フランスにおけるイスラムフォビア
フランスでイスラム恐怖症が急速に拡大している。今回は政府が公的権力を持ってイスラムの弾圧に乗り出しており、今後さらなる対立の激化が懸念される。この一連の動きのきっかけは先日のイスラム教徒による中学校教師の斬首事件だが、これまでの積み重ねも大きく背景を振り返っていきたい。
フランスはEU加盟国では最も多い600万人近いイスラム教徒を擁している。人口比率で約9%となる。フランスへのイスラム教徒の集団的流入は主に第二次世界大戦後の旧植民地からのものに始まる。当初から安価な労働力を期待されてのものだったが、その子や孫の代になっても差別的な待遇は続き末端の労働者が多いために失業率も現地の白人と比べて高い状態が恒常化している。また、近年でもより安価な労働力の需要はあり、人道主義の名のもとに無軌道な大量移民を促進した結果、文化的な衝突も増えるようになった。一方で、白人の出生率が低いのに対し、イスラム系移民は総じて子沢山であり今世紀中頃にはイスラム教徒がフランスのマジョリティーとなるとの予測もある。
フランスのイスラム恐怖症はこうした現状に対する白人達の反感の表れでもある。ただかつてのフランス植民地経営の苛烈さからも分かるように、フランスには総じて人種差別的な文化がある。戦後でも、北アフリカで独立運動が起きた時に、核実験と称して彼らの目の前に威嚇核攻撃をしたのは狂気の沙汰だ。福島の原発事故後も日本人をバカにする漫画がフランスの週刊誌に掲載され日本から抗議の声があがっても「ユーモアのセンスが足りない」と自らの人種差別主義を反省するどころか日本人が理解力に欠ける劣等民族であると言わんがばかりの開き直りを見せたのは記憶に新しい。
さて、今回の事件のそもそもの発端は、左派の風刺雑誌であるシャルリー・エブド誌が、過激派から愛されて困惑する下半身丸出しの預言者ムハンマドを滑稽に描いた風刺画を発表したことにある。ただ問題はこれだけではなく、シャルリー・エブドの元からの風潮で、伝統や宗教や保守派を侮辱し続けていたのも大きいだろう。左翼からは絶賛されるこれらの風刺画も、そうで無い人から見れば、人間がこれほどに醜悪に他者を侮辱し笑いものにできるのかと、その闇の深さに戦慄を覚えざるをえない。
このシャルリー・エブド社は2015年1月7日にイスラム教徒の襲撃を受けて社員12名を含む17名が死亡した。この事件は襲撃により言論の自由を制限しようとした政治的な側面があるとすればテロ攻撃と判断できるが、一方で度重なる侮辱に憤慨した一部イスラム教徒による大量殺人との見方も可能ではある。ともあれ、この事件後にもテロ対策として無関係のイスラム教徒も多く拘束され、民間レベルでもイスラム教徒への襲撃が相次いだ。また、シャルリー・エブドはその後も他者を侮辱し続けており、これがフランス流の言論の自由であるならばこんなに悲しいことはない。今年、2020年9月25日にもシャルリー・エブド旧社屋前でシャルリー・エブド関係者と誤認された無関係の市民が殺害さる悲劇がおきた。
そんなさなかの10月5日、フランスはパリ北部の中学校教師のサミュエル・パティ氏がシャルリー・エブドの風刺画を言論の自由に関する授業で使用した。これに対して、この学校に通うイスラム教徒の親たちはパティ氏がイスラムへの憎悪を煽っているとして解雇を要求するが受け入れられず、この事件はSNSで拡散された。また、授業で使われた風刺画はムハンマドの下半身を強調したものであり、授業中にポルノを見せたとして警察にも訴えが出されていた。そして、この一連の流れを見て怒ったチェチェン系の18歳移民の手により10月16日夕にパティ氏は斬首されてしまう。
この殺人事件に対するフランス政府の行動は迅速だった。事件をテロ事件として扱い加害者の家族までもが拘束された。単に加害者からパティ氏が誰か尋ねられたので教えた中学生までも捜査対象となっている。また、死んだパティ氏はあたかも自由の擁護者であるかのように褒め称えられ、フランスの最高勲章が授与、事実上の国葬まで開かれた。フランス内務大臣はイスラム恐怖症を防ぐための市民団体の活動禁止も提案し、ハラールフード売り場が国家分断の象徴だとまで放言している。また、事件とは関係のない何十ものイスラム教団体が捜索を受け圧迫されている。フランスの世論調査では授業でのこの風刺画の使用に78%の人が賛成しており、イスラム教への風あたりは強い。
新型コロナウイルスの拡大もありフランスの世情も不安定だ。政府は多数派が一丸となって無心に叩ける悪を欲している。イスラム教のテロリストはうってつけのヒールだ。フランス社会の分断と対立はまだまだ続くことだろう。
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