東寺・教王護国寺(京都府京都市)

 ヴァーチャルお寺紹介の第9回目は京都の東寺です。こちらも例の感染症の影響で拝観中止になっています。東寺のご本尊の薬師如来に疫病退散を祈りましょう。

 さて、東寺は延暦15年(796年)に創建され、金堂はこの頃に建立されたと言われます。金堂には本尊の薬師如来が祀られています。弘仁14年(823年)、嵯峨天皇がこの東寺を空海に与え、真言密教の根本道場が誕生しました。立体曼荼羅で有名な東寺の中央にある講堂はこの年から建設が始まりました。金堂の北に講堂が配置されており、さらに北の少し離れた位置には空海没後に建造された食堂(じきどう)が建てられています。東寺の中央部に三つ並ぶお堂、本尊の薬師如来が座する金堂、立体曼荼羅が見る人の心に語りかける講堂、昔は文字通り僧が食事をする場でもあった食堂のお堂は、それぞれ仏、法、僧を象徴しています。そのように考えて拝観するとまた違うおもむきが感じられます。とは言え、観光で訪れた人の目を最も引くのはやはり立体曼荼羅でしょう。金堂や講堂内での写真撮影は禁止なので手持ちの写真はありませんが、実際に行ってみるべきだと思います。単にライティングやアングルの問題ではなく、実際に歩いてお参りするのと、マスコミや公式の提供による写真や動画を見るのでは感じ方が大きく異なります。余談ですが、建武3年(1336年)足利尊氏は東寺に陣をはり食堂に住んでいたと伝えられています。

 境内北西部には御影堂というかつて弘法大師空海が居住していた建物があります。空海は高野山でお亡くなりになる際に「身は高野、心は東寺に納めおく」とおっしゃったと伝えられ、高野山でも東寺でも毎朝、空海に食事がそなえられます。高野山金剛峯寺の奥之院では今でも空海が瞑想を続けていると信じられており、有名な四国のお遍路へは、東寺の御影堂に挨拶をしてから出発し、高野山の奥之院に帰着の挨拶をするのが正統な回り方とも言われます。

 東寺の南東には有名な五重塔があります。木造五重塔では55mと日本で最も高いものです。以前このブログで瑠璃光寺の五重塔の話をした時に、東寺の五重塔は高いが都会の風景から見るとどうのこうのと自分で言っていましたが、東寺の境内からは外の建物はほとんど見えませんので気にせず感動してください。慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いでは、西郷隆盛がこの五重塔の上から戦局を見守ったとも伝えられています。

 早く日常が戻りますように、南無佛。



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