老子化胡経
老子化胡経はいくつかのバリエーションがありますが、道教の祖である老子が実はお釈迦様の師匠であったとか、実はお釈迦様は老子が化けた姿でひねくれた西域の人達にも分かるように仏教を考案した(だから道教に比べて仏教は劣っているとする)偽経です。漢王朝滅亡後の三国時代から再び統一を果たした西晋の時代に出来たとも言われています。
後世、漢土の仏教は道教や儒教と習合していきますが当初は、お互いがその優位性を競い合ってこのようなフェイクのお経が生まれたわけです。
似たような話は世界中にあり、キリスト教が広がった地域の古い宗教の神は悪魔とされています。例えば愛や豊穣を司る女神イシュタルが悪魔アスタロトとされた話があります。日本でも蘇我氏を中心にした仏教勢力に対して、物部氏が仏像を疫病や災いをもたらす異国の神として糾弾していたこともありました。善光寺如来が物部守屋に遺棄されたとする伝説は有名です。
さて、この老子化胡経に対して、仏教陣営も漢人の古い賢聖らを実は菩薩の化身だとする反撃をおこないました。後に日本でも本地垂迹説がとなえられるようになったのは最澄や空海が唐でこうした思想を学んだからではないかとの説もあります。もしそうだとすると老子化胡経は日本のなんとか権現を生み出す遠因となったのかも知れません。
老子化胡経では老子はカシミールやコーサラ国やカピラ国を教化したことになっています。伝説上の老子も晩年ローマに向けて旅立った事になっておりそこからヒントを得たのかも知れません。日本でいうと義経がチンギスハーンになった的な話です。
そもそも老子が実在の人物なのか、一体いつの時代の人物なのかにも議論はありますが、インドから西域を通って中原に至る交流は仏教伝来以前からあったはずです。だから、直接老子が介在していなくても仏教と道教の接触以前に、ぼんやりとした伝言ゲーム的な影響を与えあっていた可能性を考えると少し楽しいです。あくまでも個人の妄想ですけど、歴史はロマンだ。
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