苦しい世を楽しく生きる

 今年は新型コロナウイルス感染症の拡大、世界各国での紛争や内乱、景気の悪化とそれに伴った治安の悪化などなどあり、こうした世情に心を痛めておられる人も多いかと思います。

 仏教の基本的な考え方では、この世の全ては苦しみであるとしています。これは世界中の仏教の共通認識なはずなのですが、日本の仏教ではさほど強調されません。儚さに苦よりも美を見出すような文化の影響かも知れません。
 日本では良く生きた人の最期が悲惨な物でも、その人生を苦とは見なさない事例も多いです。世に強い影響を残し非業の死を遂げた平将門、菅原道真、楠木正成らは神として美談とともに顕彰されてきました。彼らが神になった時代は神仏習合の時代であり、日本では仏教的にもこうした考えが許容されていたわけです。

 しかし偉人がどう顕彰されようとも、人が簡単に傷つき死んでしまう事実に変わりはありません。年齢や性別や社会的立場でその確率は違っても、人も物もいつか必ずなくなります。どんな人が、どんなに避けようと努力しても、死が次の瞬間その人に訪れてもおかしく無いのです。

 禅にも造詣が深かったアップルの創業者である故スティーブ・ジョブズは「もし今日が自分の最後の日だとしても、今日やろうとしていることは自分がやりたいことなのか?」と自問して生活するようにしていたという有名な話があります。実際にこれを実践できるかは別としても、死はすぐそばにあるという事実を事実として受け入れることは今の人生をより良く生きる為の知恵でもあるのです。

 将来の計画を立て目標に向かって努力するのも大切ですが、今この時にしか出来ない事も同じように大切です。特に友人や家族などとの時間は貴重です。生老病死を悲観して苦しまず単なる事実と理解すれば、今の一瞬を真に生きる事が出来るのです。仏教は苦を滅するための教えであり、苦がない状態を楽といいます。願わくば、悔いることが無いように生きたいものです。苦しい時代ではありますが、少しずつ精進してまいりましょう。合掌。

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