お地蔵さまに言わせてみる。

 同じことでも誰が言うかで受け手の印象は変わるものです。韓非子にこんな話があります。屋敷の壁に穴があいていることを知り心配して屋敷の主に注意した息子と近所のおじさんがいました。その後しばらくして、屋敷に泥棒がはいった時に屋敷の主は自分の息子の先見の明を讃え、近所のおじさんは犯人では無いかと疑いました。同じ気持ちで同じことを同じ人に言っても、言った人によって受け取られ方は変わってしまいます。会社での意思決定や政治の方針に関しても、それを言う社長や首長が聞き手に好かれているか嫌われているかにより、時にその印象は180度変わり判断の間違いにもつながります。

 仲のいい人の意見に対してはこちらも冷静に検討する心の余裕がありますが、嫌いな人が出した意見には何が何でも反対したくなるのは人の性です。

 そんな時はお地蔵さまに嫌いな人の意見を言わせてみるのはいかがでしょうか。もし、お地蔵さまなら決してこんな酷いことは言わないと思うのであればやはり酷い意見なのでしょう。しかし、お地蔵さまが同じことを言ったならば意外と良い意見のように聞こえるのであれば、その意見は検討の余地があります。

 ちょっとした漫画を書いておきましたのでイメージとしてお使いください。話すのは別にお地蔵さまで無くても、自分に身近で親しみがあり正しいと思う存在を仮定してみて良いです。

 それではまた、合掌。



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