人は自ら足るに止まること能わずして亡ぶ

 春秋戦国時代の書「韓非子」に次のような話があります。

 斉の国の王様である桓公が宰相の管仲に「富に限りはあるか?」と尋ねます。管仲は「富を貪り過ぎて身を滅ぼした時が富の限りでしょう」と答えました。

 何事にも限界はあるものです。どんな強者も無限に富を集める事は出来ません。栄華を極めた一門もいつかは没落します。貪り過ぎずとも、戦争や災害などで滅ぶこともあります。

 あまりにも極端に富が集中すると、大多数の餓死しそうな人達から搾取してごく少数の人達が贅沢三昧をする形となります。こうなるともう民衆は革命を起こすしかなくなります。もちろん、どのような政体でもそうならないように対策がなされています。大まかに分けて富の再分配を行って極端な貧困層が増えるの防ごうとする対策と、軍事力を利用した徹底弾圧で抑え込もうとする対策があります。前者がより平和的なのは言うまでもありません。

 また、再分配は国だけでなくお金持ちによって自主的になされる事もあります。一般的に大富豪は慈善事業に熱心です。その最大の理由は税金対策ですが、そのおかげで助かっている人も多く結果的には良いことです。より古い時代の大富豪は、橋やお寺などの公共性のある施設までも作ってその富を地域へ還元していました。有り余る富で名士として地位を買っていたとも言えます。

 裕福だからと無駄遣いする必要はありませんが、既に余裕がある人はひたすら溜め込まずに有意義に富を使えば、自分にとっても他人にとってもよい結果を招くでしょう。

 しかし、社会保障や福祉が脆弱な国では、人々は心配してなるべく多く富を溜め込もうとします。そう努力はしても、稼いだお金の全てが生活の為に消費される状態の人は貯金も資産運用も出来ませんから、結局の所、裕福な人はより裕福になりやすく、貧乏な人はいつまでも貧乏なままとなりがちです。

 多くの人が足るを知って助け合うためには、その国にいかに良質で安定した行政サービスが存在しているのかが重要です。政治も生臭いばかりでなく、人の心をより良く保つ為に大切な役目があるのです。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号