの絶望は人間の小さすぎる限界に由来するが、これは逆に言うと彼らが人間として分不相応な「かくありたい」と言う理想を持っていたから感じる絶望でもあっただろう。キルケゴールの言う死に至る病たる絶望は自力では逃れがたいし、親鸞も臨終の一念に至るまで煩悩は絶えないとしていた。こうした認識がある以上は救いに他力は不可欠となる。キルケゴールはヘーゲルを批判したことでも有名だが、これは親鸞が自力の仏道を批判したことにも似ている。ヘーゲルの人間はどんどん進歩していずれは理想に至るとする発想は、法華経の教えに似ている。人間の矮小な限界を確信した人間には実践も許容もできないだろう。  仏教も哲学も時代に応じて様々な教えが説かれてきた。色んな人に合う教えはきっとあることだろう。その全てを空とみればみんな違ってみんないい。

大智度論と禁酒

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 お酒を飲んではならないとする不飲酒戒は仏教の初期からあり、昔から規制しないとお酒で道を踏み外す人が多かったのだろうと思われます。キリスト教では飲酒は禁止されていないものの好ましくないとの考えが主流で、イスラム教では明確に禁止されていますが、いずれの文化圏でもアルコール飲料の撲滅は出来ませんでした。有史前から作られてきたお酒の底力は強く、単に発酵させるだけではない製造工程が複雑な蒸留酒ですら3300年前のエジプトで作られており、人類の酒類にかける情熱には凄まじいものがあります。しかし、そのおかげで今回の感染症騒ぎでも消毒用アルコールはさほど不足せずに済んでおり、世の中なにが幸いするか分かりません。  さて、大乗仏教の祖とも言うべき龍樹菩薩の作とされる般若経の注釈書・辞典である「大智度論」の中にも飲酒の罪について書かれた項目があります。そこではお酒を次の三つに分類しています。すなわち、穀物から作る酒、果実から作る酒、薬草を混ぜて作る酒(乳から作る酒も含む)です。更に、乾燥したものと湿ったもの(飲料以外のアルコール含有の食物のことかと思われる)、澄んだ酒と濁った酒にも分類して、これら全ての摂取を禁止しています。  一言でお酒は飲むなと言えば済むものを細々と分類しているのは、恐らく当時も不飲酒戒に対して、薬草入りなら良いのでは?とか、馬乳酒はお酒に含まれますか?とか、ワインは酒じゃねーとかの意見や反論があったと思われ、龍樹も「やかましい全てダメだ」と言いたく一々分類したのかも知れません。  大智度論の飲酒の罪の項目では続けて、お酒は身体が冷えるのを防ぎ、健康に益して、気分も良くなるのになぜ飲んだらダメなのかとの質問が書かれており、それに対して答えて、酒の益は少なく害が多いから飲んではならない、酒は毒入りの美味しい汁のようなものだと書かれています。  日本では俗に空海が多少の飲酒を認めたとも言われていますが、空海の御遺告でも基本的には飲酒を禁じており、例外として病人の治療としての飲酒を認める「治病之人許塩酒」という文言があるのみです。  空海はお酒の薬効をいくらかは認めていたようですが、飲酒は肝臓や膵臓に悪いだけでなく、酔って転倒などの事故を増やします。冗談抜きで転倒が原因で死んだり寝たきりになる人は多いので気をつけましょう。適量の飲酒なら動脈硬化に良いとの意見もありますが

円頓章

 円頓章は、天台宗の祖である智顗の止観(瞑想)の講義を弟子の灌頂が後世に書き伝えた名著「摩訶止観」の序にある文章です。「摩訶止観」で語られる、完全で直ちに悟りに至る円頓な止観の意味をまとめたものとなっており、灌頂の師匠への想いがあふれる名文です。  天台宗は法華経を中心とした信仰であり、「摩訶止観」は法華経の世界観に準拠した座禅のような物です。天台宗だけでなく同じく法華経を奉じる日蓮宗にも影響を及ぼしています。  円頓章のはじめにも法華経は強調されており、その冒頭の「円頓者 諸縁実相」の実相は法華経の説く諸法実相です。諸法実相とは、全ての存在はありのままで真実の姿であるという事です。つまり、全ての存在は原因と結果のつながりの上に成り立つ実体のない空として仮に存在しており、空と仮の存在の見方は別の物ではないとして、一つの心で差別なく世界のすべてを空、仮、中道として観る三諦円融が重要だと言っている事になります。  その上で、全てのものは真実であるのだから捨てるべき苦は無く、苦の原因とされる無明や煩悩も悟りにつながっておりこれを断じる必要もなく、煩悩に基づく偏見や邪見も中道の正しい見解に連なっているから煩悩を滅する修行がある訳でもなく、この生死の世界こそが仏の悟りを実現した世界なのだから煩悩を滅し苦を滅して悟りを証する必要も無い、と説かれています。煩悩即菩提、生死即涅槃の考え方です。  これは一見すると仏教思想の根幹である苦集滅道の四諦を否定しているように見えますが、別に何もしなくていいと言っているのではありません。止観(瞑想)のしかたを書いた本の冒頭の文章なのですから少なくとも止観をするのは当然です。この止観によって、自分の苦や煩悩や世界をありのままに真実として観られるようにするわけです。  こうしてみると止観は禅宗の座禅とは違い、法華経に従った明らかな方向性を持っていると言えます。この文章に続く「摩訶止観」自体も非常に体系だった書であり、パッと見に何を言っているのか意味不明である禅宗の公案集とはかなり毛色が違います。この辺は各宗派の思想の差が表れており興味深いところです。

義勇兵役法

 昨日は沖縄終戦の日だったが、6月23日はもう一つ記憶に残すべきことがあった日だ。昭和20年6月23日は義勇兵役法の公布日でもある。  この時の日本陸軍の主力は中国などの外地にあり、かつ既に制海制空権を喪失した日本には本土を守る兵力を輸送することも出来なかった。このため、俗に根こそぎ動員と呼ばれる徴兵を行ったが足りず、沖縄陥落のこの日ついに、男性の15〜60歳、女性の17〜40歳までの全員を戦闘部隊に編入できるようにする義勇兵役法が公布された。なお、この法律では志願兵には年齢制限を設けず、文字通りの総動員体制がとられることとなった。総兵力として3千万人の動員を目指していたともいう。  沖縄戦は日本が敗北したとはいえ、長期化し米軍にも多大な被害が生じた。このことから米軍は対ドイツ戦の時のような全土占領による完全勝利を目指すだけではなく、日本との講和も検討するようになった。  しかし、この沖縄戦での日本軍の粘りの大きな要因は民間からの事実上の徴兵・徴発や、民生を考慮しない徹底抗戦が生んだ結果であり、本土決戦の決号作戦は沖縄戦と同じことを本土で計画したともいえる。帝国政府の目論見は、ひたすら戦争を長引かせて条件付きの講和に持ち込みたいというものであった。  しかし結局、決号作戦は発動される事無く終戦を迎えたのは周知の通りだ。これは昭和天皇の決断や原爆投下やソ連参戦の影響が大きいが、米軍も日本本土で巨大な沖縄戦を再現したく無かったのは間違いない。米軍がやる気ならわざわざ戦争の最終盤でポツダム宣言など送っては来なかっただろう。沖縄戦の多大な犠牲の上に米軍の躊躇が生まれ、本土で沖縄戦の悲劇が再現される前に講和が成立したのだから、牛島中将では無いが沖縄には本土から格別のご高配があってしかるべきだろう。地政学的にどうしようもないこともあるだろうが、物心両面での支援を惜しむべきではない。

