拉致被害者を救うために
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの父親である横田滋さんが昨日亡くなられた。氏はキリスト教徒であるので、天国に行かれるようにお祈りする。まだ子供の娘を理不尽にも誘拐され、再び会うこと無く臨終を迎えた無念さは想像するに余りある。
拉致被害者やそのご家族に対して我々が出来ることは何であろうか?仏教徒ならば、人の苦しみを除き、善をなし悪を断たねばならない。彼らが帰国し家族に会えるように活動をしている人たちへの支援は今後も必要だ。だが、国家ぐるみの犯罪行為に対して、民間で抵抗出来ることには限界がある。日本政府の援助なしにこの問題の解決はありえない。政治への働きかけも大切となる。しかし、日本政府は口先だけでほとんど何もしてこなかったばかりか、この間に北朝鮮の核武装もみすみす許してしまった事を考えると前途は多難だ。
この間の歴代政府は何を考えて無為無策であったのか?北朝鮮の後ろ盾となっている中国への配慮があったのか?それとも、朝鮮半島の緊張が増すことを嫌ったアメリカの指示か?あるいは国内の一部からの反対が面倒だったのか?だが、これらは同朋の命や人権を犠牲にしてまで優先しなければならないことだろうか?
現在の政治家の大半に問題があるのは間違いない。しかし、そういう政治家を国会に送り届けてきたのは我々国民だ。もちろん、口先だけ拉致被害者を取り戻すと言って当選した政治家に騙された人も多いだろうが、では騙された人間の何割が国民を騙して何もしない政治家に異議を唱えたのか?結局、北朝鮮と揉め事になるくらいなら拉致被害者なんて見殺しにしても構わないと思う人が多いから、こんな政治家達が勝ち続ける。民主主義は大切だ、多数決による決定はやむを得ないこともある。だが、悪が国民の多数派であるならば、必要なことはそれに屈することではなく、悪を説得し善に変えることだ。
なので、拉致被害者を救うためにまず必要なのは、自分が悪に屈せぬ心を持つことに他ならない。この決意を持つのは大変なことだ。人は、弱い悪はすぐ過剰に叩くが、強い悪には容易に屈するものだ。この悪に屈しないとは、自分の外の悪を他罰的にとらえるのではなく、悪に屈しようとする自分の心の中の悪に打ち勝つことだ。精進を重ねて、考えを同じくする人たちが増えれば、民主主義国家の多数決の原理で政治も動く。また、結果を得るのは大事だが結果が出なければ悪を容認しても良いことにはならない。ここでも決意が必要で自分を磨く必要がある。
拉致被害者全員の解放を希望する。
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