楽しい偽経の世界

 偽経とは一般にはお釈迦様が説かれた以外のお経の事を指します。そう言うと上座部仏教教徒からは大乗仏典はみな偽経だというツッコミが来そうですが、ここでは東アジア地域で作られた興味深い偽経について解説します。

 もっとも有名な偽経は延命十句観音経でしょう。このお経は以前からあったものでもインドから伝えられたものでもなく、南宋の将軍が死刑になりそうになった時に夢に聞いたこのお経を唱えたら助命されたという伝説があり、夢のお告げが原典となります。古来様々な霊験譚が伝わるこのお経は観音信仰とともに今でも多く唱え続けられています。観音菩薩に帰依し、その縁を大切にして、その心が続くようにとの決意表明をする内容の短いお経です。全文は以前の写経を勧める回で紹介していますのでご参照ください。この様に偽物(非仏説)であることを隠そうともしていません。大乗仏教の自由度の高さはすごいですね。

 次は、大黒経です。正式名称は仏説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満菩薩陀羅尼経といい、仏説を名乗っていますが、日本の大国主命とインドのシヴァ神が習合して生まれた大黒天のお経が仏説なはずもありません。面白いのはその内容です。大黒天こと大福徳自在円満菩薩は、実は大摩尼珠王如来というちゃんと成仏した仏様だったのですが、この世の貧乏で困窮して良いことが無い衆生を助けるために現世に菩薩として現れたとしている事です。如来は基本的に現世には現れず自身の仏国土にいるとされます。観音菩薩などの有名どころの菩薩が、如来とならずに現世に留まる理由は、衆生を救うためにわざと成仏しないのだとされています。今回は如来が荒業を使って現世に降臨したという形をとっているのです。如来がルールを無視して助けに来たのだからスゴイぞ!という感があり、その内容も大黒天をお祀りする人には宝を降らせ福徳を与えるというような現世利益バリバリの文言が続き、どんな経済的苦境でもきっとどうにかなると思わせる明るいお経です。辛いに人には希望が必要ですし、これを読誦してうまくいけば、自分の力だと驕り高ぶることもなく、自然に感謝の念も芽生えるでしょう。大黒天を祀る人たちに読誦されています。

 最後は稲荷心経です。作者が分かっている貴重な偽経で、伏見稲荷神社の神宮寺であった愛染寺の天阿上人の作とされます。内容は、稲荷大神の本体は如来であり慈悲の心からこの世に神として現れたとしており、ここまでは大黒経の流れと同じですが、その後に法華経の引用があります。すなわち、今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子(この世の全てに仏はあり、この世に生きる人々は全て我が子である)また、是法住法位 世間相常住(この法は真実の法で、そのあらわれであるこの世も無常とはならない)が引用されています。豊穣神としての稲荷大神がこの世を守り育てるというニュアンスが組み入れらたのだと思われます。その次がなんと般若心経からの引用です有名な「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてーぼーじそわか」の部分です。内容は、彼岸に行き悟ることを勧めるものですが、呪文的な真言の部分なので原音のままで良いでしょう。稲荷信仰が仏道成就に役立つとの意だと思われます。最後は現世利益の意味が強い荼枳尼天の真言も加えて〆られています。欲張りな構成のお経です。さて、荼枳尼天は元々はインドの人食い魔女だったのですが、仏教に取り入れられ日本に伝来した時には狐にまたがる天女の形になっていたので、狐をご眷属神とする稲荷大神と同一視された経緯はありますが、稲荷の5柱の中央3柱は如意輪観音、千手観音、十一面観音からの垂迹とされていた事もあります。お経も含めてなんというか何でもありという感が強いです。明治の神仏分離以後は唱える人も減ったかと思われますがこちらもまだまだ聞かれるお経です。

 色んな思いや信仰から作られた偽経も大切な文化です。慈悲の心が涵養されるのなら、どんな言葉もありがたいものです。南無佛。

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