集団自決

 今日は沖縄終戦の日です。この時期によく語られる先の大戦の悲劇として住民らの集団自決があります。米軍が迫る沖縄で、米軍に捕まれば死んだほうがマシなひどい目にあうと信じられていたこともあり、旧日本軍からもそうした自決を助けるための手榴弾が供与される例もあったとされています。その後、米軍の管理下に入った沖縄県民は強姦や強奪や土地の強制収用など実際にひどい目にはあっていますが、食料の供給や医療や行政機能などは大きく改善しており、当初予想したよりは遥かにマシであった為、日本軍は住民の協力を得るためにアメリカ軍を過度に悪逆だと嘘の宣伝をしたとか、著しくは日本軍は悪意を持って住民に死を強要したのだという人もいます。  一方で、ソ連の侵攻を受けた満洲も実に悲惨な状況でありこちらも集団自決はありましたが、批判を受けるのは実際にひどいことをしたソ連軍であり旧日本軍への批判は沖縄と比べて極めて薄く、批判があっても関東軍の備えの甘さへの批判が主です。本当に鬼畜だったソ連軍と、思ったほどひどくなかった米軍との差だとも言えます。個別の事案について現場の軍人による民間人への自決の強制があったかは今となっては不明ですが、日本軍全体の方針として住民に自決を強要することはありませんでした。しかし一方で、国民皆兵的な教育が民間人にも「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓を実施させたのだとすれば、半ば強制的な空気感はあったと言えます。  当時の日本人の自決は囚われて辱めを受けるよりは死んで自分や家族の名誉を守るという発想だった訳です。実際の集団自決生存者の証言を読むと、捕まると身の毛もよだつようなひどい目に遭うとの風聞が人々に自決を決意させた感もあり、もし捕まっても言われていたほどひどい目に遭わないと事前に分かっていれば自決は避けられたかも知れません。  しかし、実際に戦闘に参加している軍人や戦火に巻き込まれた民間人が、米軍の温情を予測し得たかどうかは難しいところがあります。大戦前の欧米のアジア植民地運営は確かに非人道的であり、さらに沖縄戦の前には既に米軍は日本の民間人の殺戮を狙って都市への戦略爆撃を徹底的に行なっていたわけで、そんな事をする人達に日本人への慈悲を期待は出来ないと考えるのは遺憾ながら極めて自然なことかと思われます。現場の日本兵士も、住民に悪意をもって嘘をついたというよりは知らなかったとい

ガリレオ

 1633年6月22日、地動説をとなえたガリレオ・ガリレイは異端として告発を受けローマ教皇庁検邪聖省による異端審問の裁判で敗北した。ガリレオは自説を曲げ二度と地動説をとなえないと宣誓し、その後の一生を軟禁され、死後もカトリック教徒として葬ることも許されなかった。この時代における最高の知能は不遇の最期を遂げた。  もし、ガリレオが最期まで自説を撤回しなければ終身刑となっていたとされる。自説を撤回し軟禁に減刑されても、出版すら原稿を何者かが外国に持ち出して勝手にやった体にしないと出来ない不自由な生活のままだった。しかし、こうして屈辱的な目にあってもこの期間に近代力学の嚆矢と言うべき「新科学対話」を出版できたのは、自説を撤回し地動説をといた罪を認めたからだとも言える。恐らくガリレオ自身は地動説が間違っているなんて微塵も思っていなかっただろうが、まだ出版を通じて世に伝えたいことがあったから屈辱を甘んじてうけたのだろう。異端審問を受ける原因となった「天文対話」も学術用語のラテン語ではなくイタリア語で書かれた一般向けの本であり、晩年の天才は自分が知り得た知見を広く世に伝えたかったものと思われる。「天文対話」はカトリック教会により禁書とされたが、内容は無事に後世に伝わっておりガリレオの苦労も報われた。  ローマ教皇が裁判の誤りを認め謝罪しガリレオの名誉が回復したのは、ガリレオの死から350年後の1992年の事だった。世の中、正しいことを言っても、いや正しいことを言ったがゆえに不利益を被ることも多々ある。強大な暴力に襲われても、知恵と工夫で立ち向かい目的を達したガリレオに敬意を評したい。  現代でも正しいことを言っても、権力に聞く耳が無いばかりか権力に扇動されたならず者が暴力を振るうこともしばしばだ。私達は彼らに負ける訳にはいかない。

四十二章経の三十二

 四十二章経の第三十二章には、仏道修行に挑むのは一人で数万の敵と戦うような覚悟が必要となると説いています。そのために、心を牢く持し、精鋭進行して、流俗狂愚に惑わされないように勧められています。今日はこの三つについて考えてみます。  心を牢く持つには怒りや貪りを抑える必要があります。そうした煩悩に突き動かされないようにしなければなりません。どんな愚かな言いがかりで罵倒されたり暴力を振るわれても、それに対して怒って暴力的な報復をしてはいけません。相手に対する慈悲をもって居住する国の法律に従い粛々と対応しましょう。  精鋭進行するとは、精進するすことです。仏道修行の方法として有名な六波羅蜜にも八正道にも含まれるあの精進です。善いことをして悪いことをせず、既にある悪を断ち既にある善を育てることであり、また、諸々の仏道修行にしっかり励むことです。その中には先の心を牢く持することも含まれますし、人々に施し自分への執着を離れる布施行や、座禅などで精神を集中することも含まれます。特別に時間を設けて行う修行やお勤めもありますが、日々の生活の中で絶え間なく実践してこそ精鋭進行すると言えるでしょう。  流俗狂愚に惑わされないとは、現代では嘘やデマや陰謀論に振り回されない事とも言えます。どんなに心を牢く持って精鋭進行しても、それが間違った方向に進んでしまっては台無しです。そのためには嘘を嘘と見抜けるリテラシーが必要です。そして、間違っていることは間違っているとはっきり言う勇気も必要です。どんな意見の持ち主に対しても寄り添って共感を示すのが良いことのように言われる場合もありますが、例えば、何々民族は悪魔だから皆殺しにしようと主張する人に共感を示す必要なんて微塵もありません。そういう人に対しては過ちを正すことの方が親切と言うものです。とんでもないヘイト思想に接してなお、人の数だけ真実があるとか多様性を大切にしようとか言って相手に理解を示すのはヘイトの許容や推進と同義です。なるほど、ヘイト思想の持ち主も良かれと思ってやっているのでしょうが、どんなに相手が正しいと思っていることでも間違いは間違いであり惑わされてはいけないのです。また、自分が知らず知らずのうちにこうした暴論に流されていないか、日々自省するのも必要です。  人生の中で絶え間なくこうした努力を続けるのは難しく、確かに一人で数万の敵と戦う

