サイパン
昭和19年(1944年)6月15日は米軍がサイパンに上陸を開始した日です。米軍の圧倒的物量の前にサイパンは1ヶ月持たずに陥落しました。サイパンの戦いに参加した日本兵の約97%の3万人超が戦死したとみられています。また民間にも1万人ほどの死者が出ました。サイパンが陥落したことにより、日本本土へのB29を使った戦略爆撃が強化されていくことになります。この島での異様な戦死率は、生きて虜囚の辱めを受けずという戦陣訓の影響もあったのでしょうが、サイパンが陥落すれば故郷や家族や友人が爆撃で焼き払われると分かっていたから、全滅するまで戦ったのだと思います。
サイパンで戦死した人の多くは、遺骨が帰国できていません。これはサイパンだけでなく、他の戦場でもそうです。終戦から既に76年経過しており回収は難しさを増しています。サイパンで戦死した小生の祖父も遺骨が無いのでお墓には代わりに南の島の貝殻が入っているそうです。
当時も戦争自体の政治的倫理的軍事的な妥当性などの問題点はありましたが、少なくとも戦死者が守ろうとした日本が現在あまりよろしくない状態になってしまっているのは慙愧の念にたえません。日米双方の戦死者と日米戦争に巻き込まれ死んだ民間人の冥福を祈るとともに、死んだ人達に恥ずかしくない日本にしていきたいと思います。
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