明るい仏教
小生が仏教に関する活動をする原因の一つが、医療現場で経験する仏教者の患者様に対する偏見にもあります。仏教が縁起悪いだとか不吉だとか気味が悪いという偏見です。
確かに、色んな僧侶や学者が仏教を説く時も多くは苦しかったり悲しかったりする話とそれにどう対処すべきかのお話です。その対処の結果として安心や平穏が訪れるのですけど、ぱっと見聞きする範囲で明るく楽しそうだと感じる人は少ないのかも知れません。また、一般的な人が仏教と接する機会のほとんどは葬式や年忌法要など家族や友人の死に関係するものなのも明るいとは言い難いです。
そもそも論としても、お釈迦様はこの世の全ては苦でありそれを解消する手段を発見し人々に広めたのですから、人生が苦しいのも仏教の話に苦がつきものなのも当然と言えば当然なのです。
この世の一切が苦であるとする仏教のフォーマットはありますが、日本の仏教文化に目を移すと何かとこの世にも良い面を見出しています。たまにはお仏壇の前で今日あった良いことを報告してみると新たな発見があるかも知れません。人間がよかったと感じることはほぼ執着に起因するもので、執着は滅すべきものですが必死に滅する事にこだわりすぎるのも執着です。今の自分がどんな事を良いと思ったのか、どんな事で感情が動いたのかを観察する機会も大切です。自分の心の動きがわかると、他の人に親切にもなるものです。自分に良かった事を考えたとき、それが自分以外からの思いやりと無縁であるのは少数例でしょう。助けていただいた他者へ自然と感謝の念がわいてきます。仏教に明るさがあってもいいのです。
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