巨人の肩に乗る

 社会制度はそれを作った人が死んでも、次の世代に引き継がれ時代に則した改善が加え続けられます。それはしばしば軍事独裁政権などにより破壊されますが、ひとたび成文化された法は独裁政権崩壊後の復興にも役立ちます。  巨人の肩に乗るとはアイザック・ニュートンの名言です。科学だけでなく色んな学問は先人が作り上げてきた成果の上に新たな知見を切り開いていくのです。ニュートンの時代は、まだ科学と哲学と宗教が明確には分離していません。彼の活躍したおよそ100年後にようやくヘーゲルが出てくるくらいなので仕方ないことです。ニュートンは錬金術師や宗教家や哲学者としての側面も持っていましたし、自然科学が自然哲学から完全に分離するのは概ねヘーゲルの後くらいです。ヘーゲルの思想は少し仏教の唯識論に似ており、認識を極めることで世界の真理に近づいて行こうとしています。仮説の構築と検証の繰り返しで真実に近づいていこうとする科学の手法も、ヘーゲルが止揚(アウフヘーベン)の繰り返しによって真理に近づこうとした姿勢と同じで、これらの発想はいずれも巨人の肩に乗っているといえます。  もちろん現在の科学者も巨人の肩に乗っています。大学でざっとは科学史や哲学も学ぶでしょうが、そんな所まで遡らなくても科学者はやっていけます。哲学者の巨人の肩から生まれた科学も今や膨大な量に細分化されており一々その起源まで学ぶことは通常はしません。それでも困りませんが、たまには先人たちが築き上げてきた知識の上の自分達がいることを自覚するとその意義を再認識できます。これは自然科学だけでなく社会科学でも同様です。  現代に限らず昔から、こうした人々の知識の積み上げを台無しにしようとする社会の動きは存在します。科学的妥当性がある知見に対して、それが誰かの不利益となる場合、その不利益への対策を講じずに不都合な事実自体が存在しないという願望を無根拠に、あるいはデタラメに捏造された証拠で真実だと盲信し科学的事実の方を否定しにかかるのです。それはより多くの人の不利益となる事実が存在する場合により強固な現象としてあらわれます。そういう人はかつては事実と思われたことが覆った例を出して、現在の科学的事実を絶対に正しいと盲信しているのは科学者の方だと批判します。ですが、正しいと思われていた事実が覆る例では、確実な証拠を突きつける事ができたから覆って来たので

島原天草一揆と天変地異とデマ

 寛永14年10月(1637年12月)に始まり翌寛永15年2月末に終結した島原天草一揆は、日本史上でも有名な殲滅戦であり、一揆軍のみならず避難していた非戦闘員も含めて大量の住民が幕府軍に惨殺された。一揆軍はポルトガルからの侵略を誘致しようとした疑惑もあった為、疑わしい者ごと根絶やしにされたとする見方もある。確かに一揆には旧小西家家臣などのキリスト教過激派らの策謀があったが、参加した住民らが全てがキリスト教徒だった訳ではなく島原を支配していた松倉氏の暴政に対する不満が爆発した影響も大きかった。つまり、この一揆はキリスト教徒の信仰心だけではなく、住民の不満や、旧キリシタン大名の家臣の野望など、色々なものがないまぜになって起きた武装蜂起だったと言える。  さて、そうした色々な要素が重なって起きた一揆ではあるが、実は寛永14年6月(1637年7〜8月)に島原地方で起きたという天変地異によって人々の不安が煽られたという側面もある。太陽暦だと夏の盛りに、島原領内では桜が咲き乱れ、数千匹のカエルが共食いをはじめたり、西の空にまるで巨大な火事のように見える赤黒い雲が立ち込めたという。こうした異常な自然現象に目をつけた旧小西家の家臣らが、これはかつて宣教師が予言したこの世の終わり最後の審判の予兆なのでキリスト教徒にならないと大変なことになるなどと吹聴してまわって人々の不安を大いに煽った。果たしてこうしたデマの流布が一揆の勃発にどれほど影響があったかは分からないが、開戦後に一揆軍が多くの神社仏閣を焼き払い仏僧を殺害したのには影響しただろうと思われる。  古来、天変地異などがあると何かしらの悪者がデッチ上げられたり、デマやヘイトで多くの人が死んできた。昨今の流行病でも日々荒唐無稽なデマが流れそれを信じた人が世界の各地で暴れ、彼らにより被害を受けた人達が報復するという構図があり、病気以外が原因で人間同士が傷つけあっている。情報技術が向上しても教育レベルが上っても人間は昔からあまり進歩していない。もし、治安維持に関する社会システムが昔程度に脆弱なら多くの人が死んでいたことだろう。そう考えると人間はいくらかは進歩しているように見えるが、これは人間の本質が進歩したのではなく社会制度が進歩した結果だ。昔の賢人らがより悲劇を起きにくいようにするために地道にルールを作り上げてきた結果だ。人は死んでも制

老子化胡経

 老子化胡経はいくつかのバリエーションがありますが、道教の祖である老子が実はお釈迦様の師匠であったとか、実はお釈迦様は老子が化けた姿でひねくれた西域の人達にも分かるように仏教を考案した(だから道教に比べて仏教は劣っているとする)偽経です。漢王朝滅亡後の三国時代から再び統一を果たした西晋の時代に出来たとも言われています。  後世、漢土の仏教は道教や儒教と習合していきますが当初は、お互いがその優位性を競い合ってこのようなフェイクのお経が生まれたわけです。  似たような話は世界中にあり、キリスト教が広がった地域の古い宗教の神は悪魔とされています。例えば愛や豊穣を司る女神イシュタルが悪魔アスタロトとされた話があります。日本でも蘇我氏を中心にした仏教勢力に対して、物部氏が仏像を疫病や災いをもたらす異国の神として糾弾していたこともありました。善光寺如来が物部守屋に遺棄されたとする伝説は有名です。  さて、この老子化胡経に対して、仏教陣営も漢人の古い賢聖らを実は菩薩の化身だとする反撃をおこないました。後に日本でも本地垂迹説がとなえられるようになったのは最澄や空海が唐でこうした思想を学んだからではないかとの説もあります。もしそうだとすると老子化胡経は日本のなんとか権現を生み出す遠因となったのかも知れません。  老子化胡経では老子はカシミールやコーサラ国やカピラ国を教化したことになっています。伝説上の老子も晩年ローマに向けて旅立った事になっておりそこからヒントを得たのかも知れません。日本でいうと義経がチンギスハーンになった的な話です。  そもそも老子が実在の人物なのか、一体いつの時代の人物なのかにも議論はありますが、インドから西域を通って中原に至る交流は仏教伝来以前からあったはずです。だから、直接老子が介在していなくても仏教と道教の接触以前に、ぼんやりとした伝言ゲーム的な影響を与えあっていた可能性を考えると少し楽しいです。あくまでも個人の妄想ですけど、歴史はロマンだ。

