月と仏教

 今日は中秋の名月を記念して、仏教と月の小話をいたします。

 月は仏法の比喩として法話のみならず仏教者が詠む詩歌や描く絵画でよく用いられます。例えば水面に映る月の話は様々なものに仏法が現れる事をしめすと同時に、水面に映る月は決して月そのものでは無く、それを見誤り池や盃を月として珍重する愚を説いています。布袋さんが月を指差す絵も有名ですが、月を見るのかさし示す指を見るのかが問われる題材なのです。以前、西行の歌でも解説したように、僧侶の詠んだ歌には月を真理や仏法としても扱う物が多くそういう視点で詩歌を読むとまた違った味わいがあります。

 他にも、お釈迦様の前世譚として有名なジャータカの中には、月にウサギの模様がついた理由を示すお話があります。ある日のこと帝釈天が修行者に化けて山に入りました。ウサギとその友達の猿、山犬、カワウソはこの修行者をそれぞれ供養しようとして、山で取れた食べ物を捧げますが、何も取れなかったウサギは自分を食するようにと言って焚き火の中に飛び込みます。帝釈天の力によりウサギは焼かれる事無く、その自己犠牲の精神をたたえ人々に知らせるために、帝釈天は山を絞った汁で月にウサギの絵を描いたと伝えられています。この時のウサギがお釈迦様の前世だったのです。また少し話が逸れますが、ジャータカのこの話が成立した時代では、布施として肉を捧げても構わなかったのだと分かり興味深いです。初期仏教では殺されるところを見ておらず、また自分の為に殺したとは聞いてもおらず、よって自分の為に殺されたとは知らない獣の肉の布施に関しては食して良いとされていましたが、このウサギの場合はそのいずれにも反します。この辺の解釈の変遷も面白いですがいずれまた別の機会に。

 あと、高齢の日本人には馴染みが深い月光仮面は薬師如来の脇侍である月光菩薩がモデルとされます。正義の味方として悪を払う者としては、日光よりも夜の闇を破る月光の方が良かったのでしょう。

 今夜、月を見上げながら仏法を念じるのも良いでしょう。南無法。

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