五時八教の教相判釈
五時八教の教相判釈とは天台宗に伝わる仏典の分類です。現実にはお釈迦様がお亡くなりになってから大量に作られた多様な諸経典も、当時は全てお釈迦様が説いたとものと考えられていたので、それぞれの経典の内容の矛盾をどうにかして解消するために、経典の分類とその時系列的なつながりの物語を作り上げたのです。
こうした分類は歴史学的に間違っているが故に昨今では批判や軽視される事もありますが、全ての人を救おうという大乗仏教の理念や、天台宗より生まれた数多くの鎌倉仏教などへ与えた影響などを考えると、歴史学は一旦おいておいて見るべきものがあります。本日は天台宗教学の入門書とも言うべき天台四教儀から五時八教の教相判釈を解説していきます。
五時八教のうち時系列の分類が五時の分類で、お経を内容や対象について分類したのが八教の分類です。八教の分類はお釈迦様の説法の仕方で分類した化儀の四教と、教説の作用で分類した化法の四教とに分かれます。これらは相互に関係しあっていますがまずは五時の分類から説明します。
まず五時の第一は華厳の時です。お釈迦様が悟りを開いたそのままの内容を説いた時期で、その内容をまとめたお経が華厳経だとしています。華厳経に「初発心時便成正覚 所有慧身不由他悟 清浄妙法身 湛然応一切」とあります。その意味は、「最初に悟りを目指そうとする心を起こした時に悟りは達成される、仏にそなわる智慧は他人の助けによっては起きない、清らかな仏の身はこの世の全てのものにあふれて応じてくれる」となります。大乗仏教の如来蔵思想に通じる考え方です。お釈迦様の悟りは大乗仏教のそれであったと主張していることとなります。また、華厳経は奈良の大仏で有名な盧遮那仏を中心として説かれています。盧遮那仏は密教で言う大日如来のことでこの世の全てを包含する仏様です。さて、そんな華厳経ですが、お釈迦様が盧遮那仏としての荘厳なお姿でこのお経の内容をそのまま説いた所、誰も理解してくれなかったとされます。
五時の第二は鹿苑時です。高等な話を理解してもらえなかったお釈迦様は、一介の修行者の格好にもどって、かつての修行仲間がいる鹿苑を訪れ、誰にでもわかる内容の説法をされたとしています。この時に説かれたのが阿含経と言われる歴史学的には最古の仏典群です。ここでの教えは、以前紹介した四諦八正道、十二因縁、六度などです。すなわち、物事は原因と結果のつながりで出来ており、人の苦しみの根源は無知から生まれる煩悩であり、原因を断てば結果の苦しみも消える、煩悩を断ち切る手段として、正しい物の見方をすることが大事であり、そのために生活習慣や心を整える修行を行うとした教えです。さて華厳時に教えを理解できず鹿苑時に教えを受けた修行者は声聞、縁覚、菩薩の3つに分類されます。声聞とはお釈迦様の教えである四諦八正道にしたがって悟りを目指すひとたちで、縁覚とは自力の修行で十二因縁などの縁起の法を悟る人たちで、菩薩とは六波羅蜜(六度)のように慈悲と利他を重視した悟りを目指す人達です。これらをあわせて三乗と呼びます。乗とは悟りに導く乗り物という意味です。
五時の第三は方等時です。方等とは方正にして平等の意味で一般的な大乗経典を指します。鹿苑時に説いた仏教に対して、維摩経や勝鬘経などで大乗仏教の優位性をお釈迦様が説いた時代とされます。大乗の仏教の大乗とはひろく人々を救う大きな方法という意味ですから、先の三乗のうちの利他性の強い菩薩の優位性を説いていることとなります。鹿苑時のような自分の悟りを目指すためのスキルの伝授からかわって、ひろく人々を救うための日常の中の実践に重きをおかれた経典群です。結果として、三乗のうち自己修練を重視する声聞と縁覚は劣ったものとみなされて小乗と呼ばれます。
五時の第四は般若時です。般若とは仏の智慧を意味し、空の思想を大成させた般若経群を指します。大乗仏教の教えを聞いて初めて仏の智慧が理解できるという流れで、ここでは、鹿苑時の教えは除外されてしまい、声聞と縁覚は蚊帳の外です。