地獄に鬼はいない

 世親の唯識二十論に面白い話があります。地獄に落ちた人に苦しみを与える地獄の番人は存在しないというのです。地獄で罪人に責苦を与える者は一般的日本人のイメージでは獄卒の鬼な訳ですが、この鬼がもし地獄に生まれてその役割を負っているのならば、地獄に生まれるような悪いことをしてきたことになります。しかし、彼らは地獄に生まれても他人をいじめるばかりで本人(本鬼?)は責苦を受けず、地獄の業火に焼かれる事もないのだから、こうした地獄の番人は地獄に落ちた人が見る幻覚や妄想の類いだと言うのです。  地獄以外から鬼が派遣されて罪人をいたぶっている可能性もあるでしょうが、六道輪廻は因縁や縁起による法則のようなものと考えられていますから、何者かがそうなるように管理するという認識はおかしいのでしょう。日本では閻魔様が死者を裁いて、その部下の鬼達が地獄を管理しているというイメージが強いですが、古代ガンダーラ地方ではそうでは無かったのだと思われます。しかし、鬼が亡者の幻覚で無かった場合、彼らは殺伐とした環境でずーっと仕事をしている事になるのでなかなかブラックな労働環境です。そう考えると地獄の鬼がもし存在するのならば彼らも十分に責苦を受けている気がします。  ともあれ、地獄でなくても何かしら苦しい状況にあると、何も無いところに人の悪意を誤認したりもして、ますます状況が悪化する場合があります。まさに疑心暗鬼です。苦しいときこそ冷静さを保ちたいものです。一切皆苦の世の中は嫌なことも多いですけど、みんながみんな鬼のような人ではなく、人の苦しみを除こうとする菩薩のような人もたくさんいます。地獄にすら鬼はいないのなら、人の世にも鬼はおりますまい。なんくるないさぁ!

人権侵害非難決議見送り

 本日、今期の国会が閉会した。この国会で決議を目指していた中国による香港やウイグルの人権侵害を非難する国会決議案は成立出来なかった。欧米などの自由主義国が次々と対中制裁や非難決議をする中、日本は結局なにもせず独裁国を助けたことになる。この決議案はそもそも去年11月に与党自民党の議連が発案したもので、その決議に向けて地道な努力が続けられてきた。そのかいあって、立憲民主党や国民民主党も決議に同意していた。日頃の政治的対立を超えて人権を守る普遍的な価値観を共有し各党が協力する意思を見せたのだ。  しかし、あとは決議するだけとなった土壇場で事態は急転する。与党公明党がこの決議に反対したのだ。国会決議は全会一致が原則だ。だが、過去にはそうでなくても決議されたこともあり(※)公明党抜きでも決議は出来たはずだ。しかし、その後の政局や選挙対策を有利に進めたい言い出しっぺの自民党が折れ公明党に屈したのだ。この国会決議を成立させるために奮闘してきた人達の無念を、今現在でも中国による民族浄化を受けている諸民族の悲しみを、一体どうすれば良いのだろうか?また、これにより自民党は人権を蹂躙し独裁国を助ける姿勢を明確に打ち出したことになる。この国は危険な方に向かっている。  それを止めようとて、悲しいかな政党単位でみればどこも大した差が無いのが実情だ。しかし、どんな選挙区でも政治家個人で見た場合どちらかがよりマシであろう。今回、公明党以外は人権蹂躙に反対したのだから、公明党以外の各政党にはそれぞれに良い政治家はいる。次の選挙は政治家個人の資質をみてよりマシな方を選択するしかない。そうすることで、マシな政治家により政党の再編が起きることを期待したい。 (※)例えば、歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議は、平成7年(1995年)に衆議院の総議席502に対しわずか230の賛成で成立している。これは当日は採択しないとの誤情報を流して多くの反対派議員が退席した後で、突如当時の土井たか子衆議院議長が国会を再開し251名の出席者で決をとった結果である。この国会決議を元に有名な村山談話が発表され今日にも政治的影響を残している。また、先日のミャンマーにおける軍事クーデターを非難し、民主的な政治体制の早期回復を求める決議も参議院は全会一致だったが衆議院は賛成多数で決議されている。全会一致にならないから見送るとい

サイパン

 昭和19年(1944年)6月15日は米軍がサイパンに上陸を開始した日です。米軍の圧倒的物量の前にサイパンは1ヶ月持たずに陥落しました。サイパンの戦いに参加した日本兵の約97%の3万人超が戦死したとみられています。また民間にも1万人ほどの死者が出ました。サイパンが陥落したことにより、日本本土へのB29を使った戦略爆撃が強化されていくことになります。この島での異様な戦死率は、生きて虜囚の辱めを受けずという戦陣訓の影響もあったのでしょうが、サイパンが陥落すれば故郷や家族や友人が爆撃で焼き払われると分かっていたから、全滅するまで戦ったのだと思います。  サイパンで戦死した人の多くは、遺骨が帰国できていません。これはサイパンだけでなく、他の戦場でもそうです。終戦から既に76年経過しており回収は難しさを増しています。サイパンで戦死した小生の祖父も遺骨が無いのでお墓には代わりに南の島の貝殻が入っているそうです。  当時も戦争自体の政治的倫理的軍事的な妥当性などの問題点はありましたが、少なくとも戦死者が守ろうとした日本が現在あまりよろしくない状態になってしまっているのは慙愧の念にたえません。日米双方の戦死者と日米戦争に巻き込まれ死んだ民間人の冥福を祈るとともに、死んだ人達に恥ずかしくない日本にしていきたいと思います。

