有事の際の仏教
アメリカも中国も朝鮮半島もインドも何かと荒れている今日この頃、日本が戦争に巻き込まれる可能性も全く無いとは言い切れません。日本仏教の諸宗派は先の大戦で積極的に軍を支援したこともあり、戦後は大いに反省して反戦平和を訴えています。もちろん、仏教的な視点からみて殺人を推奨することはあってはなりません。しかし、実際に戦争に巻き込まれ日本が戦場になった時、仏教者はどうするべきでしょうか?今日は思考実験です。
その1.原理原則に則り、敵味方別け隔てなく戦闘停止を呼びかける。
一見、正解に見えます。しかし、戦場が日本で、我々が日本人である場合、戦場にのこのこと出ていけば、私達を護るために自衛隊に余計な負担をかけます。結果として自衛隊員や一般市民の死者が増える恐れも強いです。また、実際に戦闘停止を呼びかけて両軍が武力行使をやめる可能性は皆無であり、自己満足の為に自分や多くの他人を危険にさらす事になります。
その2.戦闘で精神的に参っている軍人や市民を慰労する。
先の大戦で日本仏教の諸宗派が行ったのはだいたいコレです。徴兵され不本意ながら敵兵を殺し、自分もまた命の危険にさらされていた兵隊さんに、罪の意識や恐怖心を抑えるような説法をしたり、銃後の民間人には恐怖や悲しみで潰れそうな心を消し戦意を鼓舞する説法をしたりした訳です。結果として戦争を推進したとして戦後になって激しく反省したのです。
一方、アメリカの教会や従軍牧師は、第一次世界大戦の時は激しく敵愾心を煽りまくっていましたが、やや反省したのか、第二次世界大戦では戦争は支持するが煽りは少なくなっていたと言います。強者の余裕でしょうか?それでも、従軍牧師は原爆投下の成功をわざわざ祈っていますし、メンタルケアだけでなく戦意高揚の役目も担っていたのでしょう。
その3.公益に反しないように自分に出来ることをする。
戦争の成り行きに意見を言うことはあっても、現実的には政治家と軍隊に任せる以外に戦争を止める方法は無いのです。ただ、あまり酷いときには文句を言って捕まったり処刑されたりするのも良いでしょう。それ以外では、自分や他人がなるべく死なないように道義に反しない限りは努力する。戦争により心身が傷ついた人がいれば敵味方の別なく優しく接する。日本には徴兵制がありません。私達のために私達の代わりに敵を殺す重荷を負った自衛隊員に思いやりの心を持つのも大切です。
ただ、この方針には消極的な人殺しの容認では無いのかとの反論もあります。
どれが正解というわけでは無いです。人の価値観は多様です。神仏ならぬ人の身で何が真に正しいのか分かりませんが、戦争となれば人が死にます、何も考えずにそれを傍観するのは避けるべきです。少しでもマシな結果が無いか考え行動するしかありません。
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