釈迦の仏教

  仏教はその発祥以来、時代や地域ごとに多様な進化を遂げてきました。しかし、その結果として現在の仏教は当初お釈迦様が説かれた内容とは異なるとの批判もあります。こうした批判を受け、釈尊オリジナルの教えを原始仏教、初期仏教、あるいは釈迦の仏教と呼び尊重する人たちがいます。本日はその釈迦の仏教について考察してみたいと思います。なお、私どもは日本の伝統仏教を支持する立場にありますので、それによるバイアスがかかりますことをご容赦ください。

 近代より前の時代は、それぞれの宗派が自分の宗派こそお釈迦様直伝の教えだと主張していた訳ですが、徐々に歴史学的な見地からは現代に伝わる仏教はオリジナルとだいぶん違うものだと言うことが分かってきました。それがどうしたと言える胆力がある仏教者には別に問題は無いのですが、オリジナルこそが絶対に正しいと考える人達には大問題となっているのです。ですが仏教は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のように絶対神から預言者が直接的に真理を伝授されたのと違い、あくまでも人間が真理を見つけ出したものです。時代や地域文化によって最適解が変わっても別に構わないのです。もちろん歴史学宗教学としてオリジナルの仏教がどういうものだったのかを解明するのは重要な事ですが、信仰としての仏教に関して、オリジナルとは違うと言う理由で例えば密教や浄土教の信者が棄教する必要は微塵もありません。

 とは言え釈迦の仏教がどんなものだったのかは気になるところです。また、釈迦の仏教が自分に合うからと信奉する人がいてもこれも全く問題ありません。しかし、残念ながらお釈迦様在世の折にどのような仏教が説かれていたのかは正確には分かっていないのです。したがって、釈迦の仏教なるものを信奉する人の多くは、歴史学的に推定される釈迦の教説を信奉しています。しかし、一部には自分の主義主張(なぜか主に唯物論的な物)を勝手にお釈迦様の主張にすり替える輩もいます。後者は大乗仏教だって同じだろうとの批判はありますが、大乗仏教は仏教の流れから漸次発展してきたものであり、突然まったく違う内容をお釈迦様の真意だとしたのではありません。

 なぜ、お釈迦様の真説がはっきりしないのかと言うと、現在に伝わる最も古い経典群が文章化されたのはお釈迦様没後200年後の紀元前3世紀頃であるとされ、それまでは口伝えでしたから完全な内容が伝わっているとは考えにくいのです。初期に文章化されたいわゆるパーリ語経典は東南アジアで主流の上座部仏教の聖典となっていますが、類似の漢語訳が阿含経典として東アジア地域にも伝わっています。大乗仏教の経典は早くても1世紀頃の成立と見られますので、仏説と言われる大乗経典は歴史学的には全て偽経です。ただ、阿含経やパーリ語経典にしても、文章の成立時期にはバラツキがあると見られすべてが仏説で無いことは明らかです。極論すれば口伝の200年間で全く違うものになっている可能性も否定はできませんが、釈迦を祖とする仏教が組織として続いてきたことを考慮すると、最も古い経典に釈迦のオリジナルの教えに近い物があるとみるのが自然でしょう。

 パーリ語経典の中でも最も古いと見られているの経典の一つがスッタニパータの犀の角の章です。この中で繰り返し述べられているのは、家族や友人など執着の原因となるものを捨てて一人で進めというものです。ただし、自分以上に優れている人とはともに歩むように勧めています。

 この文章から明らかなように、初期仏教は完全に出家主義で自力に依存した悟りを目指しているのが分かります。一方で、出家したが故に生活力を持たない彼らは、都市の近くに住み在家信者の布施・供養を受けることで修行に励むのです。

 さて、上座部仏教にも受け継がれていますが、初期仏教においても悟って苦しみから抜け出せるのは出家者だけです。ならば苦しみから抜け出す事が不可能である在家信者はなぜ出家した僧を供養する必要があるのでしょうか?そこには利他の精神もあるでしょうが、基本的には僧侶を供養することで功徳を積み来世で良い生を受け、何度も輪廻転生を繰り返すうちにいずれは在家信者も出家して悟れたら良いなという希望があるからです。このようにして、初期仏教の出家者と在家信者の関係は成り立っていたのです。

 要は、釈尊在世の折の仏教は輪廻転生を前提としていたと見るのが妥当なのです。にも関わらずお釈迦様は輪廻転生を否定していたとか唯物論者だったとか言い出す有識者様は後を絶ちません。その多くは自分の考えを釈迦の物だとして権威付けしようとしたり、既存の仏教に対して何らかの批判をしたかったりという別の目的があるように見えます。

 余談ですが、仏教の基本の一つでもある自我というものは関連性の上に成り立つもので確固とした存在では無いとする諸法無我を正しいとした場合、輪廻転生する主体は一体なんなのだとする疑問が生まれ、それに対する回答をひねり出す過程が仏教史の面白い点の一つでもあります。機会があればまたいつか紹介したいと思います。

 話を釈迦の仏教に戻します。先の余談で話した諸法無我と、全ては移ろい行くとする諸行無常、煩悩を滅した状態が安楽であるとする涅槃寂静は仏教の特徴を示す三法印と言われます。最低でもこの内容が教義に含まれれば仏教として扱いましょうというコンセンサスです。これが強調されること自体が仏教のバリエーションの多さの故とも言えますが、この最低要件は釈迦の仏教にも当てはまった思われます。また、初転法輪として有名な話で、無知や怒りや貪りなどの煩悩を原因としてその縁と結果の連続の上に苦しみがあり、煩悩とその連鎖を断ち切ることで悟るという四諦八正道や、これらの原因と結果を分析した十二支縁起(十二であるかどうかは別として)の教えも当初からあったと考えられています。基本的には現在の上座部仏教に近いものだと考えてもらって結構ですが全く同じというわけでもありません。

 上座部仏教でも伝えられるお釈迦様の前世譚であるジャータカは明らかに後世の創作です。もし実際にお釈迦様が自分の前世での活躍をあれほど沢山語っていたならば単なる変な人です。また、初期の伝承では沢山の人が短期間に悟っていたのに後世になると、悟りへの障壁がどんどん高くなっていったのは、仏教教団の権威化の流れで生じてきた歪みと言えます。組織が権威化するのは世の常ですが、身分制度を嫌った仏教教団でも、平等なのは出家者の間のみでした。輪廻から解脱する可能性がある出家者とそうでない在家信者の間には絶対的な壁が存在しており、身分格差につながりやすいのです。こうした権威化や教義解釈の過度な複雑化を嫌い、後に仏教の救いを大衆にももたらそうとして大乗仏教が成立し、差別的待遇にあった在家信者や女性なども救いの対象となっていきます。

 お釈迦様の仏教の原点に戻り道を極めるのも良いですが、前提として財産を捨てて出家し、それを支える在家信者が必要となりますので、現代社会で釈迦の仏教を実践するのはなかなかに大変そうです。知識として釈迦の仏教を把握して日常生活に役立てるのが現実的かと思います。彼らにお願いしたいのは、大乗仏教をはじめ他の仏教をあたかも邪教のように攻撃したりするのはやめてほしいということです。俗世の汚れに関与せずに犀の角のように一人で進んでもらいたいです。また、唯物史観的論理をお釈迦様の言説としたい方々は、明らかなデマの拡散であり、あまりそういう事を続けられるとご自身の信用に傷がつくのでやめたほうが良いのではないかと思います。

 初期仏教がいかなる姿であったのかは、大乗仏教の徒であっても興味深いところです。怒らず争わず研究したいものですね。

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