【憶測】ガタピシは本当に仏教用語か?

 ガタピシ、近年では死語となりつつある高齢者ワードですが、引き戸の立て付けが悪くてガタガタして力を入れると勢いづいてピシッと閉まるような状況や、人間関係がぎくしゃくしている時などに使う言葉です。

 このガタピシが我他彼此と書く仏教用語だとする説は、仏教好きな人たちの中では割とよく知られた話ですが、果たして本当にそうだと言えるでしょうか?ちょっと歴史を振り返ってみましょう。

 この我他彼此という言葉が出てくるのは鎌倉時代の仏教説話集である沙石集で「凡聖又無二なり、此事を忘れて我他彼此の分別によりて、流転生死の凡夫也」とあります。現代語訳は、普通の人と聖人に差はないのにこれを忘れて自分と他人やあれとこれやと分けて考えてしまうから成仏できず苦しみの生まれ変わりを繰り返す凡人である、という意味になります。

 実は、この沙石集は擬音や象徴的な音の表現方法であるオノマトペが多いことでも知られてます。つまり、この時代もガタピシが一般的に使われていたかは別にしても語感的なガタとピシを我他彼此に字をあてて表現した可能性も否めません。我他彼此という言葉は仏教用語としては決してメジャーでは無く、オノマトペとして頻用されているガタピシの語源と言うのは論拠に弱いのではと思えます。それよりも、元々あったガタやピシなどのオノマトペを我他彼此に流用したとする方がスッキリした理解につながります。

 とは言え、この予想も根拠薄弱なんですけどね。皆様はどう思われるでしょうか?ご意見があればご教示くださいませ。

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