四天王寺(大阪府大阪市)

 ヴァーチャルお寺めぐりの第6回、昨日は日本屈指の古刹である善光寺を紹介しましたが本日は、日本最古とも言われる四天王寺を紹介してまいります。

 四天王寺は教科書でもおなじみの蘇我氏と物部氏の戦いに従軍した聖徳太子が勝利を祈願して彫った四天王(仏教の守護者)の像を祀ったお寺で6世紀末からの歴史があるお寺です。蘇我氏の氏寺である飛鳥寺の創建の方が早いと言われますが最古級のお寺です。

 四天王寺は天災や戦災で何度も焼失や倒壊を繰り返しましたがその度に再建されています。多くの信仰を長く集めていなければ、こうはいきません。現在の建造物も中心部分は飛鳥時代の様式となっています。

 個人的には、四天王寺の庭園そばにある五智光院に歴史のロマンを感じます。建物そのものは元和9年(1623年)に再建されたもので、明治期に四天王寺西の極楽門の近くから移築されたものですが、元々は文治3年(1187年)後白河法皇が灌頂を受けるために建てられた灌頂堂だったのです。
 後白河法王の若い頃は京の街に繰り出し、はやりの歌に興じるなどした型破りな皇族でした。その後、平家物語でもおなじみの権謀術数に長けた天皇〜上皇として活躍します。武家に何度も軟禁されながらうろたえること無く政治力を発揮する胆力は称賛するに値します。一方で多くの戦いを煽り幾つもの謀略の首謀者であり、崇徳天皇の怨霊伝説が生まれた直接的な原因となるなどの波乱に満ちた人生を送ります。平家を滅亡に追いやった責任者とも言える後白河法皇は文治2年(1186年)に建礼門院(平徳子)の元を訪問されました。かつての仲間や臣下の多くが戦いの中で死に、鎌倉とも緊張が続いていたこの晩年の法王の心には世の無常が強く感じられていたのかも知れません。五智光院で阿闍梨の位を受ける伝法灌頂を受けたのは、この翌年の文治3年8月23日の事です。当初は三井寺で灌頂を受ける予定でしたが、後白河法王から仏法最初の霊地でとの要望があったとも伝えられています。四天王寺の中にある亀井の水を使って灌頂を受けています。この亀井の水は竜宮城から流れていくる水だと伝説もあります。

 四天王寺は建物自体は奈良の寺と比べて新しい物ですが、寺内にある様々な伝説や歴史は語り尽くせぬほど沢山あります。自粛が解除されたらぜひ御参拝ください。四天王寺は聖徳太子を奉じる和宗の総本山で、日本仏法最初という自負もあり基本全宗派ウェルカムです。


コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号