誹謗中傷と観音経
有名な観音経の中に
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
という文言があります。
現代語訳では、呪詛や毒薬でその身が害されそうな者が観音菩薩の力を念じれば、その毒や呪いは加害者に帰る、という意味です。呪詛や毒薬が我が身にふりかかる事は現代社会ではあまりないですが、呪詛は現代技術を使った攻撃者の姿が見えないネットいじめと同義と言えます。SF作家のアーサー・C・クラークでは無いですが、進歩しすぎた科学は魔術と見分けがつかないのです。
さて、この観音経の文言には違う解釈もありますが、上記のものが一般的です。上記の解釈が正しかったとしても観音菩薩の力を復讐に使っている感があり仏教者としてはいかがなものかとの批判もあります。
そういう批判もありますが、あえて言いましょう、これで良いんです。それはなぜかをお話していきましょう。
まずもって仏教的な因果応報の思想では、他人に嫌がらせをした人にはその報いが生じるものです。これは被害者が復讐しなくても、観音様に祈ろうが祈るまいが既に決まっている事なのです。むしろ、嫌がらせに対して、被害者が受けたのと同じ手段で加害者に反撃すれば、被害者が放った呪いもやがて自分に帰ってきます。これは無抵抗であるべきだと言っているのではありません。正統な反論や法的手段に訴えることはするべきです。不正に対して全く抵抗せずにいれば、やがて相手の放った呪いに犯され、精神を病んだり、ひどい場合には命も失います。観音様への祈りは、その苦しい時期を乗り切る心の支えとなるのです。
とはいえ観音経には、観音菩薩の力を念じることで、様々な物理的危険を免れると説いており、現代人からみたらそんな馬鹿な!と思う人の方が多いでしょう。確かにそうなのかも知れません。しかし、本当にどうしようもない危険にされされた時に、とにかく観音菩薩に一心に祈ることで落ち着きを取り戻せたら、新たな打開策も思い浮かぶかも知れません。もちろん、無駄に終わることもあるでしょうが、一心に祈ることで恐怖や絶望は遠のきます。観音経は万策尽きた人間にずっと救いを差し伸べてきたお経なのです。
ネットいじめにあっている人は、少し休んで一心に観音様に祈ってみると良いです。きっと不条理に立ち向かう勇気も湧いてきます。南無観世音菩薩。
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