勝鬘経にみる富の再分配
勝鬘経で王妃にして優婆夷(女性在家信者)の勝鬘がお釈迦様に今後の行動を誓った十大受の六番目に「世尊 我従今日乃至菩提 不自為己受畜財物 凡有所受悉為成熟貧苦衆生」という文言があります。現代語訳では、「お釈迦様、私は本日より悟りに至るまで、自分の為に財産を蓄えず、受けた財は貧しく苦しんでいる人々の為に使います」となります。これは個人レベルで見れば単なる利他行ですが、国家の中枢にいる者の発言としてはまた別の意味があります。彼女の収入はほとんど全てが税により賄われている訳ですから、為政者として社会福祉を誓ったものとも受け取れます。
実際に、勝鬘経を重視していた聖徳太子も自らが創建した四天王寺に病院や老人施設などを建設しておりこの教えが実行されています。彼が仕えた推古天皇は女帝であり王妃が活躍する勝鬘経は説得力があったのかも知れません。
勝鬘経では如来蔵思想についても詳しく解説されています。一般に如来蔵思想を説明する際にはよく、「皆さん一人一人の中に仏様がいらっしゃるんですよ」という感じのものが多いですが、勝鬘経で説かれる如来蔵とはどちらかというとこの世の真理は普遍的であるが故に全員が持っているという風な解釈にも読め、極論すれば空を観ずるのと大体同じであるようにも思えます。こうなると自利も利他も渾然一体となってきます。社会福祉は為政者がしてやっていることではなく全体のためにもなるのです。
宗教や倫理的な話でないプラグマティズム的な発想でも、有効な富の再分配は経済を刺激しますし、公衆衛生や治安維持にも寄与します。どんなに努力しても貧窮な状態となる人はおり、運の要素も強いです。そんな時に社会福祉が充実していないと、貧乏は直接的に命の危険を意味します。結果として人は極力貯蓄に走る様になり、景気が悪化するばかりでなく教育や文化に対する支出が減り力無き民が再生産されるのです。こうした社会では一部のお金持ちがずっと勝ち続ける社会となります。社会的な弱者が福祉から外れれば、弱者も命がかかっていますので犯罪行為も起きやすくなります。また、十分な医療にアクセス出来ない人口の増加は感染症に脆弱な社会となり公衆衛生上にも深刻な問題を起こします。現在、欧米で感染が増加している新型コロナウイルスですが、欧米では安価な労働力を求め十分な福祉も受けられない大量の不法移民を黙認し奴隷のように使っていたのも原因の一つかも知れません。
情けは人のためならずですよ。合掌。
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