西本願寺(京都府京都市)
ヴァーチャルお寺巡りの第8回目は国宝の西本願寺です。ちょっと前に石山本願寺の話をやったばかりで、このところ阿弥陀如来がらみの話ばかりに偏って恐縮ですが、今日5月21日は親鸞聖人の誕生日なので許してくださいませ。ちなみに、親鸞聖人の誕生日は承安3年4月1日なのですが、これは新暦になおすと1173年5月21日になります。浄土真宗本願寺派は昔の事でも新暦になおして記念日にすることが多いので古い文献に当たる時に日付が違い混乱しやすいです。
さて、西本願寺の正式名称は龍谷山本願寺ですが、石山本願寺の回でお話した顕如上人がその後いろいろ流転した後の天正19年(1591年)に豊臣秀吉の寄進を受けて開山されました。残念ながら顕如上人はこの翌年にお亡くなりになってしまいます。この後に生じた石山合戦時の強硬派と穏健派の衝突が本願寺の東西分裂を招くのですが、今に続くセンシティブな話なので今回は、揉めそうな話題を華麗にスルーして、西本願寺で個人的に気に入っている建造物TOP5の解説をやっていきます。
1つ目は、本願寺伝道院です。本願寺の御影堂門から道路を挟んで総門を抜け少し進んだ先にあります。離れたところにあるので、西本願寺へ観光に行っても見落とされる可能性が最も大きい重要文化財です。画像は良いアングルで撮られている文化遺産オンラインのURLを下に貼っておきます。実にカブいた建物ですが、東京の築地本願寺を設計した伊東忠太の設計だと聞けば納得でしょう。
2つ目は重文でもなんでも無いですが堀川通りに面した壁です。かつて本願寺の末寺であった真宗興正派の本山興正寺とつながって見えるため、果てしなく続いて見えるお寺の壁は圧巻です。本願寺と興正寺を合わせれば、体感では二条城の長辺と同じ位です。デカイ。
3つ目は飛雲閣です。つい先日、約3年間の修復工事が終わったばかりの国宝です。本来なら親鸞聖人の誕生日にあわせて一般公開されていたはずなのですが、例の感染症の影響で中止とのこと。通常は非公開なので残念ですね。修復工事中に一度訪れたのですが撮影禁止でしたので、別途かざってあった模型の写真をあげておきます。飛雲閣は金閣、銀閣と並んで京都三閣に数えられる名建築で、一説には秀吉の聚楽第の遺構を移築したとも言われます。
4つ目は、阿弥陀堂と御影堂です。渡り廊下でつながっているので、2つじゃないかというツッコミはなしでお願いします。両方とも国宝です。寺院の本義からすると、阿弥陀堂を第一位にすべきですが、今回はあくまでも建築物としてということでご容赦ください。様々な装飾など見るところはありますが、やはり最大のポイントはとにかくデカイ!浄土真宗は御聴聞を第一としており、門徒が集まる広間が他宗派の仏教建築物よりはるかに大きいのが特徴です。阿弥陀堂でも主役の阿弥陀如来像は実はそれほど目立っていません。真言宗などの他宗派では芸術性の高い仏像がドドーンと沢山まつられているのですが、西本願寺はそういう意味ではかなりストイックです。これも浄土真宗の絶対他力信仰の現れで、建造物からもその心をうかがい知ることが出来るのです。ちなみに浄土真宗で御朱印がないのも、朱印は元々は納経した時にもらう印であり、納経自体が現世や来世の利益あるいは追善供養といった自力の行であり、阿弥陀如来の絶対他力にすがる宗旨に反するという考えからです。よっておみくじもお守りもありません。割と他宗派からの破戒だのとか言われる本願寺ですが、この辺の事は徹底しています。観光収益だけを考えれば大きな機会損失ですが、貪欲に負けずに譲れない一線を断固と守っているのです。かっこいい。
5つ目は、太鼓楼です。重要文化財です。時を告げる太鼓をおいた楼閣で本願寺の北の端にあります。幕末には一時的に新選組の屯所となっていた場所で、歴史ロマン的にランクインしました。なお、本願寺側は新選組には迷惑していたと伝えられています。
個人的なランキングでしたのでランク外になった建築物の方が芸術性が高かったりします。西本願寺には時々公開される日頃は非公開の部分も多く、私も実はまだまだ攻略出来ていません。自粛解除されたらまた行ってみたいお寺です。ただ西本願寺の建造物は、2022年春頃までの予定であちこちが修復工事中でもありますので参拝される方はご注意を。
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