集団自決

 今日は沖縄終戦の日です。この時期によく語られる先の大戦の悲劇として住民らの集団自決があります。米軍が迫る沖縄で、米軍に捕まれば死んだほうがマシなひどい目にあうと信じられていたこともあり、旧日本軍からもそうした自決を助けるための手榴弾が供与される例もあったとされています。その後、米軍の管理下に入った沖縄県民は強姦や強奪や土地の強制収用など実際にひどい目にはあっていますが、食料の供給や医療や行政機能などは大きく改善しており、当初予想したよりは遥かにマシであった為、日本軍は住民の協力を得るためにアメリカ軍を過度に悪逆だと嘘の宣伝をしたとか、著しくは日本軍は悪意を持って住民に死を強要したのだという人もいます。

 一方で、ソ連の侵攻を受けた満洲も実に悲惨な状況でありこちらも集団自決はありましたが、批判を受けるのは実際にひどいことをしたソ連軍であり旧日本軍への批判は沖縄と比べて極めて薄く、批判があっても関東軍の備えの甘さへの批判が主です。本当に鬼畜だったソ連軍と、思ったほどひどくなかった米軍との差だとも言えます。個別の事案について現場の軍人による民間人への自決の強制があったかは今となっては不明ですが、日本軍全体の方針として住民に自決を強要することはありませんでした。しかし一方で、国民皆兵的な教育が民間人にも「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓を実施させたのだとすれば、半ば強制的な空気感はあったと言えます。

 当時の日本人の自決は囚われて辱めを受けるよりは死んで自分や家族の名誉を守るという発想だった訳です。実際の集団自決生存者の証言を読むと、捕まると身の毛もよだつようなひどい目に遭うとの風聞が人々に自決を決意させた感もあり、もし捕まっても言われていたほどひどい目に遭わないと事前に分かっていれば自決は避けられたかも知れません。

 しかし、実際に戦闘に参加している軍人や戦火に巻き込まれた民間人が、米軍の温情を予測し得たかどうかは難しいところがあります。大戦前の欧米のアジア植民地運営は確かに非人道的であり、さらに沖縄戦の前には既に米軍は日本の民間人の殺戮を狙って都市への戦略爆撃を徹底的に行なっていたわけで、そんな事をする人達に日本人への慈悲を期待は出来ないと考えるのは遺憾ながら極めて自然なことかと思われます。現場の日本兵士も、住民に悪意をもって嘘をついたというよりは知らなかったという方が正しいのかと思います。では軍上層部や行政の高官なら米軍の温情を予測し得たのでしょうか?沖縄戦前に陥落していた地域は、元々は欧米の植民地だったのを(現実的にどうだったかは別として)日本軍が解放した形となっていた為、これらを奪還した米軍も日本が占領していた時より住民への扱いを良くしないと困る事情があったにもかかわらずサイパンやフィリピンでは米軍による住民の虐殺が起きていました。しかも、沖縄ははじめから欧米の植民地ではなく住民の大半も日本人でしたので更に悪い予測をしても責められることでは無いです。ただ、沖縄戦の開始前には老人や女子供など数万人を主戦場とはならないが早期に陥落するであろう県北部に疎開させており、沖縄県行政としては米軍に占領されても住民が皆殺しにされるとは考えてなかったのだと思われます。また、沖縄戦時の県知事である島田叡は首里の防衛線から軍がより南方へ撤退するときも猛烈に反対しており、県民の居住地域での戦闘の方が単に占領されるよりもひどい結果になると判断していたといえます。少なくとも島田叡は米軍の善意をいくらかは信じていたのでしょう。

 もし、米軍が民間人を粗末にしないとの確信が日本側にあれば集団自決のような悲劇は起きなかったでしょうし、日本軍の作戦行動にも影響したことでしょう。ですが同時に、戦略爆撃で徹底的に民間人虐殺をしていた米軍の良心を信じるのは至難であったと考えます。沖縄戦で亡くなった全ての人のご冥福をお祈りします。

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