思無邪

 思無邪は論語の為政第二に見られる言葉で「思い邪(よこしま)無し」と読み下す。これは孔子が詩経について述べたもので、詩経にある三百もの詩を一言でまとめると思無邪だとした。

 このように思無邪の元ネタは論語と詩経に由来するが、茶席では禅語としても扱われる。また、幕末に活躍した島津斉彬の座右の銘としても知られている。

 思無邪の無邪が何を意味するかは、立場によって差はあるかと思う。孔子としては儒教的な仁や徳を実践する心が無邪であったろうし、禅語の場合は煩悩や執着や分別などが無い状態だろうし、島津斉彬はなすべき事を怖じけずに遂行することだったと思われる。

 邪が無ければ、残るのは正か、それとも邪と表裏一体の分別である正も無いのか?後者ならば中道や空の思想に通じるものがある。世の中では正誤と正邪を混同する人も多いが、なるべく心に邪が無いようにしたいものだ。

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