器世間と共形サイクリック宇宙論

 古い仏教の世界観に器世間と呼ばれるものがある。それは衆生が輪廻転生を繰り返す場であり、須弥山を中心とする世界を太陽や月がまわっている。そこに天界や人間界があり、地下には地獄があって、地の下には金輪際の語源ともなった金属の輪があって、さらにその下には水の輪があり、最下層には風の環が回っていると考えられていた。つまり輪廻転生の先となる天界、人間界、地獄などの世界は並行世界ではなく、一つの世界の上に存在することになる。面白いことにこの器世間はその中に生きる衆生の業が尽きると滅び、新たに生まれ変わるとされ、生き物だけでなく世界も輪廻するという考えだった。  現代科学の視点で見ればこれは荒唐無稽なおとぎ話に過ぎないが、世界全体を縁によって永遠に生滅を繰り返し移ろいいくものとする視点は、仏教の諸行無常や諸法無我の真理と矛盾しない。  さて、世界が生滅を繰り返すとする発想自体が正しいのか否かはまだ分からないが、科学的な視点でもサイクリック宇宙論という説では宇宙は滅びと再生を繰り返すとされている。その一種の共形サイクリック宇宙論を唱える人達は実際に前の宇宙に由来する光子を宇宙背景放射から見つけようとする観測も行っている。将来、人類は宇宙の輪廻の証拠を掴むのか、あるいは単なる妄想だったのかの結果を知りたいものだ。  ここでは一旦、宇宙も生滅を繰り返すと仮定する。そうすると時間と言うものはあまり意味を持たなくなってしまう。なぜか?まず自分について考えてみると、無限の施行回数があるのだから、自分と同じ遺伝子をもつ人間は過去に無限にいたはずであり、同時に未来にも無限に生じるだろう。それぞれの自分は様々な人生を送り、そのなかには今の自分と全く差が無い人生も無限にあることになる。俯瞰して見れば、自分の多種多様な人生は確率の濃い薄いの問題となり想定しうる全ての可能性は超長期的視点では完結して既に実在している事になるからだ。その視点を世界全体に拡大しても同じことが言えるので、時間という概念は可能性の問題に還元されてしまう。  だからどんな可能性が少ない存在でも、例えば世界のすべてを救おうと決意した法蔵という名の菩薩も無限に存在する。その中には今から十劫前に成仏した法蔵菩薩もいたことだろう。宇宙論はロマンだ。こうして宇宙論を考えてみると、器世間の考えや倶舎論を作り上げた昔の僧侶達もロマン溢れる人達

臨終の三愛

 日本仏教において人が死を迎える時におこす三つの執着や欲望の事を、「臨終の三愛」や「欲界繋の三愛」や「三種の愛心」などと呼びます。  この三愛とは境界愛、自体愛、当生愛の三つです。境界愛とは家族や財産に関する執着であり、死にあたりこれらを失いたく無いと執着することです。自体愛とは、いよいよ死に近づき自分の肉体が滅ぶのを惜しむようになる状態のことです。この境界愛と自体愛を受けて、まだやり残したことがあると再びこの世に生を受けたい望むのが最後の当生愛となります。この結果として成仏出来ずに輪廻転生を繰り返すとされます。  死んだら自分の財産が失われるのも、家族と別れなければならないのも当然のことです。財産を失いたく無いと執着しても致し方なく、残された家族の好きに使わせればいいのです。頓死ではなく既に確実な死が目の前の床にいるのなら財産の多寡など気にしても始まりません。病気のせいで既に意識が朦朧としていたり幻覚や妄想がおきているので無ければ、そばにわざわざ来てくれている家族に対して無様な姿を見せずに感謝の一言でも伝えるべきでしょう。自分の肉体についても同様で死のさだめを受け入れるしか無いです。臨終の床で肉体の滅びに抵抗しても無意味です。また、死を前にして人生を振り返れば、ああしておけばよかったとかこうしておけばよかったと思うこともあるでしょうけど、過去はもう変えられません。世界とは苦しみで出来ているというのが仏教の基本的考え方なのですから、むしろそんな中で少しでも善いことを行えたのなら十分立派です。良いことに目を向けましょう。死の間際では、もう考える時間も僅かなのですから、嫌なことや後悔したことばかり思い出してもしょうがないです。次はきっと上手くやるからまた生まれ変わりたいなどと願わずに、もうよくやったからもう成仏しようと思えるように日々の生活を積み上げていきたいものです。

オフレッサー現象

 田中芳樹のスペースオペラ小説「銀河英雄伝説」に出てくるキャラクターにオフレッサーという軍人がいる。オフレッサーは人格的に難ありとの描かれ方をしていたが、上級大将の肩書を持っていた。このオフレッサー上級大将は、ある日の戦いで他の将軍らとともに対立していたこの物語の主人公の陣営に捕らえられる。ところが、この陣営の参謀の陰謀により、他の将軍らが処刑されたのにオフレッサーは無罪放免となる。敵陣営に帰還したオフレッサーは主人公陣営との内通を疑われ自分の味方から殺されてしまい、敵陣営は疑心暗鬼のるつぼと化し自滅していくこととなった。  この話はもちろんフィクションだが、ここから得られる教訓は、日頃の信頼は大切だということ以上に、疑心暗鬼に陥った集団は脆いということだろう。  史実でも例えば日本の戦国時代に浅井長政の家臣だった磯野員昌は、対立する織田家から磯野は織田方へ裏切ったという偽情報を流された。その偽情報を信じた浅井家は磯野を見捨てて程なく滅亡してしまった。  現代でも恐ろしい敵に捕まっていた味方が予想外に早く解放された時に、解放された者が裏切ったのでは無いかと憶測が流れ味方の分裂の原因ともなる。もちろん、本当に裏切ってる可能性もあるわけだが、それを疑って起きる組織の分裂も深刻だ。第二次世界大戦で、物資の不足したドイツ軍は本物の地雷と空き缶をランダムに埋めて連合軍を混乱させたのに似ている。こうしたジレンマは、古典的だが分かっていても避け難い罠だ。  この罠に打ち勝ちうる信頼を持つ人間関係は滅多に存在しない。もし誰か一人だけでもそんな信頼をおける人がいればそれは宝物と言って良いだろう。