五時の最後は法華涅槃時です。これまでの四時を超えた究極の教えとして法華経を示しています。ここまで不遇な目にあってきた声聞と縁覚ですが、法華経では三乗の別なく全てが救われるとしています。能力の劣った三乗の者には仏の真意を理解できなかったので、前の四時まで順序立てて仮の教えで導いていたとする理屈です。人が全て仏になる事を説き、仏が常に有ることを説く大乗仏教版の涅槃経も法華経と通じる物があります。全ての人を救うために社会に仏法を活かしていくのが法華経の基本ですので、天台宗が今でも一隅を照らす(各自が自分の場所で力を尽くす)ことを国の宝とする考えにもつながっている訳です。
この五時の順番でお釈迦様は教えを説いたのだするのが天台宗の基本的な考え方となります。これに瞑想法の摩訶止観などが実践の行として加わりますが、そちらはまた別の機会にして、残りの八教を説明します。前述の様に八教は化儀四経と化法四経に分かれます。
まず、教えの説き方を示す化儀四教です。その最初の頓教は華厳時の教えの事です、悟った内容をそのまま語ったので、急である意味の頓な教えで頓教です。続く漸教は鹿苑、方等、般若時のように順序立てて分かりやすいように教えていくので、だんだん進むという意味の漸な教えで漸教です。秘密教とも言われる秘密不定教は、いわゆる対機説法の様に、仏様が各人にあった教えをすることです。不定教とも言われる顕露不定教は、結局ところ仏様は一つの真実を説いているのだけど、各人の違いによりその理解が異なるのでその恩恵も各人で異なるような教えになることです。秘密教と不定教は第一から四時までの全てにあたります。この頓教、漸教、秘密教、不定教が化儀の四教になります。最後の第五時である法華涅槃時はこのような仮の教えの工夫を超越した教えなので、化儀の四教はあてられていません。
次に、教説の作用で分類した化法の四教は、鹿苑時の部派仏教的な教えである蔵経があり、これは方等時にも教えられます。一方で究極的な教えの円教はもちろん法華涅槃時にあてられていますが、鹿苑時を除く他の時にも内包されているとされます。また、華厳時も円教ではあるものの、それは一部であり、残りの部分は法華経が説かれる事により初めて円教として理解される粗い別の教えが混じっています。大乗仏教の菩薩行を説くのを別教とよび、蔵経から別教に通じる教えを通教と言います。方等時は蔵経と通教と別教と円教が混じった教えで、般若時は通教、別教、円教が混じっています。ここでも純粋な円教である法華経が最高とされています。
このように五時八教の教相判釈は歴史学的には間違っていますが、天台宗から発生した一連の鎌倉仏教が、社会や在家を大切にするのは天台の考え方が基礎となって出来たものと言えます。また浄土教の開祖法然が、あれだけの才知を持ちながら、自身の根本経典を浄土三部経とするまでにやたらと時間がかかっているのも、三部経がこの分類では方等時にあたり大分レベルが落ちる教えであるという先入観があったためかも知れません。臨済宗の栄西も己の禅を摩訶止観と同じ様に語るなど、政治的配慮もあったかと思われますが、影響しています。多くの鎌倉仏教は当時、倫理的に質が下がりつつあった天台宗の中心である比叡山を批判して新宗派を旗揚げするのですが、天台宗との論戦に勝つにはその教学を理解しておく必要があり結果として新思想に磨きがかかりレベルがあがったのだと言えます。さらに、雨後の筍ように出てきて法華宗たる天台を批判する諸宗派とだらしのない比叡山に業を煮やし日蓮宗は法華経原理主義として立ち上がった感もあります。日本仏教の多様な文化形成に寄与した天台宗はなんだかんだと言って日本仏教の母なのだと思います。
この文化が続くことを祈って合掌。
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