社会制度的人種差別
昨今の黒人差別反対デモや武力闘争あるいは略奪・暴行・破壊行為などの報道で、なぜ彼らが暴力を行使するのかを説明する際に、"Systemic racism"という言葉がよくみられる様になりました。日本語で言うと社会制度的人種差別という感じです。
長い間、差別を受けてきた黒人などのマイノリティーはアメリカ国内で居住地、借金やローン、教育、就労、医療などのあらゆる面で社会的な不利益をこうむってきました。その結果、彼らは総じて貧乏であり居住環境や栄養・健康の問題をかかえ、十分な教育を受けられず、そのせいで次の世代も貧困となりそれが社会制度的に続いていくのです。また、仮にある黒人が人一倍努力して良い大学を良い成績で卒業できても白人よりも不利な就職しか出来ないという事態も続いてきました。犯罪に関しても同じ犯罪を犯しても逮捕から裁判そして刑の執行に至るまで、白人よりもひどい扱いを受けて来たとされます。
このような社会的不正義に対して、非白人はアメリカ建国以来ずっと抵抗してきましたが、現在も差別は制度として社会に定着しており、もはや通常の手段では問題を解決することは出来ない、だから悪しき社会に対するあらゆる破壊活動は許容されるべきだと言うのが、暴力を肯定する人たちのロジックとなっています。この理屈では、差別とは無関係そうに見える一般の商店も、実は全て人種差別の結果出来たものなのです。そういう視点だと、辺り構わず略奪・暴行の限りを尽くしてもそれは正義なのです。
日本での報道でもこの論法で暴力を肯定する物が散見されます。しかし、暴力に頼れば事態は改善するのでしょうか?私には暴力が社会的分断と憎しみと差別を拡大させているようにしか見えません。また暴力を肯定する文脈で社会制度的人種差別という言葉を使うと、社会制度的人種差別の本来の問題点が軽視されてしまいます。暴力以外の手段でこの問題が解決されるように祈ります。
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