島田叡

 島田叡は沖縄戦の際の沖縄県知事であり、その生死は不明だが、おそらく昭和20年(1945年)6月に死亡したものと見られている。命日が分からないが6月の今日はこの人物の話をしたい。  島田が沖縄県知事に着任したのは昭和20年1月31日で、沖縄戦が始まったのは同年3月下旬だった。この一ヶ月少々の間に島田は沖縄県民の北部への疎開を進め、食料の確保に尽力し、物資の乏しい中で酒やタバコの嗜好品を民間に放出するなど、来たるべき戦闘による被害を極力減らすのと人心の安定に努力した。  米軍が沖縄本島に上陸を開始した4月1日から20日足らずに沖縄北部は制圧された。島田が北部に疎開させた8万人にも及ぶ老幼婦女子らの多くも米軍の管理下に入った。米軍管理下での住民の苦労は色々あったが、この後に南部で起きる大量の住民を巻き込んだ戦闘と比べると島田が疎開を急がせたのは正解だったといえる。  沖縄戦は大本営と現地の第32軍の方針が一致せず作戦に一貫性がなかった事や、沖縄戦の直前に沖縄防衛のために鍛えていた主力部隊が台湾に移動になった事など問題も多かったが、日本軍は南部の首里を拠点に激しく抗戦した。しかし、5月末には首里を撤退し、多くの住民が住む南方に撤退することになる。軍の南部撤退の方針に島田は激怒し軍に対して、首里で玉砕せずに住民を巻き込むのは愚かだとまで言い放っている。    住民のために死力を尽くして努力した島田だったが、6月上旬には行政機能が維持できなくなり、職員に生き延びるように訓示をして行政機関としての沖縄県は活動を停止した。沖縄戦は6月23日に終結した。  島田叡はこの時期に死亡したものと見られている。わずか43歳の生涯であった。自刃したとの説もあるが、その最期は不明であり死体も現在に至るまで発見されていない。

意思の疎通

 自分が伝えたいことを言葉にして他の人に送っても、元の伝えたいことがそのままに伝わることはほぼ無いだろう。日常生活においてまあまあ大雑把に伝われば事足りるし、仕事や作業での伝達事項は誤解が無いように内容を順序立てて箇条書きにしたり数値化出来るものは数値化するなど工夫すれば概ね伝わるので問題ない。  問題と成るのは心情や想いを伝える場合だ。有史以来、膨大な言葉が交わされてきたからには、ごくごく稀に送り手の想いが言葉を介して正確に受け手に伝わることもあったかも知れない。しかし、もしそんな事が起きていたとしてもそれは確認のしようが無く結局のところ誰にも分からない。この事実をもって誰も自分を分かってくれないと嘆く人は多い。  しかし、同じ言語を使っている内輪では大体の内容は伝わっているはずであり、大きな誤解でも無ければ、完全に伝わらないと気がすまないというのはある種の執着といえるだろう。そもそも、全ては移ろい行くのだからある瞬間の気持ちと次の瞬間の気持ちは似て非なる物に過ぎず、言葉で伝えた気持ちを相手が受け取った時は送り手の中に完全に同じ気持ちは存在しない。  細かい枝葉にこだわりすぎると本当に伝えるべき重要な本筋を見失うものだ。気をつけていきたい。

ミャンマー非難決議

 今回は昨日、衆議院で決議されたミャンマー軍事クーデターに対する非難について語ります。全文は以下のリンクの通りです。 ミャンマーにおける軍事クーデターを非難し、民主的な政治体制の早期回復を求める決議  さて、まず自国民や異民族の弾圧・虐殺を続けるミャンマーのクーデター政権に対して非難することは至極当然のことで、衆議院のこの決議はそれだけなら評価できます。  しかし、実はこの非難決議は、もともとウイグルや香港などの人権問題に憂慮した中国への非難決議を目指したものでした。その決議案の検討中に、ミャンマー問題もいれて非難しようという意見がでました。色々混ぜると問題の焦点がぼやけるのでそれぞれ別個にすべきだったのですが、ひとまとめで決議案が練られていきました。こうしてミャンマーの問題が加わっても、中国の人権問題に関しての批判もされる予定だったのですが、全会一致を目指すとの名目で、中国に対しては名指しを避けた弱い表現に変わっていきました。それでも何も言わないよりはマシかと思っていましが、実際に決議される段階では中国への批判は完全に消滅していました。  どうしてこのようなことになったのか考えてみます。欧米など自由主義諸国が中国への批判を強める中、少なくとも建前としては欧米と価値観を共有する日本が人権蹂躙に加担する訳にはいきません。しかし、日本と経済的な結びつきの強い中国に実効力のある制裁をしては不利益を被る経済陣も多く、もちろん中国も報復してくるでしょう。日本の大多数の国会議員の自由と民主主義を守ろうとする価値観は口先だけで胆力の欠片もありませんから、本音からいうと中国とトラブルを起こしたくは無いのです。そこで現実的な効力の無い対中非難決議なら欧米にもごまかしが効くと考えたのです。要はコウモリです。どっちにも良い顔をしようとする政策は、政治的に最悪なだけでなく、倫理的にも間違っていますが日本の国会議員の大半は愚かなので仕方ありません。さて、ただそれでも中国への非難決議はされる予定でした。しかし、議論が進むにつれ、中国の機嫌をそこねてはいけないという機運が強まり、並行して批判の対象となっていたミャンマー相手の非難であれば、欧米には日本は人権を守る国ですとのアピールができて、中国様にも阿る事ができると考え今回の結果に至ったのです。ところで、国会決議は全会一致が基本だから仕方がなかっ

科学リテラシー

 科学リテラシーとは早い話、社会生活の為に必要な科学の理解と知識のことで、文科省の定義によれば「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」です。1992年にはユネスコも読み書き計算とともに科学リテラシーを人権を守るために必要な学習としています。  そういう訳で各国とも科学リテラシーの向上に努力はしていますが、例えばアメリカでは地球は平らで進化論は嘘だと信じる人も多く、先のアメリカ大統領選挙ではGPS機能をもつ秘密インクがあるなどというヨタ話を信じる人も多くいたし、新型コロナウイルスのワクチンにしても目に見えない超小型の高性能の謎の機械が打ち込まれるとかいう無茶な話すら信じる人がそこそこいました。今のところは努力は無駄のようです。  新型コロナウイルスに関して、日々多くの先生方が科学リテラシーの低い人達の暴論を訂正しようと努力していますが、これまた然程効果があるようには見えません。  スポーツの世界では、名選手がかならずしも名指導者とはならないという通説がありますが、これはすごいプレーを当然のように出来てしまう天才にとって凡人がそれをなぜ出来ないのか理解できず指導も出来ないという側面もあるようです。  科学リテラシーも同じようなところはあり、いろんな事実を当たり前と認識している専門家にとって、科学リテラシーの低い人達がなぜ事実を理解できないのか分からない点もあるでしょう。残念ながら日本の教育システムでは科学リテラシーが高い人はごく僅かしか育ちません。教育制度を改革して気長に待つしかありません。  日本の義務教育における理科も、高校の物理や化学や生物や地学といった学科もほぼ知識を詰め込む授業であり、科学的思考法を涵養する場ではありません。これでは科学リテラシーなんて高くなりようがありません。日本では、ちゃんとした実験をデザインするための知識は概ね理系の大学や大学院でしか習いません。つまり、理系の大学や大学院に行かない人にとって、科学的思考法を鍛える場は人生のうちに存在しない事になります。やはり義務教育のうちに基礎は教えておくべきです。  科学リテラシーが低い人にありがちな言い分に、何かを絶対に正しいと信じ込むのは間違っているというものがあります。なるほど、その言葉

