瑠璃光寺五重塔(山口県山口市)
各地で緊急事態宣言も解除されそうですが、県境を超えての観光などは当面の自粛が続きそうです。そんな中、以前に撮った写真を見ていますと、懐かしく思うと同時に、旅情もそそられます。とは言え、出かけるわけにもいかない、難儀な事です。同じ事を思ったかも知れないあなたに、しばらくヴァーチャルなお寺巡りをお届けしたいと思います。
第一回は山口県の瑠璃光寺にある国宝の五重塔(31.2m)です。写真は5年位前の物です。初見の印象はうわーデカイでした。高さ自体は京都にある東寺の五重塔(54.8m)方が高いのですが、丘の上にぽつんと立っているせいか、周囲に建築物が多い都会の五重塔に比べて体感的には高く感じました。
瑠璃光寺は曹洞宗のお寺で御本尊は薬師如来ですが、この五重塔は瑠璃光寺が移転してくる前にあった香積寺に属していたものです。
香積寺は守護大名の大内氏の菩提寺で、山口を京風に整備をした大内弘世の子である大内義弘(1356年生〜1400年没)が開基、宋からの渡来僧である石屏子介(臨済宗)が開山した寺院です。五重塔は応永の乱で足利義満に敗れ死亡した義弘をともらう為に建立されました(1442年完成)。一階部分には阿弥陀如来像と大内義弘の像が祀られています。通常はお釈迦様のお骨が納められるとされる五重塔の基部には義弘の棺があるとの伝説もあります。
やがて、大陸との貿易などで大いに栄えた大内家も戦国の世に滅び、山口を含む中国の大半が毛利家の支配下に入っても香積寺は残っていました。しかし、その毛利家も関ケ原の戦いに敗れ、毛利家の所領が周防・長門の二カ国(ほぼ現在の山口県)に減封されると、1603年には毛利家の菩提寺である洞春寺(臨済宗)に合併される形となり1606年には萩にうつり、1616年には五重塔を除く建物も萩に移築されました。現在の瑠璃光寺は1690年に、山口市仁保斎場の付近にあった瑠璃光寺が移転したものです。萩へ移転した洞春寺は、明治2年(1869年)に瑠璃光寺の隣にあった常栄寺のところに戻ってきて、常栄寺は山口市宮野下にあった妙寿寺のところに移転・合併しました。ちなみに現在の常栄寺には水墨画で有名な禅僧の雪舟が造った庭があります。山口には多くの文化財が残っており西の京と呼ばれた大内文化を今に伝えています。
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