四十二章経の三十二
四十二章経の第三十二章には、仏道修行に挑むのは一人で数万の敵と戦うような覚悟が必要となると説いています。そのために、心を牢く持し、精鋭進行して、流俗狂愚に惑わされないように勧められています。今日はこの三つについて考えてみます。
心を牢く持つには怒りや貪りを抑える必要があります。そうした煩悩に突き動かされないようにしなければなりません。どんな愚かな言いがかりで罵倒されたり暴力を振るわれても、それに対して怒って暴力的な報復をしてはいけません。相手に対する慈悲をもって居住する国の法律に従い粛々と対応しましょう。
精鋭進行するとは、精進するすことです。仏道修行の方法として有名な六波羅蜜にも八正道にも含まれるあの精進です。善いことをして悪いことをせず、既にある悪を断ち既にある善を育てることであり、また、諸々の仏道修行にしっかり励むことです。その中には先の心を牢く持することも含まれますし、人々に施し自分への執着を離れる布施行や、座禅などで精神を集中することも含まれます。特別に時間を設けて行う修行やお勤めもありますが、日々の生活の中で絶え間なく実践してこそ精鋭進行すると言えるでしょう。
流俗狂愚に惑わされないとは、現代では嘘やデマや陰謀論に振り回されない事とも言えます。どんなに心を牢く持って精鋭進行しても、それが間違った方向に進んでしまっては台無しです。そのためには嘘を嘘と見抜けるリテラシーが必要です。そして、間違っていることは間違っているとはっきり言う勇気も必要です。どんな意見の持ち主に対しても寄り添って共感を示すのが良いことのように言われる場合もありますが、例えば、何々民族は悪魔だから皆殺しにしようと主張する人に共感を示す必要なんて微塵もありません。そういう人に対しては過ちを正すことの方が親切と言うものです。とんでもないヘイト思想に接してなお、人の数だけ真実があるとか多様性を大切にしようとか言って相手に理解を示すのはヘイトの許容や推進と同義です。なるほど、ヘイト思想の持ち主も良かれと思ってやっているのでしょうが、どんなに相手が正しいと思っていることでも間違いは間違いであり惑わされてはいけないのです。また、自分が知らず知らずのうちにこうした暴論に流されていないか、日々自省するのも必要です。
人生の中で絶え間なくこうした努力を続けるのは難しく、確かに一人で数万の敵と戦うような覚悟が必要と言えます。
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