仏教の肉食禁止や禁葷食について

 日本で僧侶を罵倒するときによく使われる言葉に生臭坊主というものがあります。この場合の生臭とは獣や鳥や魚の肉だったり、ニンニク類などの臭いが強い植物を指し、生臭坊主とはそうしたものを食するお坊さんという意味です。それがなんで悪口になるのかと言えば、日本に伝わった仏教は肉食禁止に変化していたからです。つまり、禁止事項を破る悪い僧だという悪口になる訳です。

 初期仏教や部派仏教、後者の流れをくむ現代の上座部仏教では生臭とされる物を食するのは禁止されていません。なんであれ布施を受けたものはありがたくいただく事になっており、肉となる動物が自分のために殺されたかそれが疑われる場合や殺されるところを見ている場合を除けば、肉でも食べて良いとされます。初期仏教や部派仏教は極論すれば出家した僧を救うための思想ですので、他の生物の犠牲はある程度は許容されます。しかし、一切の命を救おうとする大乗仏教では食肉となる動物も救うべき対象ですから、肉食に抵抗感が生じやすいのです。日本に伝わった仏教は、インドの大乗仏教が中央アジアを通り、概ね現代の中国があった地域を経由してもたらされた漢民族風にアレンジされたものです。隋にこの地域が再統一される前の南北朝時代、南朝梁の時代に仏教は日本に伝わりますが、この時の梁の仏教では肉食が厳しく禁止されていたこともあり、日本に伝わった仏教も肉食禁止がスタンダードとなります。また、臭いが強く強壮作用があるとされる植物も煩悩を刺激するとして禁止されていき、この風習も後に禅宗を中心として日本に輸入されます。

 日本では一般人に対してもこの漢民族風の仏教精神に則り天武四年(676年)に天武天皇が肉食禁止令の詔を発しました。これは牛、馬、鶏、犬、猿に限定した肉食禁止であり、しかも4~9月の農耕期間のみのものでした。しかし、仏教の精神に則った肉食禁止令が出ている以上、僧侶たちが肉食するのはより強く憚られることとなります。日本における肉食文化はその後もなんだかんだと言って続くのですが、信長が比叡山を焼き討ちした際にも天台の僧侶が魚鳥を食べていると批判しており、一応は後ろめたさを伴うものでした。時は過ぎ、幕末から明治にかけての廃仏毀釈が吹き荒れる明治五年(1872年)に僧侶の妻帯肉食を認める太政官布告が出されます。妻帯肉食は強制ではありませんが、徹底的な弾圧にあっていた僧侶は政府の顔色を伺い肉食や妻帯をしていくことになります。なお、浄土真宗は開宗の当初から無戒で妻帯も肉食もしていたのでこの布告に関しての精神的打撃は少なかったと思われます。一方この影響もあり、明治期から始まる日本仏教の復興運動は、より在家主義に偏る傾向となります。明治初期の一連の騒動は悲劇的でもありますが、結果的には大乗仏教の本義にあった変革がなされたとも言え、寧ろ良いことであったのかも知れません。以来、150年近くに渡り、この風習は日本仏教界に根付き独自の仏教文化が発展していくことになります。

 僧侶の肉食に関しては反対意見もありますし、現在でも古い規則を守っておられる方もおりそれはそれで尊重すべきですが、医学的視点からも栄養が偏ると体に悪いのは間違いないです。感謝しつついただくのであれば個人的には問題なしと考えますし、150年来続く伝統を突然7世紀の価値観に戻せと言うのも乱暴な意見です。時代や環境に応じて変化してきた仏教は、そのコアの部分さえ同じなら仏教と認める多様性に寛容な宗教です。一部の原理主義者や学者による彼らが信じる正しい仏教を他人に強要する姿は執着そのものであり、仏教の基本に反すると言えます。

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