意思の疎通

 自分が伝えたいことを言葉にして他の人に送っても、元の伝えたいことがそのままに伝わることはほぼ無いだろう。日常生活においてまあまあ大雑把に伝われば事足りるし、仕事や作業での伝達事項は誤解が無いように内容を順序立てて箇条書きにしたり数値化出来るものは数値化するなど工夫すれば概ね伝わるので問題ない。

 問題と成るのは心情や想いを伝える場合だ。有史以来、膨大な言葉が交わされてきたからには、ごくごく稀に送り手の想いが言葉を介して正確に受け手に伝わることもあったかも知れない。しかし、もしそんな事が起きていたとしてもそれは確認のしようが無く結局のところ誰にも分からない。この事実をもって誰も自分を分かってくれないと嘆く人は多い。

 しかし、同じ言語を使っている内輪では大体の内容は伝わっているはずであり、大きな誤解でも無ければ、完全に伝わらないと気がすまないというのはある種の執着といえるだろう。そもそも、全ては移ろい行くのだからある瞬間の気持ちと次の瞬間の気持ちは似て非なる物に過ぎず、言葉で伝えた気持ちを相手が受け取った時は送り手の中に完全に同じ気持ちは存在しない。

 細かい枝葉にこだわりすぎると本当に伝えるべき重要な本筋を見失うものだ。気をつけていきたい。

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