臨終の三愛

 日本仏教において人が死を迎える時におこす三つの執着や欲望の事を、「臨終の三愛」や「欲界繋の三愛」や「三種の愛心」などと呼びます。

 この三愛とは境界愛、自体愛、当生愛の三つです。境界愛とは家族や財産に関する執着であり、死にあたりこれらを失いたく無いと執着することです。自体愛とは、いよいよ死に近づき自分の肉体が滅ぶのを惜しむようになる状態のことです。この境界愛と自体愛を受けて、まだやり残したことがあると再びこの世に生を受けたい望むのが最後の当生愛となります。この結果として成仏出来ずに輪廻転生を繰り返すとされます。

 死んだら自分の財産が失われるのも、家族と別れなければならないのも当然のことです。財産を失いたく無いと執着しても致し方なく、残された家族の好きに使わせればいいのです。頓死ではなく既に確実な死が目の前の床にいるのなら財産の多寡など気にしても始まりません。病気のせいで既に意識が朦朧としていたり幻覚や妄想がおきているので無ければ、そばにわざわざ来てくれている家族に対して無様な姿を見せずに感謝の一言でも伝えるべきでしょう。自分の肉体についても同様で死のさだめを受け入れるしか無いです。臨終の床で肉体の滅びに抵抗しても無意味です。また、死を前にして人生を振り返れば、ああしておけばよかったとかこうしておけばよかったと思うこともあるでしょうけど、過去はもう変えられません。世界とは苦しみで出来ているというのが仏教の基本的考え方なのですから、むしろそんな中で少しでも善いことを行えたのなら十分立派です。良いことに目を向けましょう。死の間際では、もう考える時間も僅かなのですから、嫌なことや後悔したことばかり思い出してもしょうがないです。次はきっと上手くやるからまた生まれ変わりたいなどと願わずに、もうよくやったからもう成仏しようと思えるように日々の生活を積み上げていきたいものです。

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