梁塵秘抄より

 後白河法皇の梁塵秘抄より今様をひとつ、

 仏は常にいませども 現ならぬぞあはれなる
 人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたまふ

 現代語訳:
 仏様は常にいらっしゃるが この世に実体が無いからしみじみ想われる
 人がまだ起きてこない夜明け前に夢にぼんやりあらわれてくださる

 この今様は文豪の菊池寛や川端康成にも影響を与えたとも言われています。
 いろいろな解釈が出来ると思いますが、目指すものが確かにそこにあるのに、はっきりとは捉えられないとなると、いろんな思いが湧いてくるものです。そういう表面的な思慮や分別から解放された時に考えるのではなく仏様を感じられるのかも知れません。

 菩薩が自分のことを菩薩だとして、迷える衆生を見下し区別すれば、形だけで菩薩の行をおこなってもそれは菩薩では無いとする般若経系の話にちょっと似てますね。何かの目的にこだわりすぎることで、目的の本質を見失ってしまうことは多々あります。我々も気をつけて参りましょう。合掌。

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