レイシストと多様性と寛容のパラドックス

 一部のレイシスト達が多様性をことさら大事にするのは、特定の人達を差別するのも多様性の一つで排除してはいけないとする理屈による。言っている本人たちが認識しているかどうかは知らないが、これは有名な寛容のパラドックスを体現しているものだ。  全ての多様性を守る必要があるというのは文字通りに解釈すると、多様性を破壊しようとする意見も多様性として受け入れなくてはならなくなってしまう。もちろん、多様性を大事にする社会とは、他を排撃しようとする存在に関しては例外的に排除するという前提があるのは自明なのだが、しばしば忘れ去られる。寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならないのだ。  だから、何とか民族は皆殺しにしろだとかいう意見やそれに基づく行動は一切認める必要は無い。言論の自由は何がなんでも保証せよとする意見も根強いが、明らかな侮辱やデマに基づく暴力の推奨や殺人の教唆などは言論の自由に値しない。  これまでも似たような話は何度もしてきたが、言論の自由を盾にレイシストたちを擁護する人はあとを絶たない。しかも多くは善意でやっているのだからたちが悪い。  コロナの時代に目立つのは、ワクチンやウイルスのデマを軸に叩きたい国や企業や個人へのヘイトを炸裂させる手法だ。聞くに堪えないデマを喧伝しながら、科学的にはこういう説もあるのに何某の圧力で言論の自由が弾圧されているとか言うものだ。現実の脅威に関して有害なデマを吹聴してまでヘイトを推進しようとするのは全くもって理解し難い。しかも決して少なくない科学リテラシーの低い人間がこのレイシズムに騙される。  こうした手法ではコロナ陰謀論を広めるよりはレイシズムがその主たる動機なので、レイシズムを取り締まるだけで陰謀論の大半も消え去ることになる。多くは科学や社会問題に偽装しているが、単にレイシストが暴れているだけだからだ。エセ科学でも科学を主張する意見を取り締まりにくいのなら、徹底的にレイシズムを取り締まればいい。国には断固たる行動を期待したい。

ダイヤのような日

 茨木のり子の「ぎらりと光るダイヤのような日」という詩の中に、  世界に別れを告げる日に  ひとは一生をふりかえって  じぶんが本当に生きた日が  あまりにすくなかったことに驚くだろう  とある。これは茨木のり子が存命中に死ぬ間際を想像してそう思った事を書いたのだろう。この前の段落には、  小さな赤ん坊が生まれたりすると  考えたりもっと違った自分になりたい  欲望などはもはや贅沢品になってしまう  ともある。女性差別が今よりも著しく酷かった時代を戦い抜いてきたインテリ女流詩人にとって、子育てなどは「じぶんが本当に生きた」日々には当たらないのだろう。何か行間からこみ上げるものがある。こうした思索や知的探究を志向する詩人がいたからこそ文学は発達して人々の情緒を涵養してきたのだ。ただ、それは分かった上でだが、そう言い切ってしまう貪欲さにはいささかの恐ろしさも感じてしまう。  最終段落では、じぶんが本当に生きた「ぎらりと光るダイヤのような日」が人によって違うとは書いているが、人によって違っていてもそれはとても例外的で滅多には無い日なのだという認識だったのは間違いない。  こうしたストイックな偉人を見ていると、子供と過ごした日の全てがキラキラとしたダイヤモンドのような日である人は随分と贅沢な人生を過ごしているのだと思う。そんな日々の中でも色々と考えたりよりよく変わっていくご両親も多い。それが可能となるのは個々人の知力ではなくご縁の力によるものだろう。誠にありがたいことだ。

LGBTQ+

 性的なマイノリティーを示す略号のLGBTは有名だが、LGBTに区分されないマイノリティーをQ+としてまとめてLGBTQ+とする表記方法がある。このQ+の一つとして興味深かったのはAllyと呼ばれる者の存在だ。Allyは生物学的性別が性自認と一致している異性愛者で性的なマジョリティーではあるもののLGBTQ+を支援する人達だ。この定義ならばAllyは性的なマジョリティーにとどまらず、社会でもマジョリティーだ。今の時代、性的なマジョリティーの中でLGBTQ+だから差別しろと主張する人達はかなりの絶滅危惧種だ。だからAllyを含めてのLGBTQ+ならばこれに属さない人の方がマイノリティーということになる。つまりLGBTQ+はマイノリティーの分類方法ではなく社会運動における彼らの勝利宣言とも見れる。  一方で、キリスト教やイスラム教などは基本的には同性愛を禁止しているので、LGBTQ+とこれらの信者との対立は避けられない。滅びかけているがISことイスラム国では同性愛者は死刑(私刑)の対象だし、よりマイルドなイスラム教圏でも例えばインドネシアの一部の自治体では同性愛者は刑罰の対象となっている。キリスト教では、バチカンが同性愛者に理解を示す態度をとっているものの、キリスト教において神に宣誓し祝福を受けた夫婦を中心とした家族は神の愛を体現する使命を帯びた存在であり神聖視されるので、バチカンの姿勢はあくまでも妥協の範囲内と言える。また先日廃案とはなったが、日本の国会で議論されていたLGBT理解増進法案も、理解してやるという態度が気に入らないとしてLGBTの方々からの批判を受けていたことも考えればバチカンも含めて、マジョリティーが理解を示してやるという姿勢ではLGBTQ+はおさまらないのだろう。  しかし、価値観が違う者どうしを無理やり同化するので無ければ、理解と妥協以上の事を望めば争いを招くだけのような気もする。同性婚の法制化くらいが落としどころではないだろうか。他人に干渉しないのであれば、キリスト教徒が異性婚を神聖だと思ったところでそれはLGBTQ+を差別したことにはならないだろう。今や社会のマジョリティーとなったLGBTQ+がキリスト教思想を間違っているとして矯正しようとするのはさすがにやりすぎだと思う。少なくともバチカンは歩み寄ったのだ。多様性に寛容な社会とは全てを同化する

