パンチェン・ラマ11世の話と中国の意見

 チベット仏教でダライ・ラマ法王についで高位の僧であるパンチェン・ラマが中国当局に拉致されてから本日で25年となります。いまだ拉致の続くパンチェン・ラマ11世のご無事をお祈りします。

 公平さを欠かないように、この拉致事件に対しての中国の反論も書いておきます。中国の見解では、これは拉致ではなく、ダライ・ラマ14世からパンチェン・ラマ11世に認定された少年ゲンドゥン・チューキ・ニマ君を保護しただけなのです。中国はダライ・ラマ法王をテロリストとみなしており、彼らテロリストから狙われた可哀想な子供を保護したというものです。
 しかし、百歩譲ってそうだとしても子供を拉致して、任意の他人との面会の自由もない状態に25年もおいておくのは人道的とは言えません。6歳で拉致されて既に31歳になるパンチェン・ラマ11世の身があんじられます。

 こう言うと、中国からの反論はまだ続きます。そもそも、子供を転生僧としてその立場を強要・洗脳するのは非人道的であるというものです。
 確かにそういう側面はあるのかも知れませんが、ゲンドゥン・チューキ・ニマ氏がパンチェン・ラマ11世となっても、自分やチベット仏教への批判を見聞きし、それについて思索することも可能であり、自由を制限して拉致を続けるほうが問題は多いのは明らかです。

 そう言ってもまだまだ中国の反論は続きます。パンチェン・ラマ制度は元々はチベットの都であるラサのダライ・ラマと、他の都市との政治的バランスを取るために作られたもので、パンチェン・ラマの制度そのものが宗教的でなく薄汚い権力闘争の現れだというものです。
 これもそういう見方があるのは否定しませんが、そもそも中国政府はパンチェン・ラマ11世拉致の同時期に別の少年をパンチェン・ラマ11世に指定しており、制度としてのパンチェン・ラマそのものを批判するのは自らの行いを批判することにもなります。

 制度の始まりがどうあれ、ダライ・ラマは観音菩薩として、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身として、チベット仏教とチベット人を守り高めて来たのです。もちろんチベット人たちがパンチェン・ラマの要不要について議論するのは自由ですが、外国の勢力がチベットを占領したあげくパンチェン・ラマ11世を認めるなと軍隊や警察を使って介入するのはおかしいです。

 中国政府にも慈悲の心が広がりますように。南無観世音菩薩。南無阿弥陀仏。

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