梁塵秘抄より2

 日本が生んだエクストリーム法皇、後白河院が編者の梁塵秘抄より今様の紹介の第2回目です。

 遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子どもの声聞けば
 わが身さへこそ揺るがるれ

 遊び戯れる子供らの声を聞いて自分の体もついつい動き出してしまう情景をそのままうたった今様です。

 後白河法皇が生きた平安時代から江戸時代ごろまでの日本人の平均寿命は30歳前後で推移していました(室町時代は15歳まで低下)。では、みんなが30歳くらいで死んでいたかと言うとそうではなく、これらは子供の死亡率が異様に高いために平均を引き下げていたのです。

 可愛いさかりの子どもたちが次々と亡くなっていくのは、この時代では当たり前の日常だったのです。目の前で元気に遊んでいる子供らもいつ死んでしまうかわからず、見守る当時の大人たちの気持ちが偲ばれます。

 実は梁塵秘抄は江戸時代までは全20巻のうちの1巻しか伝わっていませんでした。ところが明治時代に高名な国文学者の佐佐木信綱により新たに4巻と3巻の断片が発見されました。これらが大正期に出版されたことで、この今様も川端康成、斎藤茂吉、北原白秋ら多くの文人に影響を与えました。大正時代も平均寿命はまだ40歳代で、生まれた赤ちゃんの15%は1歳の誕生日を迎えることなく死んでいました。700年以上の時間を超えて蘇った平安人の思いは、明治〜大正の日本人にはまだまだ切実に伝わっていた事でしょう。

 私達も無常を思い、今ある命を大切にしていきたいですね。合掌。

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