天安門事件

 今日は六四天安門事件から32年目の日です。ものすごく有名な歴史的事件なのでここではその詳細を述べません。今日の慰霊の日に考えたいのは、事件後に日本政府がとった対応への疑問と、32年たった現在でもまた日本政府は同じ誤ちを繰り返そうとしている事に関してです。  天安門事件直後、少なくとも当時の西側諸国は中国へ非難の声をあげていましたが、日本政府は中国を孤立化させてはいけないとの理屈で中国政府を支援していきました。なぜ民衆を虐殺した政権の孤立を防ぐ必要があったのか倫理的には謎ですが、支援するならば民主化勢力の方にすべきだったのは明白でしょう。  さて、中国の孤立化を防いで民主や人権思想に感化せしめるという作戦はもちろん失敗し、今でも中国共産党は民主化勢力をはじめ占領地域の諸民族への弾圧や虐殺を続けています。これに対して欧米は様々な制裁処置を取っています。しかし、日本は有効な処置をなにもしないばかりか、今国会で行われるはずだった中国への単なる非難決議すら実施されるか怪しくなってきています。強制労働の疑いで世界的に使用の制限がされている新疆綿についても、ユニクロで有名なファーストリテイリングが許容する発言をしたのも記憶に新しいところです。欧米との繋がりや自由や民主主義よりも中国共産党との関係を重視する勢力が政界財界に多くいるのは実に嘆かわしい限りです。  日本が再び中国政府を支援して民衆の弾圧や虐殺を後押しすれば、日本は世界から完全に中国側の勢力として認知されることになります。それは直接的にアメリカとの戦争を意味します。うまく行っても冷戦で、悪ければ本物の戦争です。誠に遺憾ながら勝ち目はありません。倫理的にも実利的にも中国共産党を支援してその人権蹂躙を手助けしてはいけないのです。

普賢岳

 今日は長崎県の普賢岳でおきた大火砕流から30年目の日となります。改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。  さて、この火砕流では予測された危険区域には避難勧告が出されておりましたが、いい絵を撮ろうとした報道陣が居座り、避難区域内集落の民家に不法侵入し盗電するなどの犯罪行為が横行していました。こうした報道陣の犯罪から故郷を守るため、また報道陣にも避難に応じてもらうために地元の警察や消防団の人達は彼らの説得にあたり、そのために火砕流に巻き込まれて死亡しました。本当に可哀想なことです。  しかし、当時の報道では死亡した記者達をまるで英雄かのように扱い、記者魂を持って取材を続け殉職したとして礼賛するプロパガンダが展開されていました。その後、徐々に彼らの犯罪が暴かれてからはそのトーンも落ち着いて来ましたが、日頃は他罰的なマスコミが自分の身内の問題は隠蔽する体質は今も変わっていません。  さて、ではこの時に殉職したマスコミの人達は極悪非道な鬼のような人間だったのでしょうか?確かに、地元住民のことなど人間とも思わぬ傍若無人な振る舞いや、己が利益を優先した公益に反する避難勧告の無視、自分たちも含めた徹底的な人命軽視など、地獄の鬼もかくやの行状ではあります。しかし、おそらく個人レベルではいい人の方が多かったのだろうと思います。  意外に思われる人も多いでしょうが、組織的な残虐行為の実施において個人の人間性はあまり重要ではありません。例えば、北アメリカ大陸で行われた原住民の大虐殺はマニフェスト・デスティニーとして知られる神から与えられた使命だと考えられていました。でも、その時代にアメリカに移民した白人の個々人が愛や慈悲のかけらも無い人達だったのかというと、そんなことはありません。単に白人以外を人間だと認識していなかっただけで、その内部では倫理も道徳もあったのです。もちろん殺された側はたまったものではなく非道は正さねばなりませんが、同じ発想で報復し合えば殺し合いが終わることはありません。  人間は、国家など何らかの権威からお墨付きを貰えば容易に残虐な行為をやってのけるのです。普賢岳で取材をしていた人達の場合は、報道のためならば何をしていも構わないという会社や業界の風潮が非道を無視させたのです。有名なミルグラム実験でもあったように、善良な一般人でも科学実験のためだとの口実だけで無

進化論と仏性

 大乗仏教の如来蔵思想では、仏性は全ての人が持っており各自が煩悩を取り除けば自然と現れると考えられています。その仏性が、何かしら生物学的に人間に内包される存在なのか、空を悟りうる人間の知能に対する比喩的表現なのか、それ以外なのかを考えてみたいと思います。  仏教が東アジア地域に流入するはるか前の孟子と荀子の時代も、人間の本性が善なのか悪なのかは議論がありました。彼らの有名な性善説・性悪説と如来蔵思想を比較してみた場合、如来蔵思想では人には仏性があるとしており一見すると性善説を支持しているように思えます。しかし、一方でほとんどの人は煩悩により利己的な行動ばかりしているともされるので、本来は性善説なのだけれでも実質的には性悪説と変わらない状態であると世の中を見ていることになります。荀子の場合はその悪を制御するために学問を修めるという解決策が提示しているのです。荀子は人間は社会性を学ぶことで後天的に善を身につけるのだと考えていました。しかしここで疑問なのは、利己的である人間が、あえて善を求めて学ぶのはその内面に善を希求する心があるのでは無いかということです。本来は利己的であるはずの人間に善を求める心はどのように定着したのでしょうか?  さて、それを考える前に人の進化の過程について見てみます。人間の環境適応力の最たるものは、個々の知恵よりも社会を形勢する能力にあると思われます。どんな強い個体でも組織的な数の暴力の前には無力です。では人間は、知恵を持っていたから集団でいることの利点を見抜いて社会を形成したのでしょうか?おそらく違います。近縁の霊長類がほぼみんな群れを形成することを考えても、人間は生物的に群れる性質を持っているとみるべきです。アリやイワシと変わりありません。  もちろん、単に群れているだけでは善も悪も仏性もありません。そこに知恵の介在があるのも間違いないのです。次に、どういう種類の知恵がミームとして生き残るのかも進化論的に解釈してみます。人間が群れの中で個人の利益を最大化しようとした時に、集団内の身近な個体から収奪する作戦がまず考えられます。多くの霊長類の群れにボスがいる様に、人間も内部抗争に勝った強い個体が群れのリーダーであったことでしょう。更に、自分たちの群れ以外にも人間がの群れがいれば、他の群れから奪う戦略も立てられ競争となります。群れの間の抗争に敗れれば

西郷南洲翁手抄言志録より2

 幕末の儒家である佐藤一斎の書「言志四録」より百一条を西郷隆盛が抜粋して座右とした「手抄言志録」の第二十七、 處晦者能見顕  據顕者不見晦 (晦におるものはよく顕を見る 顕に拠る者は晦を見ず)  現代語訳では、「暗いところにいる人は明る所を見ることができる。明るいところに拠っている者には暗いところが見えない。」となります。  恵まれた環境に依存していると苦しむ人達の事が分からなくなるものです。この言葉は儒教の物ですが、大乗仏教の先人達も理屈や瞑想の中の真理や安穏に満足すること無く大いな慈悲をもって苦しむ衆生の中でともに生きてきました。  日本において神道と仏教が習合したように、漢土においても主に宋代からは仏教は儒教や道教と習合しており、そこかしこにお互いの影響があるようにも思えます。