職業差別

  残念なことに昔から職業差別をする人はあとを絶ちません。正当な経済活動による全ての職業は需要と供給のバランスの上に成り立っているのですから、尊いとか卑しいとかそもそもある訳がないのです。反社会組織の構成員や犯罪を生業とする人以外は他人から四の五の言われる必要は無いのです。

 仏教はその成立段階から社会的身分制度に伴う差別を嫌い、出家者は平等であることを根本としてます。しかし、この為に大乗仏教以前の仏教では、出家者とそれ以外の聖と俗とははっきりと区別されています。大乗仏教では出家者も在家信者も平等ですので、基本的には差別はありません。法華経の長者窮子の例えにある、記憶をなくした長者の子が苦しい召使いの仕事から長者の跡取りへと成長する話は、一見職業の貴賎を差別しているようにも見えますが、苦しい仕事(修行)を適切な指導の元で励むとやがて悟りに到れるというもので仕事を蔑むというよりはむしろ推奨しています。

 初期仏典のテーラガーターが元ネタの長く一心に掃除をすることで悟りを開いた愚かな周利槃特の話は、後世だいぶん盛られている感もありますが、馬鹿は掃除しか出来ないと言っているのではなく、煩悩を払い清めるのが大切であると言っているのです。この話は愚直な労働の大切さを説く時によく用いられます。日本の小中学校で掃除を業者任せにせずに児童生徒にさせるのは、衛生観念の教育や、協力して作業することによる社会性の育成に加えて、この日本人的労働崇拝の影響もあるでしょう。

 人は往々にして汚くてキツくて危険な仕事は嫌がるものです。しかし、誰かがやらねばならぬ仕事であるならば、それをしてくれている人たちは尊敬を受けてしかるべき存在です。レレレのおじさんのモデルになったとも言われる周利槃特は、無能ものよと蔑まれながら辛くても努力を続けて悟りを開いた立派なお坊さんとして人気があり、労働が尊いという思想につながっているように思えます。

 しかし、もちろん効率化が図れることをあえて苦しいままにしておく必要はありません。仕事は苦しいほど尊いと言うことはありません。仕事である以上はよい結果を残すのが第一であり、苦しむことをより重視するとブラック企業化まったなしです。色々工夫を重ねる事の方が一生懸命に仕事をすることですので、心配せずにどんどん楽を目指して仕事に励みましょう。

 職業差別が無い平和な社会になりますように。

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