仏教と男色

  日本では平安時代頃から仏僧の男色行為はあったと聞きます。では仏教自体が男色に寛容かといえばそうでもなく、初期仏教の僧侶は相手の性別や動物を問わず性交渉は重罪でした。LGBT云々以前に性的指向を語ること自体がアウトだった訳です。もちろん、在家信者にはこの律は適応されませんが、在家信者の努力目標の一つである不邪淫戒は一般的に夫婦間以外の性交渉を禁じるもので、拡大解釈しなければ同性愛許容とはなりません。

 ところが例によって日本ではこういう戒律はほぼ無視されます。神道でも婚姻は男女間のものとしていますが、婚姻外の性的活動を咎める規定もなく、武士の時代には高度な精神性を持って男色文化が栄えていくのです。そういう風潮を嘆き戒律の復興を目指す人もいましたが、他人のプライベートに口出ししない文化の影響か大きな社会的な軋轢となることも無かったのです。

 したがって、日本の仏教勢力がイスラム国の様に同性愛を否定して、彼らを処刑することはありません。日本の仏教はプラグマティズム的に教義よりも環境の方に合わせていい加減な改変が積み重なってきたとの批判もありますが、このいい加減さが寛容で利他と慈悲に満ちた幅広い救いをもたらしているです。価値観は時代や地方で変わるものです。自分と変わらぬ法を頼りに、執着を離れるのは仏教的にも良いことでしょう。

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