良寛さんの歌 その5
良寛さんの歌のその5です。前回、晩年には気弱な歌が多いと書きましたが、そんな気弱な状態の長歌を紹介します。この長歌は自らの病を嘆き、亡くなった家族を想い、家の没落と自らの境遇に泣くという、実に人間的な感情をほとばしらせている歌です。名の知れた僧でありながら、格好つけずに嘆き悲しむ様子は晩年の浄土教への偏りもあり良寛さんの凡夫宣言のようにも読めます。また、類似の長歌は以下の物も含めて4つあり、良寛さんが強く主張したかった内容だと思われます。
わくらばに 人となれるを 何すとか この悪しき気に さやらえて 昼はしみらに 門鎖して 夜はすがらに 人の寝る うまいも寢ねず たらちねの 母がましなば かい撫でて たらはさましを 若草の 妻がありせば かい持ちて 育まましを 家問へば 家もはふりぬ はらからも いづち往ぬらむ 鶉鳴く 故郷すらを 草枕 旅寝となせば 一日こそ 人も貢がめ 二日こそ 人も貢がめ 久方の 長き月日を いかにして 世をや渡らむ 日に千度 死なば死なめと 思へども 心に添はぬ たまきはる 命なりせば かにかくに すべのなければ 籠り居て 音のみし泣かゆ 朝夕ごとに
大意は以下の通りです。「転生の中で幸運にも人間となれたのに、どうして悪い病気にかかり昼は閉じこもりきりで夜は苦しく眠れないのだろう。母がいてくれたら撫でてくれただろうに、妻がいれば看病してくれただろうに、実家のことを問えば、家は落ちぶれて兄弟たちもどこに行ったのか分からない。そんな状態では故郷であってもまるで見知らぬ土地を旅しているような生活だ。一日や二日ならば人も助けてくれるだろうが、今後の月日をどうやって生きていこうか。一日中もう死ぬなら死んでしまって構わないと思うが、思い通りにはならない命なのでどうしようもなく、毎日ずっと家にこもって声をあげて泣いてしまうことだ。」
この歌の中に妻が出てきますが、実は良寛さんは出家する前に妻帯しており、その妻のことだと思われます。しかし、栄蔵(良寛)は家同士のトラブルで妻の実家から離縁させられます。この時妻は妊娠中で実家に戻り出産しますが、出産後に死亡し産まれた娘も早逝しました。謎と言われる良寛さんの出家の理由の一つかも知れません。晩年の苦しい時に母とならんで思い出すほどに気になっていたのでしょう。兄弟の身も案じる一方で、なかなかの問題児で京都で自死した父親には触れられていません。ただ、別の歌では「極楽に 我が父母は おはすらむ 今日膝もとへ 行くと思へば」とも詠んでいます。良寛さんも色々あったのです。ともあれ、こうした感情を隠さずに正直に言ってしまうのは、僧侶としては異色です。冒頭でこの歌は良寛さんの凡夫宣言では無いかと指摘はしましたが、単に思ったことをそのまま詠んだだけの可能性もあります。良寛さんは初期から割と悲しんだり嘆いたりする歌がありますが、晩年の方が切実さがあります。強い苦しみや悲しみの実体験はその思想にも影響を与えたと思われます。次回の良寛さんの歌シリーズではこの晩年の思想に焦点を当ててみたいとおもます。
それではまた。合掌。
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