科学リテラシー
科学リテラシーとは早い話、社会生活の為に必要な科学の理解と知識のことで、文科省の定義によれば「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」です。1992年にはユネスコも読み書き計算とともに科学リテラシーを人権を守るために必要な学習としています。
そういう訳で各国とも科学リテラシーの向上に努力はしていますが、例えばアメリカでは地球は平らで進化論は嘘だと信じる人も多く、先のアメリカ大統領選挙ではGPS機能をもつ秘密インクがあるなどというヨタ話を信じる人も多くいたし、新型コロナウイルスのワクチンにしても目に見えない超小型の高性能の謎の機械が打ち込まれるとかいう無茶な話すら信じる人がそこそこいました。今のところは努力は無駄のようです。
新型コロナウイルスに関して、日々多くの先生方が科学リテラシーの低い人達の暴論を訂正しようと努力していますが、これまた然程効果があるようには見えません。
スポーツの世界では、名選手がかならずしも名指導者とはならないという通説がありますが、これはすごいプレーを当然のように出来てしまう天才にとって凡人がそれをなぜ出来ないのか理解できず指導も出来ないという側面もあるようです。
科学リテラシーも同じようなところはあり、いろんな事実を当たり前と認識している専門家にとって、科学リテラシーの低い人達がなぜ事実を理解できないのか分からない点もあるでしょう。残念ながら日本の教育システムでは科学リテラシーが高い人はごく僅かしか育ちません。教育制度を改革して気長に待つしかありません。
日本の義務教育における理科も、高校の物理や化学や生物や地学といった学科もほぼ知識を詰め込む授業であり、科学的思考法を涵養する場ではありません。これでは科学リテラシーなんて高くなりようがありません。日本では、ちゃんとした実験をデザインするための知識は概ね理系の大学や大学院でしか習いません。つまり、理系の大学や大学院に行かない人にとって、科学的思考法を鍛える場は人生のうちに存在しない事になります。やはり義務教育のうちに基礎は教えておくべきです。
科学リテラシーが低い人にありがちな言い分に、何かを絶対に正しいと信じ込むのは間違っているというものがあります。なるほど、その言葉だけ見ると彼らの言い分は正しいかのように思えます。確かにそれまで間違いないと考えられていたことが新たな発見により覆るなんてことは珍しくありません。科学とは改善の上に改善を重ね真実の近似を追い求める作業であり、それは当然おきることです。ですが、世界中で観測されその病態の研究が進んでいる新型コロナウイルス感染症が、実は巨大な悪の組織によるタダの作り話だとかいうバカバカしい話を真実だと主張する人達が、正常な医学者から相手にされないと、多様な意見を認めないのは独善的だなどと言って叩くのは呆れ返るばかりです。相手にしなくても、大声で主張されますといくらかは目に入るし、そんな馬鹿な話を信じる人が増えても困るので一定の反論も必要となります。また、暴力的な人がそれを主張している場合には身の危険も感じストレスになります。
こうした面倒事は国民の科学リテラシーのレベルがある程度高ければなくなる事です。科学リテラシーの向上は直接的に技術・開発・生産などの向上に繋がり、経済や国家運営にも有利なので政治家も力をいれそうなものですが、今の日本は政治家の科学リテラシーレベルも悲惨であり改善には時間を要しそうです。
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