他人の不幸を喜ぶ心理
自分にとって都合の悪い人が不幸な目にあった時、一瞬「やった!」と喜んでしまうことは無いでしょうか?修行の足りない小生には時々あります。だけど、ついうっかりした時を除いてそれを口に出したりはしません。そう考えてしまう事は恥ずべきことだからです。
しかしながら、世の中では誰かが病気になったとか怪我をしたとかという報道があると、その誰かを嫌っている人たちが歓喜の声をSNSなどに書き込んでいるのをよく見ます。少なくともこの方々は、他人の不幸を喜ぶのが恥ずかしいとは思っていないようです。
なぜでしょうか?そういうことを書き込んでいる人が日頃から恐ろしいならず者という訳ではありません。彼らの書き込みを観察すると、その有名人が自分に直接的に被害をもたらすと信じている場合が多いように思えます。知人でも無い有名人の自分に対する影響を過大評価し病的に恐れているのです。
もうなんといか、奴をやらなきゃ自分がやられるくらいの勢いが読み取れます。もちろんSNSに他人の不幸を寿ぐ呪いの言葉を書き込んだところで、大した効果はありませんがそうすることで自分の恐怖が少しやわらぐのかも知れません。
そういう人にありがちなのは、自分が嫌っている対象が不幸に陥ったのを喜ばないものは全て敵だとする極端な発想です。仮に、史上最悪の殺人鬼が病気にかかったとしてその平癒を祈るのと、彼が犯した殺人を支持するかどうかは全く別の話なのですが、分離して考えられないのでしょう。
社会人としては嫌いな病人がいたとしても「お大事に」と言うのが正解です。病人には優しくしましょう。
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