彫像が破壊される時
彫像が破壊される時。それはどのような時だろうか?
独裁政権が倒れた時。
イランのフセイン大統領やルーマニアのチャウシェスク書記長の銅像が引き倒されるのを見た。彼らはその時代の独裁者で生前に自分の像を建て、民衆に自らの称賛を強制していた。
国が独立した時。
ソ連崩壊に伴い独立した国々ではレーニン像の多くが破壊された。これも称賛を強要されていた人物の像だ。ただこの場合のレーニン像は、既に歴史上の人物であったレーニン個人の像というよりは、悪しきソビエト連邦の象徴だった。
宗教の構造が変わる時。
2001年のバーミヤンの石仏破壊は衝撃的だった。およそ1500年間もあった仏像が消えた。この地の仏教が衰退してから約1000年間、一部は略奪されても意図的で完全な破壊をしようとする人は現れなかった。小さな像なら破壊されただろうが、巨大な石仏を壊す手間は異教徒に寛容さをもたらしたのかも知れない。20世紀末頃から、この地の治安が乱れイスラム過激派が支配するようになると、その数年後には巨大石仏は破壊された。多くのイスラム教徒はこの暴挙に異を唱えたが、現地の過激派は長年に渡り存在した唾棄すべき偶像の破壊に神の偉大さを讃え喜びあった。
社会の構造が変わる時。
今のことだ。バーミヤンの石仏に比べれば短い期間だが数十年から数百年、現地の白人に慕われて出来た人物の彫像が次々と破壊されている。彫像のモデルとなった彼らは今や尊敬を集める存在ではなく、人種差別的な印象があるがゆえに、侮蔑され破壊されその功績も無かった事にされる。その像の人物が本当に人種差別主義者だったのかは問題では無く、そう思わせる背景があれば破壊対象となる。また、日本人にはにわかに信じがたい話だが、その当時を生きた白人は全て黒人から搾取してその恩恵を受けており、故人の彫像だけでなく現在の白人もその存在自体が罪とする意見もある。
1919年に日本が国際連盟で人種差別撤廃の制度化を提案した際、この提案はアメリカの反対で否決された。アメリカに公民権法が成立し法的な人種差別が終結したのは実にその45年後の1964年、それからさらに半世紀以上経過した今でも民間や法の運用上の人種差別は未だに続いていた。歴史的に見てアメリカの白人が人種差別的であったのは間違いない。
だが時代は変わった。今やアメリカの多くの都市で非ヒスパニック系の白人はそれ以外の人口より少ない。総人口に占める割合も2/3程度に減り、いずれ逆転されるのは確実視されている。白人は狩る側から狩られる側へと変わりつつある。黒人やアメリカの原住民がこれまでそうだった様に、これからは白人だと言うだけで蔑まれ暴力をふるわれ奪い取られるだろう。驚くべきことに、そうする事が歴史的にみて正義だと主張する意見が英語圏のネット上には少なくない。抵抗する白人達もいるので実際にそうなるかは分からない。ただ、白人は自分たちの英雄の彫像を守る力すらもう残ってはいない。
彫像が破壊される時。それは何らかの支配がくつがえる時だ。報復のための暴力は本当に正義なのか?どこかで止めないと怨みは怨みを生み無限の報復が繰り返される。怨みや報復が止まないと平等な社会も訪れない。彫像が破壊される時、それを考えて欲しい。
コメント
コメントを投稿