熊野信仰

  今日は熊野三山の一つ熊野速玉大社の大祭の日です。今年は例によってコロナ禍で規模が縮小されていますが、大祭を記念して今回は熊野信仰のお話をしていきます。


 熊野の地に対する信仰は古代からあり、神代の頃に熊野の神倉山に速玉大神とその夫人の牟須美大神が降臨されたと伝えられ、この夫婦が日本の国を産んだイザナギとイザナミであるとされます。速玉大社の主祭神も速玉大神ことイザナギ大神となります。

 現在の速玉大社から海岸沿いに北上すると、イザナミを葬ったとされる花の窟があります。日本神話でこの世と冥界の境目である黄泉平坂は島根県の物が有名ですが、和歌山にもこうした話があるのです。さて、神話で有名な話ですが、死んだイザナミを取り戻そうと冥界に降りたイザナギは、ギリシア神話のオルフェウス同様、見ないと約束した妻の姿を冥府で見てしまい妻の奪還に失敗して永遠の別れをすることとなります。地上に戻ったイザナギが冥府のけがれを祓い清める為に禊をした話が、今も神道に伝わる大祓や祓いの祝詞の原型となっています。その禊をした場所が和歌山に伝わる伝説では熊野の西にあった小戸川、後の岩田川、現在の富田川となります。仏教伝来後は熊野を浄土に、都から熊野に至る途中にあった岩田川を三途の川に見立てて、独特な信仰形態が出来上がってきます。

 熊野三山と言われるように、熊野は速玉大社の他に、その妻の牟須美大神を祀った那智大社、そして本宮にはスサノオ命として家都美御子大神が祀られています。日本神話ではスサノオが冥府の主なので当てられたものと思われますが、本宮の神が果たして元からスサノオとして祀られていたのかには疑問もあります。ともあれ、これらの三山は神仏習合後は本宮が阿弥陀如来の極楽浄土、速玉大社が薬師如来の瑠璃光浄土、那智大社が(千手)観音菩薩の補陀落浄土に模されて信仰されていきます。那智大社のそばには観音菩薩の聖地で西国三十三所の一番である青岸渡寺もあるので有名です。

 観音菩薩の聖地であることもあり那智勝浦では中世に補陀落渡海と言って有志の僧が屋形船のような船で観音菩薩の浄土である補陀落を目指し南の海に流される、僧の自主的な捨身によって衆生を導く儀式がありました。流された僧はほぼ確実に死にますが、16世紀に日秀という真言宗の僧がこの補陀落渡海で沖縄に流れ着き、現地で熊野信仰と真言宗を広めたとされます。

 こういう死のイメージが強い熊野です。その参拝も元々は参拝者の葬礼をイメージした様式でした。つまり、都の方から紀伊半島の西側を南下し、三途の川である岩田川を超え、浄土に至って成仏する流れとなります。もちろん参拝者の死は形の上だけのことですが、参拝者は死して仏へと生まれ変わるのです。

 さて、本日大祭があった速玉大社は神仏分離以前は本地を薬師如来としていました。疫病がはやくおさまるようにお祈りさせて頂きます。

コメント

このブログの人気の投稿

浄土真宗本願寺派の不祥事

妙好人、浅原才市の詩

誰がどの政党や候補者を支持しようがそれ自体が非難されてはならない