ジャータカ、その2

 以前、ジャータカの話をしましたが、ジャータカとはお釈迦様の前世のお話です。本日は、昨今の社会情勢的に考えさせられるお話をジャータカの中から一つご紹介します。

 昔々あるところに、皮の衣を来た修行者が托鉢の旅をしていましたが、人々からぞんざいに扱われていました。そんな時、一頭のヤギが彼をみて後ずさりしました。修行者は、このヤギは自分に敬意を表しているのだと思いヤギに合掌して応えました。それを見ていた商人(お釈迦様の前世)がヤギは行者に敬意を払ったのではなく飛びかかろうとしているのだと警告しますが、時すでに遅く、修行者はヤギの攻撃を受け、相手の敵意と敬意を勘違いしたを悔いながら死んで行ったのでした。

 さて、この話ですが、ジャータカにしては珍しく前世のお釈迦様はあまり活躍していません。いつもならすごい自己犠牲とか知恵や力を使って他の人を救うのですが、可哀想な人に注意をしただけで、結局この修行者を救うことは出来ませんでした。世の中、正しい警告を発しても間に合わなかったり無駄になることも多いものです。

 ただ、このお話の中心は、ジャータカにも関わらず、お釈迦様の方では無く死んでしまった修行者です。この修行者は苦しい立場にある時に、ヤギの敵意を敬意と勘違いしたせいで命を落とします。人は苦しい時には判断を間違いやすく、少しでもいい情報を信じたがるものです。根拠に乏しくても自分にとって都合の良い気持ちの良い情報を信じたがるのです。私達も注意したいものです。

 人は別に苦しい立場に無くても、自分に心地よい話ばかりを選んで聞く傾向があり、そしてそれに大した根拠がなくても信じてしまう傾向もあります。自分に都合の良い話を聞いた時はそれが本当に正しいことなのか冷静に判断する心を忘れないようにしたいものです。また、自分にとって不快な意見を持つ人の話もあえて聞いて、そちらの方が正しいのではないか吟味するのも大切です。

 世情が混乱している時こそいつもに増して冷静さが大切なのです。

 それではまた、合掌。

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