マハトマ・ガンジー像の撤去要求問題など
アメリカやイギリスなどで黒人の人種差別に抗議する活動が続いている。人種差別の撤廃は大いに賛成する。だが一部には気にある点もあった。抗議活動に便乗した掠奪や暴力は元より、歴史上の人物の銅像が破壊されたり、アメリカ南部地域の旗や歌が批判されたり、バンドの名前が奴隷制度があった時代を連想させるとの理由でバンドが謝罪して名前を変更したり、抗議活動に便乗した強盗の被害を受けた店の人間が襲撃を批判したら差別的だと批判され謝罪に追い込まれたりしている。私から見たらちょっと行き過ぎの様に思えるが、現地では(略奪行為も含めて!)これで良しとされている風潮だとのことで、改めて文化の違いの大きさに驚かされている。欧米の人と交流する時は、この違いに注意し思いやりの心を忘れないようにしたい。
さて、上記ほどの問題では無いが内容的に心配な話に、抗議者が差別的だと思う人物の銅像撤去の要求がある。その中には、本人は奴隷制度に反対してた南軍のリー将軍もいる。南軍を指揮したと言うだけで、本人の主義主張は無視され、他の業績も否定されている。過激派に利用されるから撤去と言うのならまだ理解も出来るが、個人の歴史を悪意的に改変するのは良くない。
同じく銅像の撤去要求には、非暴力主義で有名なマハトマ・ガンジーのものも含まれている。ガンジーは生前に黒人の蔑称の利用したとされるが、当人に蔑称だとの認識があったかは怪しく、また、学業におけるインド人の黒人に対する優越性も言ったとされるが、これも黒人を人種として差別したものか疑問がある。単に社会情勢的に当時の黒人の多くに教育が施されていない事実を述べたようにも見える。黒人の迫害に積極的に加担した記録も知る限りはない。故人を裁くことは出来ないが、仮に生存していても推定無罪だし、法は不遡及なのが原則だ。
そもそも、歴史上の人物の言行を洗い直せば、現在の標準的な価値観からしておかしいところは当然出てくるものだ。価値観は地域や時代で変遷するものなので、今ここでの価値観は今ここでしか通用しない。仏法が示すように諸行は無常だ。価値観や道徳も変遷を免れない。今のアメリカやイギリスで起きている極端な動きも、価値観の変遷を見ているのかも知れない。アメリカ社会の人種差別や不正が平和的に解消されるように祈る。
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